/*************************************/


 主の恵みが、一同の者と共にあるように。


 ――ヨハネの黙示録 最終章 最終節。


/*************************************/



 思うに未来において時間跳躍などの技術のたぐいは既に発見、実用段階にあると私は考えている。


 それに対し過去現在の私達の時間軸においてそれが確認されていない――いわゆるパラドックス的な反証を試みることは可能だが、それには大きな誤謬がある。それは、我々がパラドックス自体を認識できないということだ。


 いや、違うな。そもそも我々が認識できるパラドックスなどどこにも存在しないと言えばいいか。


 認識しないものを我々は知り様がない。そして、認識しないものは存在し得ない。


 結論はこうだ。パラドックスは決して起こることはない。


 パラドックスに先立つパラドックスの本質があれば話はまた別だがね。


 話を戻そう。


 つまりどういうことか。それは時間跳躍はあるということだ。


 ん? ……どうしたのかね。……話が矛盾している?


 ふむ……。そうさな……。

 君は唯物論と認識論を取り間違えていると言ってもいい。


 君のその主張は、ある事象に対して君の認識がまったく独立した作用を持つと言うことになる。しかし、それはおかしい。実際に起きた現象と我々の認識に相関関係はない。事象は論理の手を借りることはない。


 だが、そうだな、君の理論は……。ははは……面白い、実に。くくっ……いや、すまない。こちらの話しだよ。


 随伴現象説という奴だな。わかるかね、これもパラドックスなのだよ。


 現象判断のパラドックス。

 君はパラドックスをパラドックスをもって問いかけてきたのだ……。これはなかなかできないことだよ。


 まぁ良い。

 今の質問で把握した。君の一番の関心事はこの世界の真の在り様についてだ。違うかね。


 そうだ。君とて、あの光景……。そして、つい先ほどその指先で行った処置について、まさか疑うことはなかろう。


 端的に言おう。結論としてとして時間跳躍は何度も行われている。

 その度に世界に“繰り返し”が生じ、次元が分裂している。だが、だれもそのことには気づかない。我ら以外は誰一人として。


 それは何故か。すでに我々の世界は時間跳躍によって改変された上での世界だからだ。我々が時間跳躍を認知する前に、その認知はこの世界を改変されたものとしてすでに完遂しているというわけだ。


 だから、我々はそれを認識することはできない。


 根本的な話を言うと……時間やそれに類する高次元を理解するには我々のこのちっぽけな灰色脳細胞では足りないのだよ。


 ある賢人は言った、脳に瞳を持つことだ。確かにそうだ。我々には、高度な階層構造を認識するような次元認識能力は与えられていない。


 そして、それがもし認知できるようになったとし我々は我々のままでいられるだろうか? 答えはノーだ。


 人類が時間やそれに類する高次元を認識し理解できるようになった時、我々はそれに付随した上位意識メタウェアを得ることになるだろう。


 それはつまり進化だよ。

 脳機能が拡張されれば意識も拡張される。当然の帰結だ。


 そして、上位意識メタウェアを備えた人類はもはや人類ではない。種の新たな枠組みに一個の根を下ろした新生知的生命体だ。


 仮にそれを新人類としよう。

 

 その新人類は旧人類とはまったく別の生き物だ。それこそ次元が違うと言ってもいい。彼らの認識と我らの認識は、決して交錯することはない。


 それはつまり、我々は彼らを認識することはできないということだ。彼らは彼らで、彼らの世界の規範に従って存在する。既存の物理法則や時間を超えて、彼らは超越法則に従い調節世界を超越叙述する。


 君は人間だからと言って、アリや微生物の世界にわざわざ介入しようと思うのかね?


 そして、逆にアリや微生物の世界が、我々の世界を認識し、人類の介入を感覚するだろうか?


 またしてもノーだ。彼らは自らが実験室やシャーレに入れられたことには気付くことはない。ただ単純な環境というものに翻弄されるに終える。ある規範の中では別の規範は規範足りえない。


 法律は法律の外にあるからこそ法律として機能する。ルールがプレイヤーと同じ土俵に立てば、それはつまりゲームの崩壊だ。だとしたら、ルールはルールであるからこそ、そこにはいられない。


 よって、彼らは彼らの規範の中で生き、死ぬ。人間という上位存在に脅かされたとは気付くことはないだろう。


 同様に、もし我々が新人類に脅かされたとして、我々は我々の規範の中でしか死ぬことはできない。


 見えざる神の手も感じることはなく人々の相互作用の結果、些末な形として死を迎える。あるいはその死にすら気付かない。


 そもそも我ら人類は死ぬことにすら“気付く”ことができない脆弱な認知能力の持ち主ではないか。


 彼らのアプローチに対しても同じことがいえる。新人類が時間を跳躍して我々に何らかのメッセージを送ったとしよう。そのメッセージは既存の物理法則に従ったものにはまずならないはずだ。


 そもそも時間跳躍自体が既存の物理法則には従っていないのだから。それは、つまり我々の認識ではそのメッセージ自体を受け取ることはできないということだ。


 わかるかね。単純なことだよ。四則演算を理解できない子供が一般相対論を、超弦理論を、理解できるかね?


 答えはできないだ。隔絶した事物の相関は、その相関自身でさえも追いようがない。


 だからこその私たちなのだよ……。


 これは賭けだ。十万分の一の。

 その確率でこの膜宇宙は“ゆらぎ”を起こす。他の膜宇宙と衝突し、すべての事象面を揺るがすイレギュラーを起こす。


 それこそが我らの目指す救済の時。ラグナロク……。この“繰り返し”が破綻する唯一の不確定な未来……。


 私はひとしきり語り終えるとそこで奥歯を抜き去った。


「ふむ、385……か。因果なものだな……」


 そうして、私は君にもわかるよう歯の数字を読み上げた。

 引き抜いた大臼歯は上部を始まりとして永久歯で数えて十三番目の位置。


 そのとき私はようやく達したと言えた。

 あのとき2702回目に引き抜いたちょうど反対側の大臼歯へと。


 救済に至るには、まだ下側の歯の数だけ繰り返さなければならない。時間は一秒でも惜しい。


「さぁ、早くそのページを捲り給え。今なら、できるはずだ。君はもう“気付いている”だろう?」


 私はそうして君に語り掛ける。そう、いま目の前にあなたに……。



 ――『聖ラザロの復活』 終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

聖ラザロの復活 ともども @ikuetomodomo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ