第三回 呉将は郴嶺に晋兵を破る

 諸葛愼しょかつしん周處しゅうしょとともに郴嶺ひんれい関塞かんさいに入ると諸将に命じて軍営を設置し、険隘けんあいの地形に木柵もくさくめぐらして防塁ぼうるいを築き、各隊を守備に就かせた。

 数日後、晋の羅尚らしょう劉弘りゅうこう山簡さんかんたちが十万の軍勢を率いて州境を越える。

 呉の残党など怖れるに足りぬと意にも介さず意気揚々いきようようと軍を進め、廣州こうしゅうまでの道行きに何の障りもあるまいと多寡たかくくっていた。そこに斥候せっこうが慌しく駆け戻って報せる。

「郴嶺の関塞には兵が雲のように軍旗を並べ、険要の地を塞いで前途を阻んでおります。守将の姓はしゅう、名はしょといい、万夫ばんぷ不当ふとうの勇を知られているとのことです。戦わずに通ることは難しく、まずは陣を構えて相対あいたいすべきと見受けました」

 羅尚は進軍を停めて平地に軍営を置いた。


 ※


 翌日には自ら一団の将軍、佐僚さりょうと郴嶺の麓に到ってその様子を視察する。峻険な嶺と崖が重畳ちょうじょうと連なって千ものいわお屹立きつりつし、万仞ばんじんの岩壁は鳥でさえ容易たやすく抜けられそうにない。

 その鞍部あんぶに一條の道がついており、一人の勇士が道を塞げば、一万の軍でさえ無事に抜けられぬ難所のていをなしている。

 羅尚は将佐とともにその様子を眺め、天を仰いで慨嘆がいたんした。

天嶮てんけんの山路に加え、間道かんどうにも洩れなく呉兵がたむろしている。百万の兵があっても地形は如何いかんともできぬ。郴嶺をえるため、どうやって敵を平地に誘い出したものやら」

 突如、つづみの音が天を震わせて山上の関門が大開するや、軍旗を翻して一人の大将が姿を現した。雪のように白く磨ぎ上げられた大刀をかざして駿馬に跨り、その威は獲物を追う虎の如く、勢いは襲いかかるひぐまの如く、山道を一散に駆け下ってくる。

 その後ろにつづく帛奉はくほう莞恭かんきょうが率いる軍勢のときの声が山岳を揺らした。


 ※


 羅尚が軍列を整える暇もなく、早くも先駆せんくする周處が晋兵の列に突っ込むと大刀を車輪に回し、あたるを幸い斬りたてる。晋兵は見る間にたおれて屍を重ねた。

 晋軍から衝鋒しょうほう将軍の兪賛ゆさんが勇を奮って突出し、大刀を手に馬をって斬りかかる。二人は陣頭に鋭鋒えいほうを競い、戦場を駆け回って戦うこと三十余合、互いを狙って大刀を振り下ろせば、兪賛が馬から斬り落とされた。

 晋兵はその様を見ると怖れてさらに軍列を乱す。

 ついで晋将の弓欽きゅうきん大音声だいおんじょうに名乗りを挙げ、迫る周處を迎え撃つ。後詰ごづめの帛奉、莞恭の二将は勢いに乗じて晋の軍列に斬り込み、羅尚の本陣目指して突き進む。

 羅尚は劣勢におどろいて刃を交えるに及ばず、陣を捨てて真っ先に逃げ奔った。

 主将を失った晋兵は動揺してはらが座らず、呉兵は勇み立って攻めたてる。さんざんに斬り崩された晋兵は鎧兜よろいかぶとを捨てて逃げ出し、しかばねを収める暇もなく二十里(約11.2km)ほども後退した。

 ようやく軍を立て直して敗卒を集め、点呼してみれば兪賛をはじめ万余の兵を喪っていた。

▼「里」は距離を示す単位、一里は千八百尺(約560m)に相当、尺は明の基準で換算して併記する。


 ※


 羅尚がいきり立って叫んだ。

仔細しさいを上奏して援軍を乞い、兵を増して郴嶺の呉兵どもをほふってやる」

 それを先鋒を務める周旨しゅうしが推し止める。

聖上せいじょう明公めいこう(羅尚)を大将に任じて平定を委ねられました。わずか一戦で増援を乞えば、委任に背くのみならず、みだりに朝廷を動揺させて居並ぶ大臣に怯懦きょうだわらわれましょう。明日ふたたび一戦し、勝ちを得れば勝勢いに乗じて郴嶺の関塞を破れましょう。万一敗れるようであれば、その時に増援を願っても遅くはありますまい」

▼「聖上」は臣下が皇帝を指して言う場合に遣う。

▼「明公」は部下が刺史や元帥などの上官に呼びかける二人称。


 ※


 晋の諸将は軍議を開き、出戦の可否をはかった。諸将の列より山簡が進み出て献策する。

「明日の戦では埋伏まいふくを用いて敵を誘い、呉兵を打ち破りましょう。應詹おうせん将軍は兵一万を率いて呉陣の左に伏せ、皮初ひしょ将軍は兵一万を率いてその右に伏せ、弓欽将軍は兵一万を率いて大道の左に伏せ、陶鎔とうよう将軍は兵一万を率いて大道の右に伏せるのです。周旨しゅうし先鋒は兵一万を率いて敵前に出て戦い、劉弘将軍と元帥は兵二万を率いて後詰ごづめとなって頂きます。関塞に挑んで周處が出戦すれば、先鋒は力の限りに応戦し、戦たけなわの頃に偽って逃げ出すのです。愚かな周處は伏兵を疑いもせず追撃しましょう。大道に誘い出せば、合図の金鼓きんこを鳴らして伏兵を発し、前を弓欽将軍と陶鎔将軍が阻み、後を應詹将軍と皮初将軍が断てば、周處をとりことすること、袋の中の玉を取り出すのと同じようなものです」

 居並ぶ諸将は膝を打って賛同し、それぞれの役目を確認して翌日の五更ごこう(午前四時)に時を定める。策を漏らさぬよう約して軍営に戻ると、夜明けにはそれぞれの伏処ふくしょに向かった。

▼「五更」は夜を五つに分けたうちの最後にあたり、一更は午後八時、二更は午後十時、三更は午前十二時、四更は午前二時、五更は午前四時に相当する。以降、これらはすべて時刻を併記する。


 ※


 翌日、周旨と羅尚が率いる軍勢は郴嶺に向かい、兵に命じて大いに周處を罵らせた。さらに山も震えよとばかりに金鼓を鳴らして呉兵を挑発する。

 周處は怒り心頭しんとうに達し、関塞から打って出て晋兵を蹴散らそうとするも、諸葛愼が厳しくいさめた。

「敵兵が叫んで将を罵るのは、戦を誘っているのです。計略に陥れるため、何とか吾らを怒らせようというのでしょう。山上の関塞にある吾らは意に介するに及ばず、ただ険要の地を守って敵の進軍を阻めばよいのです。見境みさかいなく兵を出してはなりません。少なくとも正午までは好きにさせておき、晋兵に疲れが見えるのを待ちましょう。その時、逆落としに襲えば蹴散らせます。そうすれば、晋兵は畏れてこの郴嶺を仰ぎ見られなくなるでしょう」

 周處は諸葛愼に抑えられて出戦できず、そうとは知らぬ周旨は呉兵に戦意なしと観て、罵詈ばりを放つと軍勢を返した。

 呉兵はただ戦意を抑えて日が高くなるのを待ちかねている。一方の周旨は兵に命じて甲冑を解き、甲羅こうらに籠もる亀など恐れるに足りずと塞下でさらに罵らせた。


 ※


 周處は我慢がならず、諸葛愼に詰め寄って言う。

「晋兵の無礼に罵詈雑言ばりぞうごん、どうしてこれをえられようか。山を駆け下って晋将の二、三人も斬り殺さねば、吾が怒りの晴らしようがない」

 諸葛愼は心中で晋兵の思惑おもわくに乗るのを嫌ったが、周處の激発げきはつを懸念して譲ることにした。

「打って出られるのがよろしいでしょう。将軍が晋将を斬れば、晋兵は戦意を失います。その時は勝勢しょうせいに乗じて追撃してください。それは実に吾が軍を怖れてのことです。しかし、将軍が関塞を出るや敵が整然と退き、刃が晋将に及ばないようであれば、それは計略です。追撃せず兵を返してください。次の方策を考えますので、ゆめゆめ深追いなさらぬよう」

 出撃を許したものの、敵の計略を見破る方策を伝えて無謀をいましめた。周處が請け合って出て行くと、さらに莞恭と帛奉を呼んで命じる。

「お二方はそれぞれ一万の兵を率い、山を下って周先鋒(周處)の後詰について下さい。周先鋒が勝ちを得て追撃するようなら、その後ろから整然と軍を進めて晋軍を威圧し、伏兵があれば挟撃して攻め破るよう願います」

 周處はすでに戦仕度を終えて門を開き、五千の精鋭の先頭に立って山道を駆け下っている。その姿は天神が空から飛び下ってくるかの如く、猛然たる勢いを見た周旨は兵に厳戒げんかいを命じて迎え撃つ。


 ※


 周處の馬頭ばとうが晋兵に接する直前、周旨は大音声だいおんじょうに叫んだ。

「そこなる将は周子隠ではないか。吾は周旨原しゅうしげん(旨原は字)である。今や敵となったが将軍とはもとより同族、戦の前に一言物申ものもうす。聞くつもりはあるか」

「まず申してみよ。言が理にかなうならば面と向かって話してやろう。理に適わねば、諸葛子瑜(諸葛謹しょかつきん)と孔明こうめい諸葛亮しょかつりょう)の如く血を分けた兄弟であっても国事こくじが先んじる。同族など問題にもならぬ」

「格別の話というわけではない。今や呉の天禄てんろくはすでに尽きて天命はまったく晋に帰し、それゆえ一戦にして呉の国都は覆った。将軍は諸々の俊英とともに報国の忠節をいだくも、呉主ごしゅ孫皓そんこう)が洛陽らくようにいては再興もなるまい。後漢ごかん馬援ばえん竇融とうゆう敵手てきしゅであった光武帝こうぶていに従い、雲臺うんだいの宮殿に描かれた二十八人の名将に名を連ねた故事にならい、ともに大晋に帰して功業を建てるのもまた美談ではないか」

▼周旨が言う「二十八人の名将」は雲臺二十八将を指す。後漢ごかん明帝めいていは父の光武帝こうぶていに仕えた諸将のうち、特に功績が高い二十八名の画像を雲臺うんだいに描かせた。これを「雲臺うんだい二十八将にじゅうはっしょう」と呼ぶ。なお、馬援と竇融は西北辺境の涼州りょうしゅうにあって自立していたが、後に光武帝に帰順した。

「主上はその性残虐ではあったが、国を破るほどの悪行は犯していない。それにも関わらず、晋は恩徳によらず兵威により征服した。吾らは東南の僻地へきちに呉の祭祀さいしを保ち、臣下としての節を尽くすのみである。しかし、お前たちは貪婪どんらん飽くことなく、この廣州まで支配せんと欲している。それゆえ、馬を揃えて一戦に雌雄を決そうとしているだけのこと、多言たごんは無用、ただ馬を進めて首を打たれに参るがいい」

 周旨のねんごろな勧めを周處は峻拒しゅんきょした。


 ※


 周旨が刀を振るって斬りかかり、二人は一意いちい専心せんしん、馬上に武勇を競って刃を交わす勢いに天はくらく地も歪み、悪戦苦闘の四十余合を重ねる。

 周旨は偽り逃れる頃合と見て周處の刃を止めようと試みるも、周處の強力ごうりきに打ちめられて支えきれない。ついに一刀が大刀をへし折って肩骨に突き立った。

 周旨は刀を捨てて逃げ奔り、呉兵は鬨の声を挙げてうしおのように攻め進む。

 周旨の後詰を務める羅尚と劉弘は、連日の合戦に晋将を斬ってなお矛を収めない周處の勇猛を思い知り、くみやすい敵にあらずと覚って逃げ出した。

 主将を失って乱れたところに呉兵が襲いかかり、指麾しきする者もない晋兵は算を乱して逃げ奔る。後を追う周處が晋軍の伏処に追い到った。

 兵を伏せる弓欽、陶鎔は合図もなく現れた周處に不意を突かれた上、逃げる羅尚と劉弘の軍勢に引きずられ、伏兵を発することもなく風を望んで逃げ出した。

 周處の後詰となって伏兵を警戒していた莞恭と帛奉もつづいて到着し、晋兵が算を乱して何の策もないと見切るや、周囲への警戒を解いて追撃に専念する。

 奔走する晋兵は互いに踏みあって死者は数え切れず、呉軍はそれを三十余里(三十里は約16.8km)も追って晋軍の輜重しちょうや糧秣を奪い取ると、兵を返して郴嶺の関塞に引き上げた。

 羅尚が兵馬を点検したところ、この一戦でまた一万余の兵士を喪っていた。

 それに加えて、輜重を奪われては戦のつづけようがない。諸将は相談すると、兵を慰撫して守りを固める一方、洛陽に使者を遣わして増援を願い、朝廷からの指示を待つと定めたことであった。

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