第10話 奈崩という、ひだる神

 奈崩(なだれ)は奈良のひだる神の末裔だ。


 彼はいつも1人で、他の子たちと潰し合いをしていた。


 幼少期の奈崩は弱かった。

 むしろやたらと強い細菌ばかり取り込もうとして、結局取り込めず、いつも1人で死にかけていた。

 ひだる神たちは、自らの体に取り込んだ菌を駆使して戦う。取り込むためには、一度その菌を体に受け入れ、症状に苦しみながら、屈服させねばならない。

 その免疫力にあった菌でないと、菌は服従せず、苦しむだけで、取り込めずに終わる。

 奈崩は、ひだる神の失敗の典型例だった。

 

 

 誰かと共闘した方が絶対に心強いのに、奈崩は誰とも組もうとしなかった。

 つまり、孤独を当たり前としていた。


 あの男は、感情が欠落しているかもしれない。

 分からない。


 わたしが彼について分かるのは、いつも、戦闘でボロボロに破けた服を着ていたこと。

 それと、つりあがった眼で、常に周囲を警戒していたことくらいだ。


 昼食の時間、彼はいつも食堂の隅っこで、ヨーグルトと生理食塩水を摂取していた。

 これは斑転(はんてん)の生命線である。


 斑転(はんてん)はひだる神の呼び名である。

 文字通り、斑(まだら)にして転ばせる者、という意味だ。


 転んだ者はもれなく転げ回るように悶絶し、使う菌によっては二度と起き上がることがない。

 でも、斑転の彼らにも呪いがある。


 腸の中にビフィズス菌などの善玉菌を保持できない。

 だから、常にヨーグルトなどの発酵食品を摂取する必要がある。

 あまり切らすと体内の免疫細胞が暴走し、強く急激な自己免疫疾患によって全身、特に脳に炎症が起きて死亡する。

 

 これは恐ろしい呪いだ。

 けれど、体内に取り込んだ細菌を自在に使える。

 それに、ヨーグルトを摂取すれば、大抵の怪我は治ってしまう。

 便利だけれど、生理的に忌(い)まれる因果であることは確かだ。


 まあ、駆他(かるた)も最凶と忌まれる点では、似たような因果である。

 だから、わたしは淫崩と仲良くなれた。

 なので、わたし自身は駆他(かるた)であることを、特段不幸には思わない。


 けれど、奈崩はどうだったのだろう?

 保育所の全員が、彼をのけ者というか空気扱いをしていた。

 

 でも、彼らに悪意があったわけではない。

 保育所には、すぐ死ぬと予想されるものを相手にしない、という不文律がある。

 みんながそれに従っていただけなのだ。


 それでも奈崩はそんな孤立などどこ吹く風で、瀕死な時以外は一日も欠かさずに講義に出席していた。

 逆に言うと、欠席の日は必ず死にかけているということだ。

 そういう日は、わたしは彼の居室の前に、回復薬をのせた盆を置いておいたりした。


 あくまでこっそり、である。


 わたしに回復薬を届けさせたのは、血に抱える因果の凶悪さという、同質感だった。


 だから、他の子たちがどんなに瀕死でも、当時のわたしは助けることは無かった。

 せいぜい保育士たちに、どこどこで誰だれが瀕死です、と伝えていたくらいだ。

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