通俗續三國志
一章 三国時代終わる
第一回 王渾と王濬の二将は大いに平呉の功を争う
昔、
それゆえ天下の万民は心を寄せ、ついに
その劉邦が建てた漢王朝も遂には
幸いにも
※
栄えたものは枯れ、盛んになったものは衰えるのが万物に通じる
幸い、天はいまだ漢王朝の徳を見限っていなかったか、
それのみならず、天は
※
千年の時を過ぎた今に至るも、なお史書を読んだ人の心は
事ここに至るも天は漢の火徳の
漢を
※
呉平定の報を受けると、晋の朝廷では群臣が祝賀の上表文を奉じてこれを祝い、その騒ぎの中にあって
「これもひとえに今は亡き
▼『
晋帝をはじめとして朝廷の誰もが呉の平定を祝賀する中、呉から降った
「その昔、
※
孫秀は
「昔、
この言葉の通り、司馬氏の天下は孫秀により乱されることとなった。
▼「薛公」とは、
▼三国時代の末に孫秀は二人いた。『
※
呉の平定に
重臣の
「呉への出兵は
晋帝はその意見を
「張華の計は
朝廷の外に目を転じれば、出兵を主張したのは張華に止まらない。対呉戦線にあった
▼「杜預」は通常「とよ」と読むべきであるが、『
このような経緯から、呉が平定されると賈充は大いに
※
ついで、
呉の
これより
この時、王濬の船団はすでに
▼「三山」は先に
王渾は王濬の動向を知ると殊勲を奪われるかと
この日、王濬の軍勢は
▼「朱雀航」は橋であり、建康の南面には東西に流れる水路があった。その水路を西に下ると石頭城に到る。
王濬は洛陽に使者を発して
※
翌十六日、王渾が長江を南に渡ると、すでに王濬が孫皓の降伏を受けており、城に入って民を安撫している。その王濬も軍営に不在であると知ると、憤激して罵った。
「なんとふてぶてしい
▼「老賊」は他人を罵る際に用いられる。
王濬が
「吾らが死力を尽くして
▼「版橋」を『通俗』と『後傳』はともに「
▼「張咸」は『三國志』陸抗傳に
▼「張遵」は不詳。同じく陸抗傳に
王渾はいよいよ怒りを
「昨日、水軍が三山を過ぎたと聞いたため、吾は元帥の任として王濬を迎えて協議せんとした。王濬は呉の
属将たちがさらに煽りたてる。
「元帥は勅命を奉じて諸軍を統制される身、軍権は元帥にあります。みだりに軍令に違反した者を罰して
王渾は
※
王濬も王渾の
「吾が身すらも
王濬の幕僚である
「そうではありません。今、将軍が
王濬は激しく憤っていたものの、何攀の言を納れて王渾に和を乞うた。王渾もまた兵を収めて攻めなかった。
それでも、王渾は功を奪われたと
「王濬は孫皓の
王濬もまた上奏して無罪を訴え、晋帝は、王濬が王渾とその党与に讒言を構えられて進退に窮していると察した。ゆえに王濬は罰せられるに至らず、ただ王渾の統制に従わなかった責を問われてその余は不問とされた。
それでも王渾は度々上表し、功を争って止まない。晋帝はやむを得ず、賈充と王渾にそれぞれ
ともに江南に出征した杜預、王戎も等しく縣公に封じられ、その他の将士も多くが功を論じて封賞されたことであった。
▼爵位には公侯伯子男の五等があってそれぞれ
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