第2話 同窓会

同窓会当日の朝、私は章悟君が運転する車の助手席にいた。



『同窓会、一緒に行かない? 俺、車出すから』



 そう連絡が来たのは一週間前の事だった。欠席する理由も、上手く断る術もなく、悩んだ挙句合流する事にした。

いっそ深く考えずに流されてしまった方が楽な気がしてしまった。それに章悟君をガッカリさせてしまうんじゃないか、と思うのもあった。きっとこれも、私の思い過ごしなんだけども。


 外は作り物みたいな青空が広がり、山の緑とのコントラストが綺麗だった。八月、夏休み真っ只中なのに交通量は思ったよりも少ない。そんな国道をひたすら東へと車を走らせていた。少し早めに出てドライブ、彼の提案だった。同窓会はお昼から。私に異論はなかった。


 章悟君はハンドルを握りながらクラスメイトの事を知る限り教えてくれた。結婚して子供を持った子、大企業に勤めている子、海外へ渡った子。同窓会の案内を送ってくれた幹事の頼子さんは、美容系の会社を立ち上げて事業拡大に乗り出す様だった。凄いよね、章悟君の言葉に私は曖昧な笑みを浮かべる事しか出来なかった。中学時代の顔を思い浮かべ相槌を打ちながらも、気持ちが徐々に沈んでいくのが分かった。


 私は一体何をしているのだろう。

 いまだ何者にもなれずにいる私。ただ、漠然とした不安と憂鬱の毎日に埋もれていく。

 私はいつからこんな風になってしまったのだろう。


そんな私の様子を見てか、章悟君はいつの間にか口を噤んでしまっていた。

 県境を越えると右手に海が広がった。水面が真夏の光を強く反射させている。

 休憩で寄った道の駅で買ったソフトクリームは食べ終える前に溶け始め、液状になったクリームが手の甲を伝った。ガソリン代もお礼も要らない、それでは申し訳なかったからソフトクリームをご馳走した。おかしそうに笑い、はしゃぐ章悟君を思い出して薄暗い気持ちに蓋をする。



「迷惑だったかな」



 章悟君がポツリと呟く。私はすぐさま首を横に振った。あの時貸したハンカチを握り締める。

 車内にずっと同じバンドの曲が流れていた。あの頃、物凄く売れていた曲。男の子も女の子もみんな好きで、誰もが歌えた曲。



「懐かしいね、これ」



 私がそう言うと、章悟君は小さな声で歌い始めた。けれど私の横顔をチラリと見ると、すぐに止めてしまった。指先でハンドルを叩きながらリズムを刻む。

 私の心とは裏腹に、雲一つ無い青空は何処までも続いていた。


断らなかった事を後悔した。


 会場であるホテルに着き会場へ行くと、受付に立っている二人が仲の良かった友達で妙にほっとした。



「笑美ち、久し振り!」



「佐代ちゃんとメグちゃんじゃん! 久し振りだね」



 そう言うと、佐代ちゃんは再会の喜びもそこそこに早速小声で愚痴り始めた。



「ママ友に誘われてSNS始めたらさぁ、頼子さんに見つかっちゃって。地元にいるからって受付頼まれてさぁ。相手が相手だから断れないじゃん」



「で、アタシのところに一緒にやってって来たワケ」



 私は二人の話を聞きながらそっと辺りを見回した。頼子さんの姿はなく、安堵する。いつもクラスの先頭を切っていた彼女ならやりかねない、私は納得する。章悟君はいつの間にかソファーに座って、先に来ていた男性達と喋っていた。



「安易に始めない方が良いよ、笑美ち」



「うん、ありがとう」



 同窓会はバイキング形式で気軽な立食パーティーという雰囲気だった。



「まあまあ集まったね」



 受付を終え、席を見回しながら佐代ちゃんが言った。

クラスの六割ぐらい、思ったよりも賑やかだ。少人数で集まる事はあっても、これだけの人数が集まるのはそうないだろうし、帰省がてら参加出来るのも良かったんじゃないかと思う。


私は二人の隣に座り、乾杯を終えるともそもそと料理を口に運ぶ。佐代ちゃんは一品一品写真を撮りながらも器用に喋り、メグちゃんがそれにニコニコと相槌を打つ。あの頃と変わりがなくて思わず笑ってしまいそうになる。

参加して良かったかもしれない。



「そう言えば、アレってどうなったんだろうね?」



 アレとは、きっとタイムカプセルの事。佐代ちゃんの言葉に応える様にタイミング良く頼子さんのアナウンスが入った。


 卒業式の日に埋めたタイムカプセルは処分されてしまった、と。


 会場内はざわつき、野次も飛んだ。けれど、それはすぐに収まった。

楽しみにしていたのは違いない。けれども十五年も前の事だからと諦める子、そんな気がしていたと言う子、むしろ掘り出されなくて良かったと思っている子もいるかもしれない。


学校に問い合わせると、その様な物はないとの返答だったという。昨年のグラウンド改修工事の際に廃棄物と混ざってしまったのではないか、という判断らしい。もしかしたらカプセルも中身も相当劣化していたのかもしれない。そう報告が終わると、それぞれに入れた物について語り始めていた。現物が無くなってしまっても、みんな共有の思い出を持っている、そんな感じだった。



「笑美ちは何入れたの?」



 メグちゃんが何杯か目のビールを飲みながら聞いてきた。私は苦笑しながら首を振る。



「それが何も思い出せないんだよね」



 その場を誤魔化すかの様に席を立ち、デザートを取りに向かった。


 何を入れたのか思い出そうとはしていた。けれど一向に思い出せずにいた。卒業式は出たのだから、私にも何かしらあるはずだった。


 ふと前を見ると、司会者台に立ったまま頼子さんがワイン片手に周りに集まった数人に熱弁をふるっていた。そこだけ温度が違うみたいに一様に真剣な表情をしている。きっと若くして得た頼子さんの成功に乗っかろうとしているのだろう。


 なんだ、そうなんだ。そういう事なんだ。


 誰かが横に来た気がして見ると章悟君だった。



「笑美ちゃんは何入れた? タイムカプセル」



 熱心にデザートを吟味しながらメグちゃんと同じ様に聞いてきた。



「何も覚えていないの」



 私はまた苦笑する。思い出そうとすればする程、何か入れた事さえ曖昧になっていった。



「そうなんだ」



 章悟君はイチゴとチョコレートのプチケーキを二個ずつお皿に乗せた。


 そして少しの沈黙。



「俺はね、手紙を入れたよ」



「手紙?」



 私の中で野球少年と手紙が上手く結びつかなかった。



「そう。笑美ちゃんへのラブレター」



 そう言って、小さなカップに入ったオレンジのムースを追加した。私は章悟君の顔を見上げた。お腹の具合と相談しているのか、相変わらず熱心にデザートを選んでいる。



「何してんのって思ってる? 正直、後先考えて無かったと思うんだよね。ただ勇気がなくて伝えられなかった気持ちを形で残しておきたかった。それで土に埋めてしまうって何か良いよねって。今思うとちょっと気持ち悪いけど」



 小さく笑う。



「あのカフェで笑美ちゃんを見つけられて良かったって本気で思った」



 今になって選んでいるのはデザートなんかじゃなくて言葉なんだと気付いた。



「ねえ、章悟君。何故こんなに構うの? 外側にいる様な私に」



 章悟君は微かに身体を震わせて動きを止めた。一点を見つめ、固まっている。



「あ、ごめん」



 私は思わず謝った。これはあまりにも自意識過剰だ。



「君という土が乾いていたから」



 私は首を傾げる。



「雨のコトバだよ」



 記憶の奥底を探る。何か見つかりそうな気もしたけれど、思い出せない。



「笑美ちゃんは、その一歩外側でいつも笑ってた。みんなに優しかった。俺はそこが、好きなんだ」



 突然私達の間に野太い声が割って入る。



「なぁ、章悟! お前、二年の時の球技大会出てなかったよなぁ!」



 はっと我に返る。章悟君は真っ直ぐな笑顔を見せると、男性ばかりの輪の中に入っていった。

 話はそれきりになってしまった。そして、しばらくすると同窓会もお開きになった。


 クロークで荷物を受け取り、タクシー乗り場に向かおうとする私に、送ってあげるよ、と佐代ちゃんが言ってくれて、ありがたく甘える事にした。章悟君の姿を探したけれど見つからなかった。メグちゃんも同乗すると、三人でのささやかな二次会が始まった。


 その夜、早めに入浴を済ませてベッドに横になった。枕を抱え、右に左にと無意味に寝返りを打ちながら同窓会の事を思い出す。章悟君の言葉を何度も繰り返す。色々なものが綯い交ぜになって落ち着かない。

 私はむくりと起き上がり本棚へ向かった。時計を見ると寝るにはまだ早かった。


 部屋は高校を卒業して家を出てからも変わりは無かった。両親は今でもそのままにしてくれて、掃除も欠かさずしてくれているみたいだった。

 どれを読もうか指先を動かした時、違和感があった。本は隙間なく並んでいると思っていた。



「愛する君のため、いつくしみの雨を降らそう」



 そう呟いた声は震えていた。背表紙を撫でる様に指先を滑らせる。やっぱりない『雨のコトバ』。


 大事にしていたはずの詩集。それは章悟君に貸した唯一の本だった。


卒業式の朝、返してもらったその本をパラパラとめくるとページの間にメモが挟まっていた。ルーズリーフに「ありがとう」の文字。私はそのメモを戻し、タイムカプセルに入れた。


嬉しさと、少しの恋心。そっと仕舞い込んでおきたかった。


そう、そうだった。何故こんな大事な事をすっかり忘れてしまっていたのだろう。

私は本を選ぶのを止めて、再びベッドに横になった。

思い出せて良かった、本当に。その安堵感からか睡魔に襲われるがままに私は眠りに落ちた。


翌朝、目覚ましよりも先に目が覚めた。携帯電話のアラームを止めると、一階へと降りた。パジャマのまま靴を履き、物置を開ける。バケツに入った園芸用のスコップを持つと裏庭に向かった。大きく育った向日葵が元気に咲き、葉についた露が光っている。きっと父が水やりをしてあげたのだろう。


 裏庭に一本の桜の木が植わっている。青々とした葉を茂らせる枝の下にしゃがみ込み、穴を掘り始めた。朝とはいえ、少し動いただけでじわりと汗が出てくる。

 掘った穴にビニール袋で包んだ瓶を入れる。中には彼との写真とアクセサリー。



「ありがとう。楽しかったよ」



 章悟君から連絡をもらった時、ふと思い付いた。捨てられずにいる過去を埋めてしまえば良いと。持って来ても、やはり手放せないんじゃないかと思っていた。けれども不思議と未練はなかった。

 私は土を戻し、地面をならした。


 この家にいる頃、涙を流す時は決まってこの桜の木の下だった。見上げると、葉の隙間からキラキラと朝日が絶え間なく零れている。その光は章悟君の笑顔を見ている様だった。


 いつまでも、俯いてばかりはいられない。


 スコップを物置に片付けると、シャワーを浴びて帰り支度をする。



「おはよう。朝ご飯、食べていかないの?」



 靴を履く私の背中に、少しだけ心配そうな母の声が掛かる。



「おはよ。うん、どこか寄るからいい」



「あら、そう。まぁ、気を付けて行くのよ」



「また帰ってこいよ。部屋はあるんだから」



 私達の声を聞きつけたのか、朝食を終えた父ものっそりと出てきた。



「うん、ありがと。また来る、じゃあね」



 私は両親に見送られながら家を後にした。次に帰るのはいつになるんだろう、見当もつかなかった。


 歩いて駅へ向かう。街の風景は少しずつ変わっていた。田畑が無くなって代わりにアパートが建ち、子供の頃に通った駄菓子屋は取り壊されてモダンな住宅になっていた。気付けば駅も綺麗に改装されている。


 横断歩道を渡ると、思わず足を止めた。そして自分の目を疑った。



「章悟君」



 駅の待合室に章悟君の姿があった。慌てて駆け寄る。



「こんな所でどうしたの?」



「笑美ちゃん来るかと思って待ってた」



 いつから待っていたのだろう。けれど満面の笑みを浮かべていた。



「また一緒に行こう」



「うん」



 断る理由なんて無かった。頷くと、章悟君は私の手を取った。

 さようなら、過去の私。

 そう思うと、とても久し振りに笑えた気がした。


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