第12話 凶兆


 わたしは、そう、とだけ返事をして、手元に視線を戻した。

 裁縫を続ける。


 一通りの修繕を終えたので、まだ身動きの取れない奈崩(なだれ)の体を清潔な布で拭(ふ)く。


 絆創膏やら包帯やらを巻く時に、嫌がられるかな? と思ったけれど、彼は特に何も言わなかった。

 心音は静かな覚醒を刻んでいる。

 良かった。大分回復してくれた。


「まず、体を治して、ね」

 と言ってわたしは、奈崩のおでこを、ぺしっ、と叩いた。

 それから立ち上がり、お邪魔しました、と言って部屋を後にした。


 翌日わたしは、奈崩を遠目に確認した。

 何食わぬ顔をして講堂に入っていく。


 斑転は強いなあ、と思う。

 そのまま淫崩(みだれ)たちと合流して、講堂に入った。


 講義のテーマは世界の神話。

 休暇の趣味で民俗学の大学教授をしているという逆忌(さかき)さんが、その日の講義を担当していた。

 彼は、ロマンスグレーの紳士さんだ。

 仕立ての良い白のスーツがとても似合っていた。

 物腰は柔らかいけれど、とても強いのだろう。


 ちなみに休暇というのは、文字通り休暇である。

 村人が案件という村の特殊任務をやり遂(と)げると、休暇がもらえる。

 その間は、普通のヒトたちの仕事に就く。

 就労のサポートは村がしてくれるし、基本的に村人の処理能力はとても高いので、したい仕事に就ける。

 駅職員、土木作業員、教職員、ピザの宅配員やコンビニアルバイトなどをしている者もいる。

 やる気がないならゲームニートとして引きこもってもかまわない。

 わたしは遊園地の被り物係だし、九虚君は漫画家だ。


 ……その日の逆忌さんの講義は、世界の神話シリーズ南米編だった。

 

 ペルーのケツアルカトルがグアテマラのキチェ族のクルルカンだとか、羽根が生えた蛇だとか、そんな話から始まった。


 次に神々の説明。

 月と自殺の女神や、雷と嵐の神、夜にジャガーに変身し死の世界をうろつく神、完全なる善意と知恵の神などがいる。

 彼らの敵対者として死と疫病の王がいるという話になって、逆忌教授(さかきせんせい)が講堂を見渡した。


「斑転(はんてん)の方はいますか?」

 ちらりと横目をやると、淫崩(みだれ)はうつむいていた。

 反対に、須崩(すだれ)が堂々と手を挙げる。


 逆忌教授(さかきせんせい)は、神話の王は貴方の遠い親戚かもしれませんね、と優しく微笑んだ。


 講義が終わって、別の講堂への移動中、わたしたちは奈崩とすれ違う。


 その刹那に、ちらりと奈崩に視線をやる。

 彼はこちらを見ようともせず、足を引きずっていた。

  

― 足も痛めていたのか。……自己回復に手間取るくらい。 ―


 子供たちの群れの向こうに消えていくその後ろ姿に、心の中でため息をつく。

 それから思う。


― また手当することがあったら、足に湿布を貼ってあげよう。 ―


「どうしたの?」

 淫崩(みだれ)が怪訝(けげん)に顔を覗いてきた。

 わたしは笑顔を作って、小さく首を振った。


「なんでもない」

 と答える。


……奈崩を介抱したことを、何故か伝える気にならなかった。



 その4年後に、

「わたしは何故わたしは何故わたしは何故わたしは何故わたしは何故わたしは何故わたしは何故わたしは何故わたしは何故わたしは何故わたしは何故わたしは何故わたしは何故わたしは何故……わたしは!?」

 と、狂ったように、歯噛みをしながら考え続けることになるが、この時は知る由もなかった。



……わたしはあの男に軽い愛着と敬意を描いていた。

 だから、瀕死の彼を助けたし、介抱も、当たり前のようにした。

 あくまでもこっそりと、である。


 そういう行動にわたしを導いたのは、斑転(はんてん)という因果に対する敬意だったと思う。


 ただわたしは、あの男と淫崩を斑転という同じくくりにすることを、淫崩(あのこ)が嫌がると思っていた。

 つまり、淫崩は斑転(はんてん)だから友達なのではない。

 淫崩だから友達なのだ。



 ……そんな感じで、わたしは奈崩を助けるようになった。


 といってもそれは、いつもではない。

 ごくたまに夜中の通路で見かけたらする、ささやかな気まぐれだった。

 

 それでも、わたしの中で彼に対する意識が変化をしたのは事実だ。

 わたしの目はそれとなく、保育所の景色、子供たちの群れの中に、あの男の姿を探すようになっていた。

 前日の戦闘の有無を彼の状態から確認したかったし、傷がひどいようなら手当をしようとも思っていた。


 手当ての際、あの男はいつも沈黙していたけれど、不満はなかった。

 助けたいから助けるだけだ。

 お礼の言葉を求めるのは欲しがりである。


 そもそも弱い奈崩からの礼など、何の意味もなかった。

 

 弱者に価値は無く、強者こそ至高なのだ。

 強者とは滑(なめ)らかに命を摘む資質を有する者である。

 こういう価値観を村は子供たちに叩き込む。


 わたしはセイレーンの子孫である。

 殺戮の因果を血に宿す者だ。

 だからわたしは、保育所でも至高の存在である。

 そして、弱い奈崩には、斑転(はんてん)であること以外の価値はない。

 そう思っていた。

 

……こういう強者の余裕が弱者を傷つけ、凶者(かいぶつ)に変えることを、あの頃のわたしは知らなかった。


 看護はささやかな遊びのような行為だった。

 でもこの行為が淫崩(みだれ)の耳に入ったら、やめようとも思っていた。


 けれど、保育所の子供たちは、わたしの報復を恐れたのだろう。

 彼らは口をつぐみ続けた。


 誰かが噂をたてて、わたしを止めてくれれば良かったのに、と、今でも思っている。


 奈崩はゆっくりだけど、少しずつ強くなっていった。

 彼が13にもなるころには、夜の通路で潰されかけることは滅多になくなった。

 引き分けにも、何とか持ち込めるようになった。


 14歳になってからは、相変わらずボロボロになりながらも極まれに、相手を潰せるようにもなっていた。


 そういう場面に居合わせた時は、わたしは

― がんばれ。 ―

 と心の中で呟(つぶや)きながら、通路のはしに避けて、そのままトイレに行った。



 だから、洗い物をしていた時、隣で淫崩が

「奈崩、潰そう」

 と言った時、わたしは唖然として、スポンジにハンドソープをつけてしまった。

 それも大量に。

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