放課後の告白。

草詩

好きだよ。

 誰だって、人との付き合いで嫌われたくはない。嫌なことはするのもされるのも嫌だろう。どうせだったら良い人と思われたいし、相手に気持ち良い関係性でいて欲しいし、そうありたいと望む。


 だから、私は彼女と距離を取ろうと決めた。


 だって、そう在りたいと望む私にとって、彼女との付き合いは。拒絶か許容かの二択しかなくて。

 彼女が決めてくれない以上、私には嫌な後味が残るだけなのだ。


「ねぇ。ねぇってば」


 そう甘ったるい言葉で纏わりついてくる。文字通り身体ごとひっついてべったりと、私の心に貼りついてくる。


「アケミ重いんだけど」


 私は気にしない風に言う。本気で訴えても背中の彼女は退かないし、傷つけて傷つくだけになってしまうから。傷つけるのも、傷つきたくもない臆病な私は、やんわりと弱腰なのだ。


「酷いよ私太ってないもん。嫌じゃ、ないんでしょう?」


 アケミはほっそりとした繊細な指を、そっと私の胸元へと這わせてくる。くるり、くるりと、触れるか触れないか、そんな力加減で。ああ、苛々する。


「胸触んないで」

「いいじゃない、女同士でしょ?」


 至近距離、私の肩にのったアケミの顔が悪戯っぽく舌を出している。あどけない顔には、私には見えない。まるで舌なめずりをしているかのように、こちらを値踏みする、反応を楽しむような、そんな顔に見えてしまっていた。


「これくらい普通じゃない?」


 きっとわかってて、やっているのだ。アケミの指はするすると下へ伸び、ブラジャーをなぞるように、でも核心には触れないで――。ワイヤーを確かめているのよ、と言わんばかりの動きでこちらを焦らしてくる。


「アケミ、悪趣味だよ。私がそうだって言ったじゃん。からかってるなら怒るから」

「からかってないよ」


「言っとくけど、すごい不愉快だからね?」


 言ってしまった。こうなるから嫌なのだ。私だって、普通の恋愛がしたいだけなのに。ただ、その対象が同性というだけで。望むものは何も変わらないのに。


 対象が異性の人と同じで、私は同性になるべくよく思われたいし、仲良くしたいという下心がある。その点、世の男性よりちょっと有利に関係を築くことができる。もちろん、世の男性が味わえない、どろどろとした女同士の人間関係にも片足を突っ込んでいるけれど。


 問題はそこから先が長いし、一度カミングアウトしてどう関係が変化するかがわからない。ただ、ちょっと拒絶されるのにも、愛想笑いで距離をとられるのにも慣れてしまっていたから。油断したんだと思う。

 まさかアケミがこんな態度に出るだなんて、私は全く思っていなかったから。


 アケミは少し幼い顔立ちの美人さんで、よく笑い、天然なのか考え事をするときに小首を傾げる仕草がかわいい女の子だった。艶のある黒髪は肩ほどで、でもその仕草のたびにちょっと揺れて、艶めきを放つのが何とも言えず魅力的で。正直に告白すれば私の好みな相手だったから、私は下心を持って近づいていた。

 最初が下心だった私も悪かったとは思う。けれど、こんな仕打ちはないだろう。


 私は何も言わず立ち上がり、アケミに背を向けたまま教室を出る。彼女にどう接すればいいのかわからないし、自分が好きで近づいた相手には、やっぱり嫌われたくなかった。

これまで無理解への諦めはどこかにあったけれど、わかったうえでごっこ遊びのように生殺しをしてくる彼女をどうすればいいのか、私にはわからない。


 だから怖いのだ。


「……怒ったの? ごめん。ごめんね? 本当、ごめんなさい」


 小走りでこちらの前へと回り込んだアケミは、本当に申し訳なさそうに、悲しそうな顔で、縋りついてきていた。私より背の小さな彼女の、黒く艶のある髪が揺れる。

 私の前で、その髪を揺らさないで。私はそれに弱いのだから。


「本当に反省してる? 拒絶されるのには慣れてるけどさ。あんなからかわれ方するなんて、思ってなかった。いや、変なタイミングでカミングアウトした私が悪いか」


「からかって、ないよ? ただ、私もどうすればいいかわからないだけ」

「……それって、ありってこと?」

「違う」


 フラれた。過去最高速度かもしれない。だいたいの女の子は返答に困ったり、それが冗談なのかどうか探ってきたり、いろんなことを考え始めて、やがて明確な答えを出さずにやんわりと距離を取ってくるのに。


「違うよ。私ノーマルだもん。好きな男の子いるって、チカだって知ってるでしょ?」

「そうだよね。うん、私がフライングしたのが悪かった。ほんと、ごめんねアケミ。困らせちゃって。私だって、その恋、応援したかった。したかったん、だけど。ごめん。我慢できなくて。本当、ごめん」


 私は、いつの間にか泣いていた。頬を伝わる涙が落ちて、初めてそれに気が付いていた。ああ、やっぱり――。そういう諦観が心を占め、すっと感情が消えていくのがわかった。


「チカ、泣いてる……」


 下から、心配そうに覗き込んでくるアケミの瞳も揺れていた。私の涙を掬う指は、こちらを慈しむように、優しい手つきで私の頬を撫でていた。だから私はその手をとって。

 気が付いたら、掲示板のある廊下の壁へとアケミを押し付けて。強引に唇を重ねていた。


「んんっ……! やめ!」

「アケミ、ごめん。本当、ごめん」


 言いながら、抵抗するアケミを押し付けて、三度同じことを繰り返した。やわらかい唇は、昨日買ったばかりと自慢していた、瑞々しいリップの味がする。


 パンッと、乾いた音が放課後の廊下に響いた。

「ひどいよ、チカ。私、私ファーストキスだったのに……」


 叩かれた頬を押さえながら、私は泣き出したアケミを前に、立ち尽くしていた。衝動的にやってしまった。もう、取り返しはつかない。もう、戻れないんだ。

 それが酷く苦しくて、心を突き刺したかのような、そんな痛みが走っていた。


「ごめん。女同士だから、ノーカンに、ならない?」

「……勝手だよ」

「ごめんアケミ。私、もう近づかないから。今のも、忘れて」


 それだけ言って立ち去ろうと思った。だって、どんな顔をして彼女を見れば良いのか、わからなかったから。お互いが辛いだけだから。

 そう思っていたのに。去ろうとした私の手は、後ろからアケミの細い指に捕まってしまっていた。その指は、振りほどけないくらい、重く心にかかってくる。振り向けない。


「どうして。どうしてそうなるの……! 友達だったのに!」

「ごめん」

「私、嫌だよ。なんでよ。楽しかったのに」

「私も楽しかった。でも、好きになっちゃったから」

「ひどいよ。私、彼に告白しようと決心してたのに。こんなの。どうすればいいか全然わからない」

「うん。だから、拒絶して欲しい。私のこと、愛せないなら」


「自分の都合じゃない、それ。私だって、チカのこと好きだけど。それは同性としてだもん。友達としてだもん。そっちが、勝手に好きになったからって。それを受け入れられないなら、友達も辞めなきゃいけないの?」


「友達で、いてくれるの? 女が好きな女相手に」

「知らないよ。わからないもんそんなの。でも、そんな一方的に告げて、受け入れるか拒絶しろだなんて。今まで通りじゃだめなの……?」


「それは、私が無理。だってきついもん」

「なにそれ。……なにそれ! 自分ばっかりじゃない! チカのバカ!」

「なによそれ。私は真剣に告白したじゃん。からかってきたのはそっちでしょ!?」


「違うよ。あんな、あんな流れで言われたって。どうしていいかわからないし、頭真っ白だったし。冗談と区別つかないじゃない!」

「本気だよ。そう言った」


 私は振り返っていた。少なくとも、私が。アケミのことを好きだという気持ちは、そこだけは本物だったから。それを言い方が悪かったのだとしても、冗談として流されたくなかったから。だからきっと、さっきは苛ついていたのだ。

 悪気なく茶化そうというか、からかうというか、なかったことにしようとしていた空気を、私は無意識に感じていたのだろう。


「チカ……。私も、ごめん。本気だってそう感じたから、冗談にしたくて。ああいう変な態度になったんだと思う。そこはごめん。チカの本気を無碍にして。私も混乱してたみたい。でも、でもそれとこれとは別」

「なにが?」


「チカが、一方的に告白して私に決めさせようというのなら。いいわ。私も一方的に、友達で居ることを、友達で居続けたいと告白するから。チカが私に一方的に言ったように、私も一方的に言う。それで、友達で居てもらうから」

「なにそれ」


「私のファーストキスを奪っておいて、それで去るなんて。認めないから」

「そこ言われるときついなぁ」


 ああ、なんだろう。私はつい笑ってしまっていた。嬉しかったのだろうか。告白が成就したわけではないのに。


「だから、改めて答えるねチカ。付き合って欲しいとか言われても、私にはよくわからない。でも、あなたのことは嫌いじゃない。だからそう――お友達からで」


「ぷっ……なにそれ。お友達からよろしくお願いしますって?」

「なによ。笑うことないじゃない。だってそうでしょう? 普通の男女のお付き合いでもあるんだから、私たちがそれをしたって不思議じゃないし。拒絶か許容かの二択より、ずっと素敵だわ」


「まいったね全く。……やっぱ好きだわ、アケミのこと」

「調子良いこと言っても、キスしてきたことは許さないから」

「はい……」

「それじゃぁ、改めて。よろしくねチカ」

「はいはい。よろしくアケミ」


 涙のあとを拭いながら、私とアケミは握手を交わしていた。きっとこの先、彼女と友達で居る以上、辛いと感じる場面は多いと思う。ああ、それでも。それでも私は、彼女と一緒に居たいとそう思ってしまったのだ。惚れた弱みとはよく言うけれど。

 結果的には、今回の告白は“成功”だったのだろう。私と彼女の関係性をつくりなおすという意味では。


 それを隠しながら友達でいるより、ずっと良い友達になれると信じて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

放課後の告白。 草詩 @sousinagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ