はつこいは土の中
@kanamezaki
第1話 再会
人生で初めて付き合った男性とは、一年経たずに別れた。
ネットで知り合って付き合い始めただなんて正直信じられなかったけれど、それは事実以外の何物でもなかった。初めての彼氏に、初めて浮気をされる。三十歳が目前にチラついてきた頃の出来事。彼は私より三つ年下で、相手の娘も同い年らしかった。
『さようなら』
さっぱりとした一言だったけれど、その喪失感は日を追うごとに大きくなって私は狼狽えた。
彼とは会社の同僚に引き摺られる様に参加した街コンで出逢った。不思議なぐらい気が合って、舞い上がってしまった私は二度目のデートで何の躊躇いもなく彼と付き合い始めた。そんな出逢い方だったからか、自分が感じていた以上に彼の事が好きだったのだと気付かされた。
別れを告げられた時、私は妙に冷静だった。十二月の初め、明らかに新しい彼女とクリスマスデートをするつもりなんだろう、と直ぐに察しがついた。分かり易いところが彼らしかった。それが余計に辛かったのをよく覚えている。
指先に伝わる水滴の感触ではっと我に返り、強い日差しと駅前の喧噪が戻ってくる。彼とよく来たカフェ。あれからもう半年も経つのに、まだ彼の事を思い出す。部屋に飾った写真が視界に入る度悲しくなるのに捨てられない。誕生日に買ってもらったネックレスとピアスもそうだ。箱ごと大事にしまってある。私は色々なものを手放せないでいた。
「あれ、笑美ちゃん?」
聞き覚えのない男性の声が私の名前を口にした。確かテラス席に女性は私だけのはず。おそるおそる見上げると、一人の男性がアイスカフェラテを手にじっと私を見ていた。
「原田笑美ちゃんだろ?」
「え、えぇ。そうですけど」
男性は私のフルネームをさらりと言い当てた。
真っ黒な短髪に浅黒い顔。薄いブルーのワイシャツから、スポーツでもやっていそうな無駄のない引き締まった腕が伸びている。私と同じぐらいの年齢だろうか。精悍な顔立ちの中、僅かに少年っぽさが見える。
「ほら、覚えてない? 秋山だよ、秋山章悟。北中学の、同級生の」
私は彼の顔をじっと見つめ返しながら記憶を巡らす。学生服と坊主頭。そして襟から見える首筋の黒子。
「あっ、思い出した! 確か、野球部」
「そう! 良かったぁ。笑美ちゃん、変わってないから直ぐに分かったよ」
章悟君は笑顔で胸を撫で下ろす。
「どうしてここに?」
「去年から転勤で引っ越してきたんだ、会社がこの近くでさ。笑美ちゃんは?」
「大学がこっちなの。卒業してそのまま」
なるべく笑顔のまま、詳しくは答えなかった。
志望した大学は落ちて、実家から然程遠くなくて何となくで選んだ所しか受からなかった。無事卒業はしたものの、勤め始めた生命保険の会社も思うように成績が上がらず、最低保証だけじゃ生活出来なくて三年で辞めてしまった。今は電気工事を請け負う会社で事務をしている。ノルマからは解放されたけども、生きていく事に追われ、それでいてどこかぼんやりとした生活。こんな事を聞かされても、私だったら面白くない。
「へぇ、そうだったんだ。あ、そう言えば同窓会行く?」
「え?」
唐突な話題に思わず首を傾げた。
「あれ、知らない?」
「えぇ、この頃実家にも帰ってないし」
受け答えしながら、同窓会の心配をし始めてしまった。行くなんて一言も言っていないのに。
何を着て行けば良いのだろう。靴は、バッグは、アクセサリーは?
チクリと胸が痛くなる。また彼の事を思い出す。
「じゃあ、もし案内見つからなかったら連絡して。もう一度送るように頼んであげるから」
「あ、ありがとう」
そう言って半ば強引に連絡先を交換する事になった。使い慣れていない私を見るに見かねて代わりに携帯電話のアプリを操作する。
「いよいよ開けるんだよ」
「何を?」
真剣な表情で画面をタップする章悟君の横顔を見ながら、私はまた首を傾げる。
「タイムカプセルだよ。卒業式の日に埋めたの、覚えてない?」
「タイムカプセル」
私は声をなぞる様に呟いた。そんな事、したのだろうか。
「よし、OK。じゃあ俺、会社戻るね。また連絡する」
携帯電話を返してくれると、章悟君は爽やかな笑顔で手を振りながら店を後にした。
そんな笑顔を見てしまったら断りづらい。いや、それは私の勝手な思い込みなのだけれども。
母に連絡をしたら、案内は実家に届いていた。アパートに送ってもらい、出席の文字に丸印を付けてポストに入れた。藍色に染まった空の下、生温い風に吹かれながら葉書を飲み込んだ投函口を私はしばらく見つめていた。
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