第十三回 齊萬年は郝元度に與す

 劉璩りゅうきょ劉伯根りゅうはくこんの賛同を得て劉淵りゅうえんと名を改めると、北に向かって羌族きょうぞくの土地に分け入り、北部の境界から二十里(約11.2km)の地に到った。

 そこで劉淵は、羌族が自分たちを受け容れて味方するか、拒んで敵対するか、その心底を探るべく劉伯根と廖全りょうぜんに礼物の金と珠を持たせて先行させることにした。

 二人は羌族の土地に入り、その地の者たちに尋ねたところ、総管そうかん兀哈台ごつこつだいという者がいると教えられた。二人は官衙かんがで兀哈台と対面し、持参の礼物を進呈した。た。

 その品は中国の礼物であったために兀哈台は心中大いに喜び、劉伯根と廖全を伴って郝元度かくげんど帥府すいふに向かう。

 劉伯根は郝元度に相見そうけんの礼を執り、廖全が礼物を呈して退くと、口上を述べる。

それがしどもは蜀漢の遺臣である劉巴りゅうはの族人でありますが、魏の鄧艾とうがい成都せいとを襲った危難に際し、無事では済むまいと懼れてこの地に逃れたのです。今、大王の膝下しっかに参じました以上、些少さしょうではありますが礼物を奉り、謹んで大王を拝礼させて頂きます。願わくば、いささかの土地を御貸し頂けますように。この願いをお聞き頂けるのであれば、某どもが大王のご命令に違うことはございません」

 その言葉を聞くと、郝元度に喜色が浮かんだ。

「貴殿らは蜀漢という大国の縁者、さらに漢家の忠良の臣とあれば、他人行儀な拝礼は無用のことだ。吾の治める地に来られたからには、何も心配されることはない。安心して長旅に疲れた体を休められるがよい」

 そう言うと、兀哈台に命じて劉淵の一行を迎えさせ、帥府にて会見した。劉淵の一同が床に頭を打ちつける頓首とんしゅをおこなうと、元度は慌てて兀哈台にそれを止めさせ、次のように言った。

「貴殿らは大国の臣僚であり、かつては貴顕の職にあった身、吾が祖父もまた蜀漢の臣であった。奇縁により羌族の主帥となったが、貴殿らの拝礼を受けるような身ではない。今後の相見に際して頓首は無用、一揖いちゆうだけに止めて頂きたい」

 郝元度は劉淵一行の様子を見るにつけ、いずれも容貌は秀でて豪気は人を凌ぐものがある。とりわけ、齊萬年せいばんねんは九尺六寸(約290cm)の長躯に紫玉のごとく光輝く顔、鼻は獅子に似て眉は厳しく釣り上がり、人を見下ろせば眼光は火を盛んに噴くかがりびのごとく、英姿凛々として一見で万夫不当の勇士と知れる。この時は廖全とともに劉淵の後ろに控えていた。

 郝元度はその姿を目にして姓名を問い、劉淵が代わって答える。

「これなるは某の従弟である劉霊りゅうれいの義兄弟、姓を齊、名を萬年、字を永齢えいれいと申します。その出自は戦国時代の齊の田氏に遡り、姓を国号に改めて齊氏を名乗っております」

 齊萬年の様子を見るにつけ、英雄豪傑であることは疑いなく、その居住まいは将帥の材、兵卒で終わるような人間では決してない。劉淵が語を継ぐ。

「齊萬年は武芸を好んで八十斤(約48kg)の大刀を軽々と遣い、騎乗して山を登ってもさながら平地を行くかのよう、百歩から離れた的を射抜き、飛ぶ鳥を狙ってつぶてを打てば手に応じて地に落ちる腕利き、それゆえ成都の人は『撃飛げきひ将軍』と綽名あだなしておりました。蜀漢の後主こうしゅ劉禅りゅうぜん)が黄皓こうこうを寵用して巫蠱ふこに迷い、国防を疎かにしたために劉霊と同じく軍職にあることを厭い、病に託して家に退いておりました。成都の陥落に際しては蜀を離れて魏の追跡を逃れ、千里の彼方をあてどなく彷徨さまよっておりましたところ、大王が英雄を募って涼州りょうしゅうを呑まんとされていると聞き及び、馳せ参じて尺寸しゃくすんの功を立て、いささかの仇を報じたいと志しております」

「この豪傑にしてそれほどの武芸、実に貴殿の言葉とおりであれば、古の弓の名人である楊由基ようゆうきの再来、あるいは、石を射抜いた漢の李廣りこうの生まれ変わりに他ならぬ。まさに稀代の英傑であろう。吾には二人の盟友があり、それぞれ東西各部の部帥ぶすいを務めておる。幸い、二人揃って騎射には詳しい。明日、彼らを呼んで貴殿らと試みに勝負をしてみよう。貴殿の言葉が真であれば、まさに超世の勇士、吾が部隊を割いて部衆を預け、総督として土地を治めて頂こう。万一、その言が偽りであれば、境界の外に置いて編戸の民と同じく扱わせていただくが、異論はないかな」

 齊萬年の武芸に興を起こした郝元度の申し入れを劉淵は快諾する。

「話は決まった。兀哈台ごつこつだい馬蘭ばらん盧水ろすいの二人に使いを出せ。明日、寧平崗ねいへいこうで落ち合う。吾が着くまでに弓場を設けておくよう、あわせて二人に申し伝えよ」

 使者は飛ぶように駆けて馬蘭、盧水の二人にその旨を伝えた。二人は訝って言う。

「吾らとの会合は日時が定められておる。急な呼び出しがあるとは何事が出来しゅったいしたのか」

「昨日、吾が大王は新たに弓箭ゆみやを造られ、その折から中華の人が現れて百歩の外から的を射抜くと申したため、両君にその技量を測らせたいとの思し召しです」

 使者がそのように言うと、馬蘭、盧水はともに笑って言う。

賢客けんきゃくを迎える慶事が郝長兄にあったと聞けば、吾らが赴かないはずもない。殊に、昨今はこの地でも晋の軍勢が跋扈ばっこし、意のままに羌民や家畜を駆り立てておる。その横暴にはいささかならず腹に据えかねるものがある。兵士を集めて兵糧を蓄え、一度は漢の仇を討ってやろうと思いはするものの、いまだ志を遂げるに至っておらぬ。中華からの賢客と英雄がこの地に到ったとあれば、それは天意に他なるまい」


 ※


 翌日には寧平崗で郝元度と落ち合い、劉淵たち一行と会見して互いに拝礼を交わす。劉淵は二人のため、鮮やかさで知られる蜀の錦、それに廣州こうしゅう名産の合浦ごうほの真珠を進物に呈する。

「あなたは蜀漢の臣僚と聞く。吾は蜀漢の旧臣である馬孟起ばもうき馬超ばちょう)の兄、馬鉄ばてつの孫にあたる」

 馬蘭がそう言うと、盧水もまた言う。

「吾も漢中かんちゅうの出自、魏軍が漢水かんすいを越えて蜀に進軍した際にこの地まで逃れた。今や魏は司馬氏に奪われて晋となったが、心中では魏も晋も仇敵と忘れておらぬ。あなたたちも同じく蜀漢の朝臣の末裔であれば、これよりは兄弟の礼をもって交際させて頂こう。協力して国の仇に報じ、父祖の遺志を守らぬわけにはいくまい」

「三大人の言われるとおり、先朝の仇を報じることができれば、漢朝二十四代の皇帝の御霊みたまも地下の九泉きゅうせんにてその大徳に感じられましょう」

 劉淵がそう答礼すると、それぞれ宴席に着いて酒盃が数行すうこう巡り、その間に馬蘭と盧水は劉淵と劉霊の容貌をつくづくと眺める。

「一行の容貌を観るに、齊萬年のみならず、揃って英邁えいまいにして王侯の資質を備えております。その心を得ておけば、覇業を成すことも難しくありますまい」

 二人が耳打ちすると、郝元度も言う。

「これほどの容貌であれば、内にもさぞかし才を備えていよう。それゆえ、武芸を試した上で軍旅の事を委ねれば、晋兵を防いで戦うにも都合がよい」

 その言葉を聞いて盧水も頷き、思いついたように口を開く。

「吾らは永らく辺境におり、羌族の戦に慣れて中華の妙技に久しく接しておらぬ。齊萬年には労をかけるが、明日は刀馬とうば弓箭きゅうせんの技の一、二を披露して頂きたい」

「臣の非才を高く買って頂きましたが、所詮は国を保って民を救えもせず、この地に逃れついて大王の厚恩に浴する身です。深恩を受けた以上、理においてはご下命に応じるべきところですが、拙い武芸を熊虎ゆうこのごとき猛士の前で披露したところで、お笑い草に過ぎますまい」

 齊萬年が謙辞を述べて辞退しようとすると、郝元度も傍から勧める。

「将軍の英雄武略は容貌からも窺い知れるというもの、謙遜には及ばぬ」

「ご命令を受けたからには、明日を待つには及びません。刀馬弓箭をお借し頂ければ、只今御覧に入れましょう」

 齊萬年はそう言って立ち上がった。

「それならば、月支国げっしこくより贈られた駿馬しゅんめが一頭、無駄に厩に繋がれておる。馬勢ばせいは強く気性は荒く、これまで試し乗りする者とてなかったが、この馬を将軍に贈ろう。是非乗りこなして神威を見せて頂きたいものだ」

 郝元度はそう言うと、鞍と手綱を取り寄せて手渡した。さてどのような馬が来るかと思えば、馬背の高さは八尺(約2.5m)ばかり、頭から尾までの長さは一丈(約3.1m)にも及び、漆黒のたてがみに身は丹を塗ったように赤く、龍のごとき馬体に火のような眼光、巨大な口に尖った蹄、その勢いは豹のようで走れば飛ぶように迅い。関羽かんう赤兎馬せきとばのように燃え盛る炎を物ともせず、項羽こうう烏騅うすいのように逆巻く波さえ越えて進み、一歩も引けをとりそうにない。

 馬を引き渡されて鞍輿あんよをつけると、齊萬年が郝元度に言う。

「某はつねに八十二斤(約49kg)の大刀を遣っておりましたが、旅の身であれば大刀を提げていては身軽に走れぬと思い、友人に預けております。ここで遣うにも得物がありません。大王の麾下で大刀を遣う方がいれば、その刀をお借りしたい。回刀の法を試してみたいと思います」

 馬蘭がそれを聞いて言う。

「吾が軍営に一振りの大刀がある。吾が先祖が遣ったという刀でその重さは六十斤(約36kg)、いまだに遣い手が現れぬ。この大刀を取り寄せればよかろう」

 それを聞いた郝元度は大刀を取り寄せるべく騎兵を遣わし、一同に言う。

「これから大刀を取りに行ったのでは、今日中に武芸を披露いただくのは無理というもの、今日のところは諸君とふたたび酒盃を交わし、武芸の披露は明日に繰り延べとしよう」

 その日は宴飲して歓楽を尽くし、宴が果てるとそれぞれの軍営に戻っていった。


 ※


 ここで、三人の来歴を明かにしておこう。

 郝元度は字を中立ちゅうりつという。祖父は姓名を郝貫かくかんといい、涼州の人であった。幼い頃から詩書を習い、成長すると騎射を善くして勇気があり、文を捨てて武を事とするようになる。ついで隣家と争いを起こし、人を殴り殺したために官から逃れて羌族の地に身を隠した。その後、北部の大人がその才を買って軍務の輔佐に任じられたのである。

 魏が北部の兵に遼西りょうせい陰山いんざんの征討を命じた際、郝貫は羌兵を率いて戦い、流れ矢にあたって世を去った。その孫の郝元度は文武を兼備し、衆を御するに寛容を旨として人望が厚かった。

 先の北部の主帥が死んだ時、その跡を継ぐに相応しい者が見当たらず、衆人は郝元度を推して北部の主帥としたのである。

 その北部の治下に馮翊羌ひょうよくきょうの撫帥の馬蘭、北郡羌ほくぶきょうの撫帥の盧帥がいる。

 盧水は実は漢中の老将である張翼ちょうよくの孫にあたる。

▼『華陽國志かようこくし』によると張翼の子は張微ちょうびの名が伝わる。

 祖父が瀘水ろすいを渡った日に生まれことからと名付けられた。魏が蜀を平定した後、張翼の子孫を探してこれを誅殺した。その追及は厳しく、張瀘は母とともに弟と甥を背負って羌族の地に逃れ、姓名を変じて姓を、名を瀘、字を盧水と改めた。北部の留守りゅうしゅは盧水が張翼の孫であると知りながら、その人柄を見込んで養子とし、留守の死後にその跡を継いだ。

 馬蘭は字を国香こくかといい、馬超の兄である馬鉄の孫にあたる。

 馬氏は歴世にわたる西涼の豪族であってその一族は多く、集落は喬林きょうりんと呼ばれた。喬林とは、高い木の林を意味し、転じて馬が集まる場所を意味する。集落に馬氏が多いためにそう呼ばれたのである。

 蜀が滅んだ後、魏は刺史ししを交代させ、馬氏の宗廟も別の場所に移された。怨みに思った馬蘭は羌族の地に入って盧水に身を寄せ、盧水も同じく蜀漢に所縁があることから郝元度に薦めて馮翊の撫帥とした。

▼『三國志』馬超傳では扶風ふふう茂陵もりょうの人とされ、涼州ではなく雍州ようしゅう出身ということになる。

 その後、郝元度、盧水、馬蘭の三部はそれぞれ数万の兵を擁して晋に降った。

 晋の北部の太守はその降伏を疑い、「郝元度は一旦は降伏すると言ったものの異心を抱いており、兵を加えて滅ぼすべきである」と上奏した。晋の朝廷は郝元度に使者を遣わして異心なきか問うた。郝元度は懼れて馬蘭、盧水と兵をあわせ、長安の東北にあたる北地ほくちに入って寇掠こうりゃくした。

 郡太守の張損ちょうそんは兵を出して戦ったものの敗死し、郝元度は張損の兵も合わせた後、欧陽逮おうようたいが太守を務める馮翊ひょうよくに向かった。欧陽逮は三度出兵していずれも敗績し、ついに城を捨てて逃げ出した。

 北地と馮翊の失陥は朝廷に聞こえ、雍州刺史の解系かいけいは防備を固めて二郡を恢復せんと図る。郝元度はこのことを知って密かに三道から雍州に向かい、迎撃に出た解系を大いに破った。解系さえ単馬で逃げ延びたほどの大敗であった。

 この頃、晋帝は政事に倦み、辺境の備えを疎かにして守兵を撤した誤りを知るがゆえ、征討を主張することはなく、郝元度を封じて諸郡の総帥、羌胡都督きょうこととくに任じ、馬蘭と盧水の二人も撫帥に任じて慰撫したことであった。

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