夏と、きみと
相樂 千那
夏と、きみと
照り返す日差しに、蝉の声。焼けるような暑さの中、私は自宅への歩みを進めていた。
母親からおつかいを頼まれ、嫌々外に出た帰りだった。
どこかの軒先から、風鈴の音が聞こえる。
涼むための音の筈だが、余計に夏の暑さを助長するように聞こえて、げっそりした。
それでも、家まであと少しなので歩みを進めるしかなく、のっそり歩いていると、背後から元気な声で誰かに声をかけられた。
「夏菜、なにしてるの?」
振り返ると、見覚えのある顔。
麦わら帽子に白のワンピースを着た幼馴染みは、暑さにやられてげんなり顔の私に陽気に笑いかけてきた。
「・・・おつかいの帰り。お母さんに頼まれたんだ・・・」
なんでこんなに暑いのにそんなに元気なのか、と暑さによる疲労を感じながらゆっくりと重たい口を開くと、彼女はそのダルさをものともしない笑顔を浮かべ、私の横に小走りで駆けてきた。
「そっか!今、ちょうど夏菜の家に行こうとしてたんだよ!」
「え?」
「ほら、夏菜の家、海、目の前だし!一緒に遊ぼうと思って」
「・・・今から?」
「もうすぐ夕方だから、涼しくなるし暗くなるまでしか遊ばないつもり!」
ね?と可愛らしく彼女は首をかしげる。
一方的に決めて、一方的にテンションを上げて、有無を言わさない素敵なスマイルで私を色んな所へつれ回すのはいつものことだ。
嫌だと言っても、キラキラした笑みを浮かべつつあの手この手でプレッシャーをかけてくる彼女に、結局根負けする自分しか思い浮かばなくて、私はしぶしぶ海の方へと足を向けた。
***
「なんで夏って暑いのかな」
「夏だからしょうがない!暑くなかったら夏じゃないよ!」
「私、夏生まれだけど暑いのむり」
「夏菜って、夏のために生まれてきたような名前なのに!!」
日は傾いたとはいえ、まだまだ吹いてくる風は温く、お世辞にも過ごしやすいとは言えない気候のままだった。
そんな中でも、彼女は愉快に笑いながら浜辺に打ち寄せてくる波と戯れていた。ワンピースが濡れるのもお構いなしだ。帰ったら絶対お母さんに怒られるに違いない。
「なんでアンタは冬生まれのくせに、夏がそんなに好きなんだか・・・」
「えー、海で遊ぶの好きだし、お祭りもあるし、花火も見れるじゃん!イベントも多いし、楽しいよ夏!!」
冬生まれの幼馴染みは、頬を綻ばせながら指折り楽しいことを数える。
夏の日差しや暑さが苦手な私にとって、外で行われる夏のイベントが楽しいなどというのはまったく共感できなかった。
げんなりした顔で彼女を見ると、それと!と満面の笑みを浮かべて私に近寄ってきた。
「夏菜の季節じゃん!」
「・・・は?」
予想外の言葉に、間の抜けた声が出た。
相変わらず彼女はとびきりの笑顔だ。
「夏が来るとね、あーもうすぐ夏菜の誕生日だなー。また1年、夏菜と楽しく過ごせたなぁって思うの」
そう言って手を握ってきた幼馴染みの言葉になんだか気恥ずかしくなり、俯く。
こんな恥ずかしい台詞をぶつけてくる真っ直ぐなところが彼女のいいところだが、些か直球過ぎるのが玉にキズだ。
「・・・嬉しい、けど。恥ずかしいわ、バカ。」
「本当のことだよー」
「そうじゃなくて・・・」
恥ずかしさから強めに反論しようと顔を上げると、想像していた表情とはかけ離れた、真面目な顔つきの彼女と目があった。
「雪乃?」
「ねぇ夏菜。あたし、ずっと待ってるから」
真っ直ぐ、意思の強い瞳が、私を見つめる。
私はその瞳に、息をのんだ。
「花火だって、お祭りだって、夏菜と一緒に行きたい。海で遊ぶのも夏菜とがいい」
握られた手は少し震えていて、それでも瞳は逸らされることなく私を見ていた。
人気の少ない海辺には波の音だけが響き渡っている。
「だから夏菜、」
「・・・あのね、私は、冬の方が好きなんだ」
彼女の言葉を遮って、唐突に私は口を開いた。
それに戸惑いの表情を浮かべた彼女に微笑みかけながら、握られた手を握り返した。
「むっとした夏の空気じゃなくて。澄んだ冬は空気が好き。星も綺麗だし。あったかいご飯にほっこりするし、こたつに入りながらのアイスも乙だよね・・・それに雪乃の季節だ。」
―――広がる銀世界。吐く息は白く、心も冷えてしまうくらい寒い季節。
そんな季節でも彼女は太陽みたいな笑顔を浮かべて、閉ざしがちがな私の心を溶かして、色んな場所へと誘う。
そうやって、様々な季節を今まで過ごしてきた。
どんなときだって、ずっと彼女は隣にいた。
「だから、私は冬が好きだよ。」
思ってもいなかった言葉だったのか、雪乃は目元を赤くしながら、うっと言葉をつまらせ目を泳がせた。
「ま、真似っこしないでよ!」
耳まで赤くして、恥ずかしそうにぷいっとそっぽ向いてしまった雪乃に思わず笑ってしまう。
どうやら言われるのは慣れていないようだ。
「あ、ほら夏菜!!夕陽、綺麗だよ!!」
恥ずかしさを誤魔化すように、沖を指差す雪乃につられて視線を向けると、水平線に沈んでいく夕陽が反射して、水面を橙色に染め上げていた。
こんな風景、今まで何度だって見たことのあるはずなのに、いつになく輝いて見える。
「ねぇ、雪乃?」
「んー?」
ふふ、と私は悪戯めいた笑みを浮かべてしゃがむと、雪乃めがけて勢いよく海水を掬い上げた。
「今年は宿題、早く終わらせてね!!」
宙に舞った水飛沫にも夕陽が反射して、キラキラ輝いていた。
***
「わっ!!!!」
自分の声にびっくりして顔をあげた。
目の前に広がるのは、海ではなく、見慣れた自分の部屋だった。
「・・・夢・・・」
開け放った窓に垂れ下がっている風鈴が、そよそよと吹いてくる風に揺らされてチリンチリンと鳴っていた。
その音に、ぼんやりとしていた意識が浮上してくる。
「・・・あ、宿題・・・」
どうやら机に突っ伏してして、うたた寝してしまったようだ。
下を見ると、腕の下敷きになった宿題の紙がしわしわになっている。
あたしは状況を理解するなり、はぁとため息をついて、とりあえず飲み物を取りに行こうとのっそり立ち上がる。
すると、階下からいつになく慌ただしい様子で階段をかけ上がってくる音が聞こえ、その直後に勢いよく部屋の扉が開かれた。
「雪乃!夏菜ちゃんの意識が戻ったって!!」
半泣きの母の声に、あたしは呆然と立ち尽くした。
それは、蝉の声が響き渡る、8月のはじまり。
夏菜が事故にあって意識が戻らなくなってから、ちょうど1年が過ぎようとしていた時のこと。
夏と、きみと 相樂 千那 @sagarachina
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