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 終りの日に次のことが起る。


 ――旧約聖書イザヤ 2章 2節


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 目を開けると、そこは古びた倉庫のようなところだった。


「え……」


 俺は瞬間、その場に立ちつくして辺りを眺めまわした。


 目の前には整然と並ぶ自動車。ほとんど外車だ。

 ベンツに、キャデラックに、アストンマーチン、骨董品のロールスロイスまであった。


 そのとき薄氷を踏むような音がして俺は振り向いた。真後ろにシボレーが止めてあった。1974年型。


 そのフロントガラスに蜘蛛の巣が張ったようなヒビが入っている。


 俺はそこでしばし考えていた。といっても、思考はまとまらない。


 ただ何かの続きのような感覚がいやに頭から離れずに俺はその場に釘付けになってしまった。


 そのとき不意に声がした。


「ドーナツ、ドーナツ」


 心の中であっと声が上がった。

 それは日常の中、関わると碌なことがなかったという経験則に基づく内なる警告。


 予言にも似た何か。


 そこには潰れたカエルを思わせる顔の子供がいた。


「イザヤ……」


 光景が流れ込んできた。


 幾千もの、俺。幾千もの、月。そして、幾千もの“繰り返し”。血、ナイフ、銃弾、死体、哄笑、怒り、悲鳴、絶望……。


 そのすべてが一挙に俺の中へと流れ込んできたのだ。


 俺はそこで“気付いた”。これは超感覚的な知覚。どんな記憶や経験にもよらない。この超越世界を唯一、回るものとして認識する俺のささいな直感。


 ――2702だ。


 そう、ここが2702回目なんだ。


「ああ……。そうか……」


 俺は一人ごちる。


 そうだ。ここがどうかなんてのは些末な問題だ。重要なのはここが何巡目かということだけ……。俺があの光景の中でいくつ、この現実を繰り返してきたかということだけだ。


 確認のため、俺は自分の奥歯を抜いてみた。ごりりっと音がして、奥歯は肉の糸を引いたまま抜ける。


 そこには微かに、微かにだが数字が浮かび上がっていた。


 ――2702。


 計算は間違っていなかった。


 俺は、確かに戻ってきたのだ。奴の、イザヤもとへと。この円環をぐるっと一周して。


 「くくくっ……」


 乾いた哄笑が口をつく。


「くく、ははは……」


 虚無を超えた真空が俺を突き刺す。


 ――実験は大成功ってわけだ!


 声が枯れるまで笑い続けた。おかしくてしょうがない。この世界の真実をこんな形で知ることになろうとは。そしてまた、奴の言うループというのがここまで綿密に組まれたものになろうとは。


 俺はこれから奴と同じように“繰り返す”というわけだ。この場所を……今まさに俺が立っているこの場所を起点にして。


 どうすればいい――この言葉はたしかに呪文だった。俺を歪んだ時間間隔のもとへ導く預言の言葉だった。


 俺はイザヤの前に屈むと既に空洞になった奴の右目へと指を突っ込み、かき回した。


「起きろ」


 イザヤはびくびくと痙攣し、口から血の混じった泡を飛ばす。直後、イザヤの無事な方の左目がぐりんと一回転すると、奴の現実が俺の姿を捉えた。


「なんだ、君か……。随分、荒っぽいじゃないか……」


「黙れ」


 俺は短くそう応えると、二つの歯をイザヤに投げ渡した。


「お前の勝ちだ」


 片方は俺の歯。もう片方は2701回目の世界でイザヤ自身が抜いた歯。


 どちらも数字が一つ増えていた。


「……」


 イザヤはそこで目を見張ると、静かに「そうか」とつぶやいた。


 そのまま染み入るように深く目を閉じると大きく息を吐いた。一筋の滴が頬を伝った。


「満足か」


「ああ……」


 俺は銃口をイザヤの額に押し付ける。引き金を絞る最後の瞬間、イザヤは一言、


「巻き込んですまない」


 そして、俺は引き金を引く。伊左を殺したとき同様、何の実感もわかなった。




 それから俺は自身の傷の応急処置を始めた。

 俺の腹には伊左に打たれたことによる銃創がある。間接銃創、ガンパウダー無し、弾丸はスチールジャケット。


 俺は作業台に置いてあったペンチをピンセット代わりに腹部から銃弾を摘出する。


 所感からして弾は内臓を傷つけてはないようだ。

 内臓、とくに肝臓など重要な臓器が傷つけば、そもそも血圧が低下してこうして立っていることすらままならない。


 だが、銃創である以上、腹膜は損傷している。

 止血後に、何らかの処置を講じなければ敗血症などに発展する恐れがある。


 俺は作業台に置いてあったガストーチで腹部の傷を焼くと止血した。


 痛みは、すでにコントロールできつつある。

 イザヤのいった五感の選択を、俺は感覚的に会得し始めていた。


 あの繰り返す風景で俺はその“気付き”を得た。


 この“繰り返し”を経て、今や俺の現実感覚は何千倍にも希釈されている。時間は絶対的なものだが、感覚は相対的なものだ。


 それはつまり一般的な人間の何千倍もの時間を経験している俺には、それだけ五感や感覚に対しても裁量権があるということだ。


 子供の頃あんなに痛く思えた注射も大人になればそれほど感じなくなる。それと同じことだった。


 俺は腹部に簡易の包帯を当てると拳銃を構えつつ、恐る恐る外の様子を窺った。併設された事務所の窓からは、すぐに銀のクラウンを補足することができた。


 経理の金井は運転席で拳銃を持ち、待機していた。


 俺は関係者用の裏口から出ると、ちょうど金井が車を出て事業所に歩いていくところだった。


 俺は静かに車に近づくと、運転席側から助手席にいた男の頭に発砲した。

 パカンと奇妙な音と共に男の頭が吹き飛んだ。幸い、助手席側の窓が開いていたおかげで車内がぶちまけた何やらで汚れることはなかった。


 そのまま運転席側に座るとエンジンをオンにして待機する。銃声が聞きつけた金井が慌てて、ガレージから飛び出してきた。


 俺はそれをヘッドライトで照らしてやる。

 ちょうど、先の――2701回目の俺みたく金井は手で目を覆い真っ白い光の中で立ち止まった。


 俺はその向こう側、驚愕に目を見張る金井に向かって引き金を弾いた。


 銃弾はある種、奇妙な静止時間の中を彷徨っていた。

 それはイザヤのいうところの第六感という奴かもしれないし、ただ単に俺の胴体視力の賜物だったかもしれない。


 まず、ゆっくりと銃弾が金井の頭部にめり込んでいく。

 次に眉間の真ん中へ入射した銃弾が空洞を作り、その虚に刹那、金井の顔面が凝集するように吸い込まれていく。


 その後はいつもの光景だった。


 飛び込んだ銃弾は脳味噌をぐちゃぐちゃにかき回し、その後、反対側から血飛沫と脳漿を引き連れて勢いよく飛び出していく。


 金井は力なく頽れて、前のめりに倒れ伏した。


 死体は助手席の男ともども、重りを付けて海に投げ込んでおいた。


 俺は金井が海に沈んでいくを見届けると車に乗り込み発進した。

 港を出る際にすれ違ったパトカーは車上で光り輝く赤色灯を見るとそのまま素通りしていった。


 俺はそこでようやく緊張を解き、シートの背もたれに背中を付けた。


 そこで俺は考える。あの実験のことを。


 ――俺は賭けに負けた。


 イザヤが証明したのは、この世界の真の在り様といっても過言ではない。


 そしてそれは、俺がこれから歩むことになる途方もない時間に対しても同様に適用されてしまった。


 そう、世界は“繰り返している”。


 この宇宙が伸び縮みする一つの膜であるという理論。

 その理論では、俺たちの世界はその伸び縮みによって行ったり来たりするただのレコードテープのようなものだった。


 そこでは俺たちの自由意志や選択といったものはどこまでも薄っぺらな空虚となる。


 理由は簡単。何かを選択するということはそれだけこのテープを入れ替えることに相当するからだ。


 俺たちの毎分毎秒毎刹那の選択の分だけ、たくさんのテープがあり、たくさんの過去があり、たくさんの未来がある。


 だからこそ、この“繰り返し”は空虚だった。無意味といっても差支えはない。


 それがどんなに自己の内発的衝動によって行われた確固たる意思の表明だとしても、それは決まりきった一つのプロトコルにしか過ぎない。


 俺たちはレコーダーの再生ボタンに合わせて進むだけ。

 そして、どれだけいっても働きアリの欺瞞、その延長線上を抜け出せず、ぶらぶらとこの永劫回帰を放浪し続ける。


 それがこの宇宙の無常な真実だった。


 やがて車が港を抜け、仄暗い海を臨む海岸線を走り始める。

 ここまでくれば安心だ。俺は窓を開け、車上に取り付けた赤色灯を回収する。


 ふと海の彼方を見ると、曙光の光が地平線の果てから一筋差し込んでいた。


 まるで天上から降り注ぐ光のヤコブの梯子だ。

 天使が上り下りしているという天から地まで至る梯子、あるいは階段。


 俺はそのとき初めて車内のカセットから流れてくる音楽に意識を向けた。


 レッドツェッペリン『天国への階段』。


 流れてきた歌詞が言った。


『曲がりくねった道を下っていくとき、僕たちの影は魂よりも高くなってる』


 確かにそうだった。


 俺の実存はいまや魂よりも高い位置に到達しようとしている。


 未来過去現在、そのすべてを超越した神ならぬの神の意識をもってこの世界を睥睨する存在。


 俺の意識はより上位の世界へと昇ってく。そこは影の世界だ。誰一人いない円環……悠久の時だけが刻む孤独な世界……。


 だが、不思議と穏やかな気持ちだった。

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