少しでも、安らぎを

 淫崩(みだれ)に対して、わたしが強く望んだのは、『しっかりして』でも『起きて』でもなかった。

 『……少しでも、安らぎを』だった。


だからわたしは友の横に両膝をつき、身をかがめて、回復薬を彼女の口腔に流し込み続けた。


……最後の一口を流し込むと、淫崩の呼吸が穏やかになった。

 呼吸が穏やかになると、肩や首の肌のぽこぽこもおさまってくれた。

 

 全てが一時的な緩和でも、わたしはとても嬉しかった。


 淫崩のまぶたがうっすらと開いた。

 こちらを見てくれる。


「た……ごめ……まけ……すみ……こや………」


 淫崩は震える右手で北東を指す。

 ごぷっ、という音と共に、色々なものが混ざり合った粘液を吐いた。


『多濡奇、ごめん。わたし、負けた。あいつは強くなってて、間に合わなかった。見込みが甘かった。わたしは潰された。もうすぐ死ぬ。けど、あいつも瀕死(ひんし)にした。だから、今なら倒せるし、今じゃないと倒せない。それくらい、強い。あいつは炭焼き小屋にいる。潰して。あいつを、潰し、て』


 寄せた眉間の下で潤んだ瞳と心音は、そう語っていた。

 カビで喉を潰されたにも関わらず、友は、ちゃんとわたしに託してくれた。


 わたしは小箱からガーゼを取り出す。

 彼女の口元の白やら赤やらを丁寧にぬぐった。

「うん、わかった」

 と言って口角を上げる。


「……行くね、終わらせてくる」

 と続けて、立ち上がると淫崩は

「…すだ……お………かた……を……」

 と言って、わたしに手を伸ばした。


 その手のひらは力なく開き、震え、人差し指だけがわずかに他より上がっていた。


『……須崩の仇を討って。おいてきたの。おいてきてしまったの』

と彼女の表情と心音は語った。

 潤んだ瞳は、さらに強い熱を孕(はら)んだ。


 友の震える口元から、カビの粉が混じったよだれが垂れる。

 瞳のまなじりからも、いくつもの滴(しずく)が溢(あふ)れた。

 頬や耳たぶ下の顎に伝う。


 わたしは彼女にかがみこみ、よだれと涙をぬぐう。

 それからその手のひらを包むように握って、

「うん、分かった」

 と言った。

 友(みだれ)はわずかに頷(うなず)いた。


……脳炎を起こしたのだろう。

 深い昏睡に落ちたのが、彼女の心音で分かった。

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