第四十四回 孟観は楊駿を殺す

 孟観もうかんは詔書を懐に収めて御前を退くと、さっそく人を遣わして楚王そおう司馬瑋しばいを呼び寄せた。

 楚王は詔書を得ると軍勢を率いて宮城の正門にあたる閶闔門しょうこうもんに東隣する司馬門に軍勢を留め、東安王とうあんおう司馬繇しばよう)は禁衛の羽林兵うりんへい三千を宮門の外に配した。孟観も禁衛の兵を率いて宮門の内で事に備える。

 一切の準備を終えた後、董猛とうもうに命じて楊駿ようしゅん宣旨せんしを伝えさせた。それは、楚王の入朝に際して計議すべきことがあると速やかな参内を命じる偽詔ぎしょうであった。


 ※


 この時、楊駿は自らの府にあって二弟と閑話かんわしている最中にあった。

「昨日の夜に夢を見て、今日もまた同じ夢を見た。愕いて目覚めてから動悸が激しい。この夢が吉凶いずれであるかはまだ調べていないのだが」

 そう言った折から、董猛が詔書を奉じて現れた。参内して議論に加わるようにとの詔命だという。楊駿は官服に改めて参内しようとするが、弟の楊珧ようようが止めて言う。

「先に長兄は賈后かごうを朝会で叱ったと仰られていた。賈后と近しい董猛が詔命を奉じて来るとは、必ずや詐略によるものでしょう。しばらく宮中に入ってはなりません。宮内で変事があれば、外からはお救いできません。万一の場合、長兄が難に遭うばかりではなく、るいは吾ら宗族に及びましょう」

「君命にて召されれば、が整うのを待たずに向かうものだ。今、聖上がお召しになって事を諮らんと望まれているとあれば、すみやかに参内せねばならぬ」

「先ほど楚王が軍勢とともに入朝したと聞きます。必ずや何か企てがあり、それは賈后によるものでしょう。さらに、孟観が禁衛の兵を統率しておりますが、これも長兄に怨みを含んでおり、最近はしばしば宮掖きゅうえきに出入りしているとも聞き及びます。異心を疑わねばなりません。宮中に入れば、彼らの陥穽かんせいはまることになりましょう」

 楊濟ようさいも同じく楚王と孟観の動きを引き合いに出して反対した。

 二人の弟に反対された楊駿は進退を定められず、下僚の張劭ちょうしょう段廣だんこうたちに問う。

「吾は忠心により政事をおこない、大過を犯してはおらぬ。今、聖上より宮中に赴くよう宣旨を受けたものの、二弟は陰謀を疑っている。それぞれの存念を述べよ」

 主簿しゅぼ朱振しゅしんが口を開く。

「楚王が軍勢を率いて入朝するにあたって孟観が出迎え、ついで東安王とともに宮掖に入ったところを観るに、賈后とその意を受けた宦者が関わっていると考えて誤りはありますまい。太傅たいふにとって吉事でないことは明らか、疑う余地もございません」

「それならば、どのような策でもって処するべきか」

 楊駿の問いに左将軍の楊邈ようばくが答える。

下官げかんが宮中に入って東安王、孟観、その党与の李肇りちょうが統率する禁衛の兵を召し寄せ、兵権を奪って雲龍門うんりゅうもんの警護にあたるのがよろしいでしょう。その後であれば、太傅が宮中に入られたところで不測の変は起こりようがありません」

▼洛陽の内城にあたる宮城に北門はなく、西には北から千秋門せんしゅうもん神虎門しんこもん通門つうもん掖門えきもんの四門、東には雲龍門、南には正門にあたる閶闔門とその東に司馬門があった。孟観は南の司馬門を固めている。楊駿が宮城の東に住むのであれば、雲龍門から入ることになる。そのため、楊邈は雲龍門の警戒を提案したのであろう。なお、晋代の禁衛兵は領軍りょうぐん将軍、左右衛さゆうえい将軍がつかさどるが、左将軍はおそらく楊駿の将軍府の左軍を率いる意味と思われる。楊邈が左衛将軍でない限り禁衛兵の兵権はない。

 その策に朱振が反駁する。

「それは身を安んじる策に反します。愚見によれば、軍勢を整えて雲龍門を外から囲み、皇太子を擁した後に門を焼き払うのです。それから宮人たちに君側くんそく奸人かんじんの所在を問えば、宮中の者たちは畏れて首謀者を送り出すでしょう。事を終えた後、伊尹いいん霍光かくこうの故事に倣って廃立はいりゅうを行なえば、近くは宮中での禍を逃れて威は四海を震わせ、永く世を保つことができましょう。これこそ身を安んじる策というものです」

▼「伊尹、霍光の故事」は皇帝の廃立を言い、「伊霍の事」と慣用される。伊尹は殷の湯王とうおうに仕えて夏の桀王けつおうった。その後、湯王の孫にあたる太甲たいこうが跡を嗣いだが、無道であったために放逐して三年の後に改悛かいしゅんした太甲を再び迎えたと伝わる。霍光は霍去病かくきょへいの異母弟、漢の昭帝の跡に昌邑王しょうゆうおう劉賀りゅうがを迎えたが、非行のために廃して宣帝を立てた。これらは正統な名分による廃立と理解されている。『後傳』では「曹魏公の故事」となっており、曹操そうそうか子の曹丕そうひを指すと思われるが、一般的ではないため常套句に改めた。

 献策を受けたところで、決断を欠く楊駿は大事を決し得ない。

「雲龍門は魏の明帝(曹叡そうえい)が造り、相応の費用がかかっておる。妄りに焼くことはできぬ。まして、賈后の陰謀はまだ明らかではない。もしお前の策に従えば、吾が造反したと言う者もあろう」

 そう言うところに、侍中じちゅう傅祇ふぎが賈后の陰謀を知って駆けつけてきた。

「宮中に変事が待ち構えております。騎兵を率いて雲龍門に入り、動静を窺って参りましょう」

 楊駿は傅祇の言葉にも従わない。失望した傅祇は一座に言う。

「宮中での変事が心配です。久しく離れるわけには参りませんので、宮中に戻ります」

 言い終わると、長揖ちょうゆうして立ち去った。


 ※


 楊駿の娘の楊太后ようたいごう西宮さいぐうにあり、賈后の陰謀を書簡に認め、宮外に矢文で放たせた。矢文は孟観の兵に拾われ、それを見た孟観は楊駿に悟られたやも知れぬと考えて賈后に上奏する。

「楊駿が反撃に出ては面倒です。事がここに至っては速やかに事を行なうよりありません。先んじれば人を制します。遅れをとって人に制されてはなりません」

 賈后は手ずから詔書を発し、先の詔に背いた罪で楊駿を捕らえるよう命じ、李肇と孟観の軍勢を差し向ける。

「事を行なうにはまず三思さんしせよ。慌てて動いてはならぬ」

 晋帝がそう言って考えていると、楊駿の使者の段廣が参内した。事態の急を観るや進み出て上奏する。

「楊駿は先帝より国戚こくせきとして遺命を蒙り、心を尽くして政事の輔佐を務めております。その心にはいささかの私意もなく、その二弟も退隠して閑居し、陰謀など企てようもございません。陛下におかれましては、楊駿の無罪を明かにして頂きとう願います」

 晋帝が答える前に、賈后は左右に命じて段廣を取り押さえ、獄に繋いだ。


 ※


 孟観の軍勢は楊駿の邸宅に向かい、四方から取り囲んだ。

 楊駿は怖れて邸内に籠もり、孟観は軍士に命じて火をかけさせる。愕いた楊駿はうまやの中に身を隠したが、門が焼け落ちると兵たちが邸内に雪崩れ込む。

 ついに楊駿とその弟の楊珧たちもあわせて捕らえられた。

「吾は兄を諌めていたが、兄は聞き入れなかった。それで官職を捨てて閑居しているのだ。張華ちょうかに問えば吾が忠信は明らかである。どうして叛乱を企てることなどあろうか」

 軍士たちを前に楊珧はそう叫んだものの、聞き入れられるはずもない。ただ、朝臣には楊珧、楊濟に同情する者が多かった。

「子の鍾会しょうかいの謀叛があっても大功ある鍾繇しょうようは赦されました。この故事に倣われるべきでしょう」

 そう言って二人の助命を願う者もいたが、賈后は己を怨む者を野に放つことを懼れ、ついに楊濟も獄に繋いだ。


 ※


 これより以前、楊濟も兄の専権をたびたび諌めたものの納れられず、外甥がいせい(母方の甥)の李斌りひんとともに傅咸ふかん石崇せきすうに説き、輔政に汝南王じょなんおう司馬亮しばりょう)を迎えて楊氏の門戸を永く保つ策を楊駿に勧めるように願った。傅咸と石崇はその願いを納れて幾度も楊駿に勧め、時望に従って賢者を挙げ、彼らに事を任せる以上の良策はないと言ったが、楊駿は従わずこの禍にかかったのである。

 楊濟は平生より義を重んじて施しを好んだため、多くの者が喜んでその用をなした。朝廷より身を退いていたが、久しく壮士を養ってその数は四百人を越え、すべて関西の精鋭たちであった。楊濟が官職を辞した後、彼らは軍に留まることを願わず、それぞれの生業をもって洛陽に暮らしていた。

 朝廷より楊濟を獄に繋ぐ命が下ったと聞くや、彼らは方々より集まって申し出る。

「吾らが身を捨てて城外に救い出します。落ち着いてから身の潔白を弁じられるのがよろしいでしょう」

 楊濟はそれを聞いて裴楷はいかいに相談した。

「理としては、宮中に入って弁じるべきであろう」

 その言に従って朝廷に出頭しようと邸宅を出たところ、捕縛に向かった兵士たちに捕らえられ、楊珧とともに賈后に害された。このことを聞いて嗟嘆さたんしない者はなかった。


 ※


 その余の楊駿の親党、張劭、段廣などの十餘家はことごとく族滅され、左将軍の楊邈、ゆう将軍の劉預りゅうよ河南尹かなんいんの李斌、中書令ちゅうしょれい蔣俊しょうしゅん東夷校尉とういこうい文淑ぶんしゅく尚書令しょうしょれい武茂ぶもたちもみな害された。

▼楊駿の党与の官職については、先に述べたとおり、左将軍と右将軍は楊駿の将軍府の左右の軍勢を率いる軍号と考えられる。河南尹は洛陽周辺の行政長官、中書令は詔勅の起草に関わり、宰相に相当する。「東尉」は『後傳』では「東夷尉」、『晋書』では「東夷校尉」となっており、後者に従う。尚書令も宰相に相当するが、こちらは行政に関わる。

 楊太后は後宮で賈后を罵って言った。

「かつて、先帝は敢えてお前を太子妃にめとるおつもりはなかった。妾が先帝を説き伏せたがゆえ、お前が志を得た今日があるのじゃ。それにも関わらず、かえって吾が宗族を害するとは。天理がないとでも思っているのか」

「晋家の天下の半ばは吾が父(賈充かじゅう)の力により得たもの、お前の家はどのような功績により朝政を専らにして私党をて、朝政を乱そうとしたのか」

 賈后と楊太后は互いに悪罵あくばしてそれぞれの家をなじり、妃嬪きひんたちは聞くに堪えず、太后を西宮に送り返したことであった。



 ※


 賈后はついに楊駿を誅殺し、楊皇后を罵って後宮に入ったものの、この一事を怨みに思う者の存在を懼れ、孟観と董猛を召し出して言った。

「楊太后はいまだ西宮にあり、妾を深く怨んでおる。その親族の楊超ようちょうは張華の推挙により侯の爵を与えられると聞く。他日に陰謀を構えて報復を図るおそれもあろう。早く謀らねば身の禍になりかねぬ」

「今や大権はことごとく陛下の手中にあります。詔を宣して董猛に命じ、太后を金墉城きんようじょうに移してしまえばよろしいでしょう」

▼金墉城は魏の明帝が宮城の西北に城塁として築いた。もっぱら貴人を幽閉する際に使われた。

 賈后は孟観に命じて詔書を起草させ、董猛を西宮に遣わした。

「召しもせぬのに、なにゆえ参ったか」

 楊太后が問うも、董猛は詔を奉じて言う。

「楊氏一門は構逆こうぎゃくをなして法に触れ、九族を誅戮ちゅうりくすべきところでありますが、聖上は母子の情をおもいたまいて罪を加えるに忍びず、ただその身を仮に金墉城に移して国法を正すこととされました」

「妾に罪過はなく、しかも、子が母を廃するなど許されることではない。お前はすみやかにここを出て行け。妾は聖上にお会いして申し上げねばならぬことがある」

 董猛は太后の剣幕を畏れて引き返し、賈后に復命ふくめいした。

 楊太后が晋帝に謁見すればどうなるか測りがたい。賈后は孟観と董猛に命じて車輿しゃよ一両と数十人の宮人を従えて西宮に向かわせ、ついに太后を西宮から連れ出した。

 それを知った晋帝が西宮に向かうと、すでに宮は封鎖されて太后は門外の車輿の内にあり、晋帝の車と行き会った。晋帝が車を留めると太后は大哭だいこくして帝の手を放さず、帝もなすがままにされている。孟観と董猛も如何ともしがたく、賈后に使者を走らせた。

 賈后は自ら西宮に向かった。周囲の軍士を叱りつけて太后を再び輿こしに載せ、帝と引き離して金墉城に向かわせる。孟観は十数人の宮人を駆り立てて太后とともに送り出し、護送していく。晋帝は痛哭つうこくしながら宮城に引き返していった。

「太后は楊駿に聖上を害させようといたしました。それにも関わらず、彼の者を甚だしくいたまれるとはどういうことでしょう。謀叛は大罪、法では死罪にあたります。金墉城に置くだけで済むはずもありません」

 賈后がそう言い放つと、晋帝は怒りに任せて太后に酷な仕打ちをせぬかと懼れ、それより太后の処遇を口にしなくなったことであった。


▼まめ知識:第四十四回終了時点での皇室関係者

帝室

 皇帝:司馬衷

 皇后:賈南風

 太后:✕楊芷

 太子:司馬遹

 執政:✕楊駿

    → 司馬亮・衛瓘・張華・賈南風


八王

 汝南王:司馬亮

 楚 王:司馬瑋

 趙 王:司馬倫

 斉 王:司馬冏

 長沙王:司馬乂

 河間王:司馬顒

 成都王:司馬穎

 東海王:司馬越


その他親王

 瑯琊王:司馬睿

 梁 王:司馬肜

 南陽王:司馬模

 呉 王:司馬晏

 淮南王:司馬允

 范陽王:司馬虓

 東瀛公:司馬騰

 東安王:司馬繇

 新野公:司馬歆

 予章郡王:司馬熾

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