6月14日 接近戦:加美洋子「えっ」

斎藤卓哉


 今日も歩いて出勤した。ちょっと暑いがゆっくり歩けば良い。もうそういう年齢なのだから。

 昨夜、教頭先生から工作が失敗に終わった旨報告があった。放送は聞こえていたから別に驚きはない。それ自体は彼らのガス抜きのために認めた事だったからさほど気にはしてない。そんな事はおくびにも出さずに日暮先生にはもう何もするなと厳命した。

 自分の教員生活の最後の最後でまたこういう事になるというのは因果かな。そう思うと自然と笑ってしまった。


 校内に入る。掲示板が眼に入ったので立ち止まって見た。吉良さんの陣営のポスターに追加の貼り紙がついていた。

「古城さんの制服改革公約を支持します」

そして小さな字で理由として制服の追加と着こなしの是正は並立すると考えを改める事について謝罪と支持を訴えていた。

 これを読んで思わず微笑んでしまった。時間的に厳しいので反撃が届くか分からないが、どうしてどうして闘志がある。

「政治」というほどではないけど生徒自治会長というポストを目指す人として必要ないい資質を持っている。教頭先生と宮本先生、というか多分宮本先生だろうが、吉良さんを見込んだのは中々見る目があったのだな。


加美洋子


 今朝は古城先輩と校門で最後のお願い挨拶を予定していたので朝早めに登校した。一旦バッグ類を教室に置こうとして校内には行ったら北校舎の掲示板の選挙ポスターを見た。何か変わっている。

「えっ」

 思わず声が出た。何これ。吉良さん、ぜんぜん死んでない。闘志満々だ。大慌てでスマフォを取りだしてポスターの写真を撮ると陣営全員に同報メッセを入れた。


カミ:中央校舎の下駄箱の吉良陣営のポスター更新されてます。写真送ります。

ミフユ:加美さん。もう私は学校入っているから。どうやら正門と教室を回る作戦を採るみたい。1年生の教室の方に松平さんが行くのは見たから。あちらはやる気満々だね。受けて立ちたいからすぐ正門に来てくれる?

カミ:了解。

肇:俺はもうすぐ学校に着く。じゃあ、俺は3年の方を見てくるよ。

陽子:私はあと10分ごめん!2年の方を見るから。

姫岡:僕もあと10分ぐらいかな。

肇:姫岡、着いたら陽子ちゃんと合流してくれ。

姫岡:OK

秋山:今見た。校内にいるよ。朝練は抜けた。じゃあ、私は肇くんと合流するね。先輩とか知ってるし。

肇:助かる。


 こうして生徒自治会長選挙史でも有数の激戦の日が幕開けになった。


渡悠紀夫


 昨日は選挙事務所には行かずに帰った。もうお手上げだろうと思ったのだ。ところがだ。古城陣営の運動員が二人が教室にやって来て「明日の投票は古城さんをお願いします。吉良さんも制服改革は手がけるとの表明をしました。古城さんは不条理と不合理に対して戦います.是非支持をお願いします」と訴えると頭を下げて隣の教室へと向かった。

 あ、あいつら諦めてないのか。大した事はせず昨日は帰ってしまったのは、そんな事でいいのか。そう思うとスマフォを出して水野に電話した。

かなり嫌そうだったが、古城さんの制服改革を取り込むと吉良さんが決めたと言われた。

「なんてアピールしている?3年は回るよ。今更だけど少しは手伝わせてくれ。昨日は悪かった」

「先輩にメッセで追加公約を送りますから、3年はお願いします。1,2年回るので多分吉良さんは時間切れになりますから」

「分かった。昼は彼女3年を回るのか?」

「そのつもりです」

「分かった。その事を踏まえて案内して回るよ」

メッセが届くのを見て、おもむろに教壇に向かった。

「ごめん。みんな。ちょっと聞いて欲しい。選挙の事だ。もうポスターを見て知ってるかもしれないけど……」


岡本敏浩


 朝から学校は賑やかだった。選挙は明日の始業HRで行われる。昨日の討論会で勝負はついたのかなと思っていたら、出勤時に見た吉良さんの選挙ポスターを見てバルジ大作戦ばりの大反撃が行われている事を知った。何故か教頭先生が一人イライラしていたが何故かな。まあ宮本先生が平常なので大丈夫だろう。

 これは今日のHRは一段とギスギスしてるぞと思いながら2年A組に行ったが、松平さん、古城さんが選挙運動を終えて廊下で出くわしたところで、和やかに

「おはよう、桜子ちゃん」

「おはよう。小夜子は古城には負けないから今日一日見てなさい」

「うん。でも私も負けないよ。ただ反撃される気はないからね」

なんて言いながら入ってきた。ギスギスはしてない。フェアなゲームをやりましょうというような空気に変わっていた。みんな、頑張れよ。

「おい。当直、号令を頼むよ」


加美洋子


 昼休み、北校舎2階の渡り廊下付近に集まって3年生の教室に向かう古城先輩たちを見つけて呼び止めた。

「古城先輩。制服の件、話をきちんと進めようと思ったらこのままだと不味いと思います。票が割れた時、この件の支持が明確にならなくなりますから」

古城先輩は頷いた。

「勝つ自信はあるけど、圧勝は厳しいと思うから言いたい意味は分かる」

「一つ手があります。ただ時間がありません。大村先輩と吉良先輩、多分松平先輩を説得する必要があります。多分、吉良先輩たちは今なら賛成してくれるとは思います。問題は大村先輩です。放課後準備でみんなの手も借りる必要があります。私、昼休み単独行動させて欲しいんですけど」

古城先輩はあっさり頷いた。

「加美さん。交渉をお願いします。制服の件、特にポロシャツは急ぎたいから」

私はみんなに声を掛けた。

「これから吉良先輩、大村先輩に交渉に行きます。何がなんでも話はつけるつもりですが、失敗したらごめんなさい」

日向先輩が言った。

「加美。お前が失敗したら誰も話は付けられないよ。気にせず行け」

陽子先輩からも激励と重要な情報を教えてもらった。

「加美さん。吉良さん達は学食に向かうって。さっき訪問先が被らないか聞いたらそう聞いてるから体育館1階に向かって。当って砕けろでいいからね」

「はい」


 北校舎の渡り廊下の端から猛然と走った。先生がこちらを見て「加美、走るな!」って怒っている。それどころじゃないから聞こえないふりをして、なおスピードを上げた。思わず笑みが浮かんでしまう。

みんな、何事?って顔をして振り返っている。もっと早く、1秒でも惜しいんだから!

 そして中央校舎2階を通り過ぎて体育館1階へ降りる階段の踊り場でなんとか吉良先輩たちに追いついた。

「吉良先輩……お話があります」

大した距離を走ってないのに息が切れた。

「時間は取らせません。……歩きながらでいいから私の話を聞いてくれませんか?」

水野先輩が間に入って止めそうになったけど吉良先輩が止めた。

「歩きながら聞くわ。時間がないから最低限の要点を言ってね」

「はい」


 結局、吉良先輩は学生食堂の入り口に着く前に話のあらましを理解してくれた。

「加美さんの案に乗ります。桜子ちゃん、私の代理として彼女と一緒に3年C組の大村先輩のところへ行ってあげて。私が同意しているって言わないと話通りにくいと思うから」

松平先輩が頷いた。

「じゃ、加美さん。行きましょうか」


 大村先輩は幸い3年C組の教室にいた。ちょうどお弁当を食べ終わったところだったらしい。松平先輩を見ると言った。

「息吹き返して凄いね。こんな選挙戦になるとは思わなかったよ」

「諦め悪いんですよ。吉良さんも私も」

「会長やっていて思うよ。諦めない奴は折れない。そして正しい負け方を知っているってね。交渉じゃ大事な事だ。で、両陣営の人が揃って何かな?」

 私は深呼吸すると言った。

「明日の投票で制服追加についての賛否だけ別途取りたいんです」

大村先輩は眉を上げた。

「理由は?」

「元々対立軸として選挙戦をやってきましたが、吉良さんの陣営も制服の追加については賛成に転じていて選挙結果が制服追加の支持と言えるか分からなくなっています。古城先輩が勝てば校長先生は話を聞くと言っておられたそうですけど、大村会長はその場で聞かれてますよね?」

「うん。確かに聞いたよ」

「票が割れたら、それを理由に話を聞き入れない可能性があると古城先輩と私は予想してます」

「この子が来て吉良さんと話をした時、私も吉良さんもその公算は強いとみてますが、大村先輩もそう思われませんか?」

「みんなの言う通りだと思うよ。校長先生の腹は読めない。受け入れるとは言ってない。ただ話を聞いてあげますって言われただけだからね。だから確実な生徒の支持がある事の証明が欲しいって事かな?」

「はい。それが今日松平さんにも吉良さんの名代としてついてきて頂いた理由です」

 大村先輩は少し瞼を閉じて考え込んでいた。

「生徒自治会長選挙としては無理だと思う。H.R.で投票を行うから先生方の介在はあるからね。今からでは話を通す時間がないが」

大村先輩は微笑みながら言った。

「明日、昼休みと放課後に中庭で投票を自主的に行う事を妨げる規則もないな。選挙管理委員会は開票で手が一杯だから動かせないから、やるなら君たちでやってもらうしかないけど。生徒自治会後援としてやる分には問題ない。チェック用の名簿は選挙チェック用のものを複写したものを提供できる。これなら二重投票の防止は出来るよね」

「はい。それで構いません」

「あと告知は放送委員会に頼むか。明日のお昼休みの番組で案内してもらうようにしようか?」

「是非お願いします。時間とかどうしましょうか?」

「話はすぐしておくから放課後早いうちに放送室に届けて。委員長の加藤さん宛てにしてもらった方がいいかな」

『はい。助かります。』

私達は揃ってお礼を言った。


 松平先輩と廊下に出ると対応を協議した。

「明日の昼休みと放課後に投票所を中庭に作ってお互いに人を出して運営する」

「異論ありません」

「投票用紙はどうする?」

「A4用紙で10枚取れるとして60枚あれば作れますね」

すると大村先輩が廊下に出てきた。

「盗み聞きする気はなかったんだけど聞こえたから言うけど。二人とも。投票用紙は今日放課後来たらPCとプリンタ使わせてあげるからそれで作ったらいい。紙も60枚ぐらいなら使ってくれていいからな」

『ありがとうございます』

「あと投票箱もいるな。以前使っていて記念に保管している奴がある。3個貸し出すからそれは明日の昼休みに取りに来てくれ。あ、大きいから力持ちがいいかな」

『ありがとうございます』

 放課後の作業については私がやりますよっていうと麻野くんか誰かを私に付けるから使ってあげてと言われた。


 こうして折衝を終えると今日、明日の連絡用のメッセのアドレス交換をして松平先輩とは別れた。私も報告するために教室遊説中の古城先輩達を探した。


 放課後はまず正門で帰宅する生徒への呼びかけを行った後にクラブ活動などの場を回って最後のお願いをする予定になっていた。古城先輩と松平先輩の間で運動部、文化部どちらから回るかを休憩時間中に取り決めていた。私はというと放課後は麻野くんに手伝ってもらい30分ほどで用紙を印刷してカッティングまで済ませて枚数を確認した。明日投票箱を借りる事もあったので生徒自治会室に置かせてもらった。

 作業が終わると麻野くんと明日まで精一杯戦おうと言って別れた。そして私は文化部から回り始めていた古城先輩たちを探して加わった。

図書委員会や放送委員会などの独立委員会、お料理クラブやブラスバンド部などの文化部を回り、明日の朝の投票と昼休み、放課後の制服追加に関するアンケート投票への参加を呼びかけた。


三重陽子


 放課後。文化部を回り終えて運動部へ向かおうと中央校舎の1階に降りたところで吉良さん達とすれ違った。彼女らもちょうど運動部を回り終えたらしい。

 私は松平さんに声を掛けた。

「明日のアンケート投票の件、運動部は反応はどうだった?」

松平さんは笑顔で答えてくれた。

「彼らはポロシャツ歓迎だから行くって言ってくれた。文化部はどうだった?」

「楽な服装はみんな歓迎だから同様かな。ブラスバンド部はすごくうれしそうだったよ」

「泣いても笑っても明日までだね」

「うちの古城さんは吉良さんには負けないから」

「こっちこそ負けない。明日の結果が楽しみ」

「お互い最後まで全力でやりましょう」

そう言い合うと手を振って別れた。


大村敦


 放課後に放送で職員室へ呼出を食らった。宮丈みやじょうはこの件から外れたらしくまさかの日暮教頭先生御自らの呼び出しだった。

「アンケート投票って何だね?」

「生徒の自主的な活動です。生徒自治会として後援してます。これは生徒自治会規則の会長の職権に含まれている自主的な活動の後援の条項によるものです。内容的には制服について両陣営とも同じ見解を持つに到っていて選挙では生徒の考えが分からないのでという事で両陣営が自主的に実施するものに過ぎません。結果を公表して今後行われる制服に関する基礎的な資料にするんだと思いますよ。何か問題がありますか?」

 教頭先生は怒ろうとしたように見えた。ただ何かを思い出されたようで一線を越えるのは思い止まったらしい。

「もういい。呼んで悪かったな」

そういうと日暮教頭は席を立って職員室を出て行った。

 周りを巻き込んで急激に台風に成長した会長選挙。こんな盛り上がった事は近年なかったと思う。制服の件はともかくとして選挙は明日で終わる。少しは肩の荷が下りるといいけど。


吉良小夜子


 選挙運動最終日が終わった。昨日からの急展開。かなり巻き返せたと思う。別にもう勝ち負けはどうでもいい。全力を尽くせたかどうか。そして今後の活動こそ考えるべきだろう。

 会長なんてポストは古城さんが苦労したらいい。ただ私は彼女のやる事を皮肉で眺めているのではなく、私の目標を実現するために彼女と折り合いを付けながら組める事、協力し合える事は一緒に取り組んでいく。それでいい。でなくても私がやりたいって思う事は多いんだから。


 私の陣営に参加してくれた松平さん、水野くん、麻野くんと渡先輩と私の取り組みに興味を持ってくれた他の生徒数名が最後に中央校舎1階の空き教室『選挙事務所』に集合してくれた。

「みなさん。今日まで選挙戦の協力ありがとうございました。選挙運動自体はこれで終了です。あとは明日夕方の開票を待ちましょう。ただ制服追加に関するアンケート投票があるので昼休みと放課後は手を貸して下さい。お願いします」


古城ミフユ


 選挙運動最終日が終わった。私達は北校舎3階の物理化学準備室『選挙事務所』へ戻った。

 みんなはそこまではと思っていそうだけど、吉良さんは私の事を良く分かっている。あの質問は的を得ている。私は勝ちに拘っていた。

 制服の事もあるし、手を付けた文化祭の事もある。選挙戦を途中で降りるという選択肢はあったと思う。吉良さんと協定を結んで制服と文化祭運営体制の見直しを実行してもらえば良い。そして私もそれを手伝うという選択肢もあった。

でも、それでは手伝ってくれた陽子ちゃんや加美さん、肇くんに秋山さん、姫山くんたちの期待に背く事になるし、吉良さんがそこまで頼りになる人かそれこそ昨日までは革新が持てなかった。だからそういう考えは一切封印して、吉良さんに対して勝てるが追い込みすぎないように手加減して勝利を目指した。それもこれも明日には全て終わる。

 昨日は勝てたと思ったけど今日の反撃ぶりを見ていると吉良さんも凄いなと思う。ええい、明日の投開票と制服アンケートがまだある。まだまだテンション高く行かなきゃ。

「ねえ、みんな。パフェ食べに行かない?」

「おい、まさか俺の店を」と慌てる肇くん。

「正確には陽子ちゃんとの初デートの店でしょうに」

『断じて違う。私達は仲が良い親しい友達なだけだよ』

だから、そこで付き合ってないとかいうのが変なんだって。どうしてハモれるのかって疑問を持たないのかな。

「いいから、いいから。さ、みんな行こう」

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