第十一回 関防と王彌は靳準の店にて大いに闘う

 王如おうじょ李瓚りさん樊英はんえいの三人は、靳準きんじゅんが語った言葉を関防かんぼうより伝え聞くと、それなら外に出てみようと思い立ち、靳準の弟の靳術きんじゅつとともに近くの山林に鳥撃ちに出かけた。関防、関謹かんきん王彌おうび李珪りけいの四人は、店の離れに残る。

 しかし、関防は先に出かけた三人とは別に鳥を射に出かけようと思い直し、弓矢を取りに店に戻った。店に入ると、孔萇こうちょうが店の者を罵っている。

「このいぬめが、この俺に上等の酒を出さず、こんな薄酒を出すとはどういうつもりだ。ぶん殴られなけりゃあ酒を出せないとでも言うのか」

「これはこの店の最上のお酒でございます。これ以上の品はこの店にはございません」

 孔萇が酔い狂って因縁をつけ、店の者は平身低頭のていで答えたものの、その言葉が終わるや否や、桃豹とうひょうが立ちあがって答えた者を殴り倒し、倒れたところを蹴り飛ばす。店の者はたまらず座敷から床下に転がり落ちた。

 関防はそれを見ると怒りを抑えられず、店の者をたすけ起こして怒眼どがんで桃豹を睨み据える。

「お前はこの人が物事の道理を知らないと侮り、理が通らないことをしている。喰うなら喰え、飲むなら飲め、飲み食いしないならさっさと帰れ。妄りに人を打ち、打ち所を誤って殺したとして、お前はその命を償えるとでも言うのか」

「俺が店の者を叱ってお前に何の関わりがある。しゃしゃり出てくるな」

 関防の言葉に応じたのは孔萇ではなく桃豹だった。関防は退かずに言い返す。

「泰平の世にあって悪行を働いた上、叱責されれば吾が事を荒立てたように言う。何様のつもりで誰に物を言っているのだ」

 言い返された桃豹は怒りを発し、手元の酒壷を投げつけた。関防は踏み込み、拳を桃豹の胸に叩き込むふりをする。関防を侮って拳を避けようとした桃豹は出足を払われて倒れ込む。

「吾らにこれだけのことをするとは、いい度胸だ」

 孔萇はそう言うと、椅子の脚を引き抜いて関防を打ち倒そうと進み出る。騒ぎを聞いた王彌が駆けつけ、孔萇の手を押さえて仲裁に入った。

得物えもので相手を打てば無事では済まぬ。お前は後の憂いをおそれないのか」

「お前も打たれたくなければ、この手を放せ」

 孔萇は王彌の仲裁にも耳を貸さない。不遜ふそんな態度に説得を諦め、王彌は桁外れの膂力りょりょくで握った手を引き、孔萇を引き倒した。

 孔萇と桃豹が倒されたのを見ると、弟の桃虎とうこが大声で郎党を呼び集める。駆けつけた郎党は店の戸や襖を外して得物にし、一斉に王彌と関防に打ちかかった。


 ※


 離れにいた関謹と李珪も手に棒を持って駆けつけ、敵味方が入り混じっての大乱闘、店の中は騒然として食器も甕壷も当たるを幸い打ち破り、何がどうなったか分からない。

 怒声と棍棒を打ち合わせる音が響き、靳準が駆けつけて仲裁しようとするも、聞き入れる者など誰もいない。店を突き破って表通りに出てもなお打ち合いがつづき、沿道には見物の人々が集まる。

 中には仲裁に入ろうとする者もあり、孔萇に加勢しようとする者もあり、そこに鳥撃ちに出ていた王如、李瓚、樊英が駆け戻って叫ぶ。

「この店に泊まっているのは当代の義士、争うのであればそれなりの理由があろう。双方ともまずは争いを止めよ。見物の者どもも徒党をなして異郷からの客を欺くようなことをするな。この地に官府がないわけでもあるまい、誰かさっさと役人を連れて来い。衆を恃んで小勢と事を構えるような見苦しいことをするな」

 その大喝を受けて数人の見物人が縣庁に走った。

 縣令の劉殷りゅういんは報告を受けると、死人が出たかも知れないと考えた。四、五十人ほどの軍士を率いて騒ぎを起こした者たちを捕らえ、縣庁にて審議にかけるよう捕兵ほへい総管そうかん刁膺ちょうようという者に命じる。

 刁膺も武芸に秀で、盗賊の巨魁きょかいを捕らえて名を知られる腕利き、しかも孔萇とは昵懇じっこんの間柄、孔萇が騒ぎを起こしたと聞くや、軍士を率いて靳準の店に向かった。


 ※


 官兵が来たと聞くと、騒ぎを起こしていた者たちも二手に分かれて争いを止める。

 調べたところ、孔萇の郎党たち十数人のうち怪我をした者が五、六人、王彌たち四人は頭や面に少々の傷があるものの、怪我というほどの怪我はない。王如たち三人は騒ぎに加わらず、官兵を呼んだのも彼らだという。

 刁膺は孔萇の郎党に怪我人が多いのを見ると、軍士に命じて王彌たち四人を捕らえるよう命じた。しかし、四人を取り押さえようと多勢でかかっても、その身を動かすことさえできない。

 刁膺が怒って叱りつける。

「お前たちはこの期に及んでも恐れ入らないのか。人を傷つけた以上、縣庁にて審議して罪を定め、その裁量に従うのが当然であろう。軍士たちにできないのであれば、吾が自らお前たちに首枷くびかせと鎖を加えてやるぞ」

 すると、樊英が進み出て言う。

「総管の手を煩わせるまでもなく、縣庁での審議はもとより吾らの望むところです。これよりともに縣庁に向かいましょう。鎖や首枷を加えるまでもありません」

 傍らで刁膺と樊英の遣り取りを聞いていた孔萇は、彼らの聡明さと強力ごうりきを思い知り、心中では交友を結びたく感じていた。

 刁膺に近づくと声をひそめて言う。

「総管、彼らを縣庁に連れて行くのはしばらくご容赦願いたい。彼らと吾は騒ぎを起こしたものの、発端は言葉の行き違い、さらに、彼らが何者であるかも知らず、遺恨いこんがあるわけではない。そもそもは吾が弟の桃豹が騒ぎの発端だ。今は彼らを許して訴訟にするのは見逃して頂き、後日、吾が自ら縣庁に出頭して罪を償いたい。この場を収めて貰えるのなら、御厚情に深く感謝するだろう」

 刁膺は王彌、関防たちを容易に捕らえられないと察していたので、その申し出に便乗することにした。温情によりこの場を見逃す旨を述べ、また、双方に二度と騒ぎを起こさないように訓戒すると、軍士を率いて縣庁に戻っていった。


 ※


 刁膺がその場を去った後、孔萇は靳準の肘を取ると顔を寄せて言う。

「酒後の狂態で騒ぎを起こして貴店を打ち壊してしまったのは、吾が弟の誤りであった。一切を吾にあがなわせて頂きたい。また、吾らと騒ぎを起こした異郷の友人たちに遺恨があるわけではない。ただひとえに鬱屈した義気の激発、心中の不平がなしたことだ。そのことを彼らに伝えて欲しい。後日、改めて謝罪に伺う」

 言い終わると、郎党を引き連れ去っていった。残った王彌たちも店に入って靳準に詫びる。

「私が先に申し上げていたのはこのことを思ってのことでした。元々、彼らは酒癖がよくない。しかし、義気には富んでいます。先ほどみなさんが英雄であると知って甚だ敬意を持ち、それゆえに理の曲直を問わずにこの場を去ったのです。今回のことは、私の誤りが原因です。あなた方には何のとがもありません」

 靳準はそう言って関防たちを慰めたものの、離れに戻ると関防が言う。

「吾らは旅の身、先ほどは一時の不平で騒ぎを起こしてしまった。幸い無事に収まったものの、誰が何を考えているか分からない。もう一度同じような騒ぎが起これば、難儀するのは他ならぬ靳準、速やかに退散するのが上策だろう」

 それを聞くと、樊英が一番に賛成し、反対する者は誰もいない。深夜に起き出して腹ごしらえをし、夜明けには靳準に別れの挨拶をした。

 靳準は一行の出立しゅったつを知って仰天する。

「孔萇があなたがたと騒ぎを起こしたとはいえ、遺恨がないことは昨日お話したとおり、どうしてこれほど急に出発なさるのです。これまで十分な饗応きょうおうもできておらず、せめて餞別せんべつの宴を開くまでの間だけでも、ここに留まって下さい」

 言葉を尽くして引き止めたが、関防たちには聞き入れる風もない。やむなく承知して出発を見送った。その後、一行が泊まった離れを片付けに入ると、宿代と礼状を見つけた。その文章は才俊にして文雅に富み、文辞には志気しき慷慨こうがいたるものがある。

 靳準はその文章を読み、しばし嗟嘆さたんしたことであった。


 ※


 そうとは知らぬ孔萇は、家に戻ると王彌たち四人の勇力を褒め称え、桃豹とともに翌朝早くから酒肴しゅこうを提げて靳準の店に向かった。

 店に着くと小僧が出迎えて、関防たちは早暁そうぎょうに発ったと言う。それを聞いて孔萇は何かを失ったかのように気落ちし、靳準を呼んで仔細しさいただした。

「お引き止めしたのですが、夜明けには北に向かって出発されました」

 靳準の言葉を聞くと、孔萇は馬を引き出してそのあとを追う。桃豹たちもそれにつづき、二十里(約11.2km)ほど駆けたところ、前方に関防たち一行を見つけた。

諸賢しょけん、しばらく脚を止めたまえ。小弟しょうていが単身にてまかり越した。吾が言葉を聞いて頂きたい。昨日、酒後しゅごの誤りに尊顔そんがんを冒したことを深く恥じ、罪を謝しにここまで参った。まずは脚を止めて頂きたい」

▼「小弟」は年少者がへりくだる際に遣う一人称。

 関防は孔萇の慇懃いんぎんな言葉を聞いて馬を停め、近づくのを待った。孔萇は追いつくと馬を下りて徒歩で関防に近寄る。関防も馬を下りてその様子を窺った。

 孔萇が数歩を隔てて拝礼すると、関防も慌てて答礼して言う。

「昨日は互いに英雄えいゆう大徳だいとくの別を忘れて争ってしまいました。その後、靳公きんこう(靳準)よりあなた方のことを詳しく伺い、深く誤ったと悔いて顔を合わせるに面映おもはゆく、急いで立ち去ったのです」

「責は吾が弟の桃豹が知人ちじんかんを欠いて英雄を知らず、諸賢の逆鱗げきりんに触れてしまったことにあります。愚か者のやることととご勘弁頂きたい」

 孔萇は重ねて謝るとさらに問うた。

「諸賢はどこの出身で姓名を何と言われるのか。また、どこに向かわれるのか」

「吾らは仇家きゅうかを避けて成都せいとより到り、恨みに報い恥をすすがんと願って旧知の人を探しているのです」

 その言葉を聞いて孔萇は勧める。

「仇家を避けて旧知の人を探されるとあれば、一朝一夕には求められますまい。あてもなく探し回ったとしても、徒労に終わるおそれもありましょう。まずは吾が家に落ち着いて身を安め、旧知の人の所在を突き止めてから出発しても遅くはありませんぞ」

 その言葉には実が籠もっており、他意があるとも思えない。そこで、六人を呼んで孔萇に引き合わせたが、その言動は慇懃で敬意に溢れている。

 しばらくすると桃豹たちも追いつき、それぞれに進み出て昨日のことを詫びる。王彌たちもまたそれぞれに詫びを入れ、喜んだ桃豹は持参した酒肴を進めようとしたが、孔萇がそれを止めて言う。

「このような野原は深い話をするに相応しい場ではない」

 ついに一同は孔萇の家に戻って宴席を設け、その席で関防たちがそれぞれに姓名と由来を語ると、孔萇たちは起ち上がって拝礼する。

「諸賢が麒児りんじ虎子こし玉珠ぎょくしゅ瓊枝けいしのような貴い生まれとは誰が知りましょう。吾らは誤って市井しせい悪少年あくしょうねんと思い込んでおりました」

 それより孔萇と桃氏の三兄弟は関防たち七人を深く尊重し、年齢の上下に従って互いに兄弟と呼ぶようになった。その後、日がな孔萇の家で談論して兵法を論じ、宿仇しゅくきゅうに報いる方法を講じた。

 家を出れば武芸射猟の訓練に時を費やす一方、孔萇は目端めはしの利く者を四方に遣わし、劉璩りゅうきょをはじめとする蜀漢しょくかんの宗室、それに張家、黄家、趙家、馬家、諸葛家、魏家、廖家の者たちの安否を尋ね求めさせたことであった。


 ◆


▼まめ知識:第十一回までの蜀漢の遺臣たちの所在は以下のとおり

 第一集団 成都城の西門から突破、漢中から安定方面へ

  劉璩りゅうきょ:劉禅の末子、後に劉淵、字は元海と改名

  劉聰りゅうそう:字は玄明、劉璩の長子、姜維に従っていたが所在不明、後段で登場

  劉和りゅうわ:劉璩の次子

  劉曜りゅうよう:劉備の子の北地王の劉諶が劉璩に託した幼児

  劉宣りゅうせん:劉備の養子である劉封の長子、劉劉の兄だがすぐ現れなくなる

  劉伯根りゅうはくこん:字は立本、後段より登場、劉宣と同一人物の疑惑があり、本翻訳では劉伯根で統一する

  劉霊りゅうれい:字は子通、劉封の次子で劉伯根の弟

  楊龍ようりゅう:楊儀の子

  齊萬年せいばんねん:字は永齢、劉備の子の梁王劉理の梁王府の新衛兵を率いていた

  廖全りょうぜん:廖化の子


  第二集団 成都城の南門(『後伝』による)から突破、漢中から酒泉方面へ

  張賓ちょうひん:字は孟孫、張飛の子の張苞の長子、妾腹の子

  張實ちょうじつ:字は仲孫、張賓の次弟、嫡出子

  張敬ちょうけい:字は季孫、張賓の三弟、嫡出子

  趙概ちょうがい:字は総翰、趙雲の子の趙統の長子

  趙染ちょうせん:字は文翰、趙概の次弟

  趙藩ちょうはん:おそらく趙概の三弟、後段より登場

  趙勒ちょうろく:名は朸とも書く、趙概の末弟

  黄臣こうしん:字は良卿、黄忠の子の黄叙の長子

  黄命こうめい:字は錫卿、黄忠の子の黄叙の長子

  汲桑きゅうそう:字は民徳、趙統の征西将軍府に仕える牧馬師


  第三集団 成都にとどまった後、諸葛宣于は酒泉に行き、四人も到着

  諸葛宣于しょかつせんう:字は修之、諸葛亮の子の諸葛瞻の末子

  魏晏ぎあん:字は伯寧、字から推測すると魏延の長子

  魏攸ぎゆう:字は叔達、同じく魏延の三子

  魏顥ぎこう:字は季淳、同じく魏延の末子

  馬寧ばねい:馬謖の子


  第四集団 成都の南門から突破、馬邑縣へ

  王彌おうび:字は飛豹、北地将軍の王平の子

  王如おうじょ:王彌の弟

  関防かんぼう:字は継雄、関羽の子の関興の子

  関謹かんきん:字は継武、関防の弟

  李珪りけい:李厳の孫、李豊の子

  李瓚りさん:李珪の弟

  樊榮はんえい:李珪の母方の従父弟


  第五集団 馬邑縣に在来、第四集団と接触

  孔萇こうちょう:字は世魯、曹操に殺された孔融の子

  桃豹とうひょう:字は露化、武威の義侠、孔萇の義兄弟

  桃虎とうこ:桃豹の弟

  桃彪とうひょう:桃豹の弟

  靳準きんじゅん:西胡出身の宿屋の主人

  靳術きんじゅつ:靳準の弟

  刁膺ちょうよう:馬邑縣の捕兵総管

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