三章 集結

第二十一回 齊萬年は独り三将を斬る

 蜀漢しょくかんの滅亡より三十年を経た晋の元康げんこう四年(二九四年)四月、齊萬年せいばんねん秦州しんしゅう辺関へんかんを陥れると、秦州城を攻め落とすべく兵を進め、後軍の将軍を務める劉霊りゅうれいと軍を合わせた。

「劉将軍はしばらくこの関上に軍を留めて頂きたい。吾は兵を率いて秦州の城に向かい、敵の強弱虚実を測った後に全軍で攻め打って城を抜くのがよろしかろう」

 齊萬年はそう言うと、一万の軍勢を率いて秦州城を目指し、斥候がそれを城に報せた。

 秦州の守将は夏侯惇かこうとんの孫にあたり、姓名を夏侯騄かこうろくという。勇力に秀でて羌族きょうぞくを抑えた功績があり、秦州刺史に任じられた。

▼夏侯惇の子は夏侯充かこうじゅう、孫は夏侯廙かこういの名が伝わる。

 齊萬年が属縣を陥れたと知るより、甲冑を繕って兵を集め、城壁塹壕を修繕して防備を固め、城外の居民を城内に移して万全の態勢を整えている。

 齊萬年が侵入したとの報を受け、部将の狄猛てきもう、親衛隊長にあたる牙将がしょう邊雄へんゆうを召して守戦の方策を諮った。

「久しくこの地にあり、地の利は熟知しております。羌賊を防ぐのであれば、狐林こりんに過ぎる場所はございません。北地第一の要路にあたり、羌賊もここを通って侵入してくるでしょう。それを逆手に取り、伏兵を置いて前後から挟撃すれば、齊萬年を擒えるのも嚢中のうちゅうの物を取るに等しく、齊萬年をとりことすれば、郝元度かくげんど盧水ろすい馬蘭ばらんも怯気づきましょう」

 狄猛が献策すると夏侯騄はその策を納れ、五千の精兵を授けて狐林に埋伏させる。

「賊兵が到着したはじめは猖獗しょうけつを極めよう。賊が伏処に入っても戦ってはならぬ。ひたすらに兵を伏せて待て。吾が羌賊と戦いはじめた後、機を見て伏兵を発し、その背後を襲え」

 伏処に向かう狄猛を戒め、狄猛はうべなって狐林に向かう。さらに城民にも守城を命じて城壁の上に登らせ、軍旗や守城の兵器、金鼓を並べて軍威を張らせた。みずからは一万の精兵を選んで講武場に駐屯し、邊雄は五千の騎兵を率いて西門の内側に伏せる。

 軍律を厳しくし、兵を引き締めて攻め寄せる羌賊に備えた。


 ※


 齊萬年の軍勢は城下に現れたものの厳戒を見て速攻を諦め、城外に軍営を置いて林立する軍旗と白刃で軍威を張り、持久戦の構えを見せる。

 城民たちは戦に慣れず、齊萬年の軍営を見て肝を失うばかりであった。羌兵が鬨の声を挙げてその声が終わるらぬうち、一斉に砲声が鳴り響いて城門が開かれ、数万の晋兵が城外に展開した。

 その先頭に一人の猛将が立つ。

 黒々とした眉に角ばった顔だち、大きな眼に長い髯、派手な兜に重装の甲冑を着込んで馬を躍らせ、鎗を車輪に回すと大音声に罵った。

「愚かな羌賊ども、この秦州には氐羌ていきょうの叛徒を殲滅した、安北あんほく鎮虜ちんりょ将軍の夏侯騄があると知らぬのか。それとも、敢えてこの城下を死に場所に選んだか」

 その言葉が終わる前に城に対する軍営の門が開き、一人の大将が猛然と打って出る。

 その顔は紫玉のごとく、眼は星のように輝いて釣り上がった眉に大きな口と顔の両側には疎らな髯、頭上には人面猪牙虎体の檮杌とうこつという怪物を飾った金兜を戴いて身に熟銅の鎧を纏い、大桿の剛刀を手に月支げっし悍馬かんばに跨り、馬鞭で夏侯騄を指して言い放つ。

「お前たち晋兵は事ごとに羌兵を滅ぼしたと誇るが、それは虚を突いていくばくかの小勢を破ったに過ぎん。何の手柄であるものか。吾は猛虎を撲殺して飛鳥を射抜く慕義ぼぎ将軍、辺境を守る数多の官将を擒殺したと知らぬのか。吾の技量を知るならば、すぐさま印綬いんじゅと帳簿を献じて降伏し、吾が大刀の痛苦を免れるがよい。半句であっても拒むなら、万段ばんだんに切り刻んでくれよう」

「羌賊の狗ごときが、吾が膝元まで来て大言しおる」

 夏侯騄は罵り返すや長鎗を手に馬をって突きかかり、齊萬年も大刀を払って迎え撃つ。二人は陣頭に勇を奮って右に左に刃を合わせ、人馬一体で一進一退の攻防を繰り返す。

 互いに一歩も譲らず、勝敗を決さぬまま辰時から午時(午前八時から正午)にまで至った。百合を超えても戦はつづき、周囲には捲き上がる砂塵が立ちこめ、時に互いの姿を覆い隠す。それでも両者は疲れを知らず、怯み怖れる色もない。

 戦いがまさにたけなわとなったとき、城より砲声が響いて金鼓と角笛が鳴り響く。城門がふたたび開くと騎兵の一群が飛び出した。


 ※


 先頭に立つ邊雄は、剣のように尖った眉に鈴のごとく丸い眼、青黒い顔に赤眼せきがん黄鬚こうしゅ、鉄鎧を着込んで剛鞭を提げる。馬を馳せて横合いから齊萬年と夏侯騄の戦場に突っ込んだ。

 齊萬年に怖れる色は微塵もなく、車輪のように馬を廻らせて二人を相手に大刀を振るう。三人が数合ほど打ち合った時、軍営の東北から鬨の声が挙がった。

 何事かと見遣れば、一将が馬に鞭して飛ぶように攻め寄せる。

 軍旗には「秦州副帥しんしゅうふくすい 狄猛」と大書され、その面は漆を塗ったように黒く、ひげは針のように剛く、長身に幅広の背中、虎のような鋭い目に鳶のように広い肩、両刃の大刀を手に背後から攻めかかり、夏侯騄、邊雄とともに三方より囲んで齊萬年を攻めたてる。

 齊萬年は三人を向こうに回して一歩も譲らない。しかし、味方の援兵がなくては秦州を破れぬと考え、一計に欺いて勝ちを得ようと思い定めた。馬を返して敵陣の右翼を突き、逃げ出したように見せかける。邊雄が馬腹を蹴ってそのあとを追った。

 齊萬年が五百歩ほども奔ったところで顧みれば、追いすがる邊雄につづく者はない。山麓のつづら道に姿を隠すと手綱を緩めて馬を停め、大刀を手に待ち構える。

 邊雄は齊萬年の計を覚らず、身の守りも疎かにひたすら馬を責めて齊萬年を追い越した。愕いて馬を返そうとしても思うようにならず、背後に迫る齊萬年の大刀一閃に首を刎ねられ、馬より落ちて息絶えた。


 ※


 追いついた晋兵たちを大喝して退け、邊雄の首級を挙げようとするところに狄猛が駆けつける。邊雄が地に倒れているのを見るや、忿怒に駆られて罵った。

「羌賊めが吾が僚友を詭計に陥れるとは。すみやかに馬を下りて刑戮を受れば、お前一人の命でもって全員を殺すのは赦してやろう。それともまた逃げ出してみるか」

「お前ではこやつの仇は討てまい。試してみるなら地獄の旅路の道づれに加えてやろう」

 齊萬年はわらって言い返すと、襲いかかってくるのを待った。

 先の逃亡が計略とは夢にも思わず、狄猛に怖れる色はない。邊雄の仇を討つべく打ちかかる。齊萬年は大刀を振るって支え止め、それより一対一で二十合ほど打ち合った。そこに夏侯騄が大兵を率いて駆けつける。

 夏侯騄も邊雄が討たれたと聞いて咆哮ほうこうする。

「包囲して生きながらとらえ、吾が前に牽いて来い。みずから殺さねば怒りが鎮まらぬ」

 晋兵たちは隊伍を組んで進み、齊萬年と狄猛を包囲する。

「万を越える軍勢に囲まれ、単騎で夏侯騄と狄猛を相手に必勝は期しがたい。ここは、隙を見て囲みを破り、逃げるふりをして二人を誘い出すよりあるまい」

 狄猛との戦いをつづける齊萬年はそう思い、隙を突いて囲みの外に逃れ出た。ふたたび逃げたと狄猛は怒り、厳しく跟に追いすがる。

「しばらく城に戻り、明日また来るがいい。そこで勝負を決してやろう」

 齊萬年が言うも、狄猛は聞かずに追いすがる。

「世迷言を抜かすな。ここで決着をつけてやる」

 齊萬年は逃げながら様子を窺い、頃合いを見計らうと大刀を納めて弓矢を執る。矢をつがえて引き絞るや、振り返りざまに一矢を放つ。

 弓弦の音を聞けば馬の背に身を沈めるのが騎兵の習い、しかし、矢はそれより早く狄猛の胸に突き立った。堪えることもならずもんどり打って馬から転げ落ちる。

 齊萬年はすばやく馬から下りてその首級を挙げ、軍営に戻ろうと馬を返す。そこに遅れて夏侯騄が追いついた。


 ※


 狄猛が齊萬年を討ち果たしているかと思いきや、齊萬年の馬下には狄猛の屍が伏している。それを見た夏侯騄の気は塞がり動悸は躍り、眼に涙が浮かぶ。

 雷のごとく大呼して齊萬年に攻めかかった。一方の齊萬年は邊雄、狄猛の二将を討ち取って意気は盛ん、晋軍を侮って前後も考えずに迎え撃つ。

 戦いは三十合を過ぎても勝敗を決する気配がない。

 夏侯騄が怯んだように装って馬を返す。齊萬年はその様子から気が尽きて戦を捨てたと見て、大喝して跟に追いすがる。逃げる夏侯騄は長鎗を小脇に抱えて弓矢を執り、暗に狙いを定めて矢頃やごろに来た齊萬年に一矢を放つ。

 弓弦の響きを耳にした齊萬年は鞍に身を伏せ、矢は馬の頸に突き立った。馬は棹立ちになって齊萬年を放り出し、何処へともなく奔り去る。

 齊萬年の落馬を見るや、夏侯騄は馬頭を返して駆け戻り、二将の仇を打つべく馬上より長鎗を突きかける。

 地に放り出された齊萬年は身をよじって穂先を交わし、兜の脇に突き立った鎗先を左の手で引っ掴んだ。大喝して跳び起きると、右手で大刀を抜いて夏侯騄の隙を狙う。

 鎗先を掴まれた夏侯騄は奪い返そうと全力で引く。齊萬年は抗いきれずに鎗先を放し、左の掌を斬り破られた。馬上の夏侯騄は、鎗先を引き抜いた勢いがあまり、落馬を何とか踏み止まる。

 齊萬年は怒ってさらに戦おうとするも、馬を失っては戦いようがない。夏侯騄はそれに付け込んで、胸板を狙って鎗先を繰り出す。齊萬年は大刀を振るって十合も戦ったところで一計を按じ、鎗先を受け流すと身を伏せて馬の前脚に斬りつけた。

 前脚を折って馬が倒れ、馬上の夏侯騄が地に投げ出される。身を翻して立ち上がれば、齊萬年が馬の向こうから袈裟けさけに大刀を斬り下げる。刃はその肩骨を深々と断ち割り、夏侯騄は天を仰いで地に倒れた。

 馬を跳び越えた齊萬年が大刀の一閃に首級を挙げる。哀れ、鎮国の英雄も散華して冥土の怨鬼となった。


 ※


 かくして秦州の三将はいずれも齊萬年の手にかかり、主将を喪った晋兵は、奔走する者あり、投降する者あり、そうこうするところに、羌兵が逃げた月支の馬を引いて駆け戻る。

 齊萬年は馬に打ち跨り、夜陰に乗じて秦州の城下に攻め寄せた。

 城民は三将が討ち死にしたと聞き、門を開いて羌族の軍勢を招じ入れる。官吏たちは抵抗もできず、暗中に夏侯騄、狄猛、邊雄の家累かるいを保護すると、長安ちょうあんがある雍州ようしゅうを目指して落ち延びていった。

 齊萬年は掠奪殺戮を禁じて秋毫しゅうごうも犯すところがなく、秦州の城民たちは安堵した。別将の喬昕きょうきんに命じて城内の地図と税帳、それぞれの軍士が討ち取った首級の記録、鹵獲した財物や兵器糧秣の目録を作り、柳林川の軍営に捷報を報じる。

 劉淵りゅうえんや郝元度はその報に接し、緒戦の勝利は幸先がよいと喜んだことであった。

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