第二回 呉将は郴嶺の軍営に方略を諮る
晋の
その際、
「孫皓は陛下の御命令に従いましたが、なおいくつかの州郡が抵抗しております。すみやかに軍勢を遣わして平定すべきです。
晋帝はその上奏を
▼「嶺南」とは、
また、
▼「廣州」は現在の
▼「交州」は現在のベトナム北部にあたる。
▼「湘東」とは、南から長江に注ぐ
▼「建平」とは、湘水の合流地点から長江を溯上して
※
この時、
▼「陸晏」は史実では
その父は晋の
その副将に
「急ぎ
陸晏もその意見に同じ、使者を蒼梧と始興に遣わすこととした。
▼「廣州」の
日ならず王毅と閭曹が軍勢を率いて廣州に到り、陸晏に会する。また、
諸将が
陸晏は彼らを招じ入れると、
▼「交南」とは、交州南部と解されるが、交州の州治は
莞恭が
「建康は晋の王濬が率いる大軍に陥れられ、
▼「主上」は臣下が主君を指して言う場合に遣う。
一座の諸将はこの言葉を聞くと顔を覆って
「
陸晏がその言葉につづけて言う。
「諸公にその意志があるならば、この廣州を離れてはならぬ。察するに、日ならずして晋兵が到ろう。この地を守り抜くならば吾らは
陸晏の言葉に姚信が勇み立って応じた。
「列席の諸公は国家の忠義の臣であり、東南地方の重鎮です。ただ心を一にして助け合い、ともに晋兵を退けるとあれば、何を憂えることがありましょうか。功名を建てることとて甚だ
宴席が果てて諸将は陣営に戻り、翌日ふたたび参会することとした。
※
翌日の軍議の席で陸晏の
「
「吾らは代々呉の俸禄を
陸晏がそう応じると、王毅も賛同する。
「陸廣州(陸晏、廣州は官職名)の忠肝と誠実は
それを聞いた陸晏は浮かぬ顔で懸念を口にした。
「晋が
それよりほどなく、早馬が城に駆け込んで報せる。
「羅尚を元帥とする十万の軍勢が長沙の大道よりこちらに向かっております。日ならずして州境に到りましょう。百姓を
陸晏は報告を聞くと、防禦の方策を講じるべく軍議を開いた。
※
軍議の席で諸将の列より一人が進み出て言う。
「今、晋軍は一路によって攻め寄せております。まずは猛将を選んで一万の兵を与え、
▼「郴嶺」という地名は史書にない。長沙から湘水を南に遡って五嶺を越えれば廣州に到り、五嶺は郴縣の南にあって頂から廣州までは
この人はすなわち、陸晏の従弟、
▼「陸玄」は陸抗の子として名のみ伝わり、事跡を欠く。
▼「南蠻校尉」は『晋書』│
「
▼「賢弟」は年少の兄弟はまたは親戚を呼ぶ際に遣う二人称。
陸晏の言葉が終わるより早く、一人の大将が進み出た。生まれつき豹のように締まった顔立ち、虎のように太い
これは
▼魏晋の一尺は24.12cm、著述された明代は31.1cmに相当、以降、尺は明代に従って併記する。
陸晏が郴嶺の守備に
「
▼「小将」は武人が遣う一人称、
陸晏は周處の言葉を聞いて言う。
「子隠が郴嶺に行ってくれるのであれば、もはや心配はあるまい」
周處を先鋒に任じると、
その出発にあたり陸晏は盃を挙げて
「郴嶺は
「ご懸念には及びません」
「周将軍(周處)が出馬するのであれば、東南地方の民も安んじておられよう」
陸晏と周處の遣り取りを聞き、傍らの陸玄が陸晏に耳打ちして言う。
「すでに決まったこととはいえ、子隠は性剛猛なるがゆえに敵の挑発に激するか、無謀に付け込まれて計略に陥る
「誰を参謀として遣わすべきだろうか」
「
▼諸葛瑾の子は
▼「司馬」は刺史に属して軍事を総括する官だが、ここでは軍参謀の意と考えられる。
陸晏はその言を
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