第9話 いつもの夜中

 わたしには夜中に起きる癖がある。

 これは物心つく前からずっと続いている。

 

 保育所にいたころは、夜はよく、床に入って布団にくるまり、一日の事を思い返したりしていた。

 

 そのうち、浅い眠りに落ちる。

 そして夢を見る。



……舞台に立っている。

 肩の開いたドレスを着て胸を張り、両手を広げている。 

 スポットライトに眩しく照らされながら、わたしは歌を歌う。

 

 いつも鼓膜の内側に響いてやまない歌だ。

 観客席には淫崩(みだれ)も須崩(すだれ)もいる。

 二人ともハラハラしている。

 緊張で音を外さないかと心配してくれているのだろう。

 そこでふと疑問が起こる。

 

 何故この子たちは平気なのだろう?

 それで気が付く。

 ああ、これは夢なのだと。

 そして視界は薄い闇に変化し、わたしは眠りから醒める。



 鈴虫が鳴き始めたある夜のことだ。

 わたしはいつも通りに、むくりと布団から起きて居室から出た。

 長い廊下を歩き、トイレに向かう途中で、奈崩(なだれ)を見かけた。


 彼は通路の窓側の壁に背をもたれ、荒い息をして、両足を床に投げ出していた。

 そのぼさぼさに伸びた白髪を、月光が斜めにかすめていた。


 奈崩(なだれ)は淫崩(みだれ)と同じひだる神の末裔で、わたしと同い年だった。


 現在と違って、この頃は彼に対する悪感情は全くなかった。

 むしろ、ささやかな愛着と敬意すら抱いていた。


 ということで、尿意をこらえながら、彼の隣にしゃがみ込む。


「大丈夫? 」

 と訊くと、いつもと同じように目をそらされた。

 傷ついてはいるけれど、命に別状はないのだろう。

 わたしは微笑みを作る。


 立ち上がり、トイレに向かう途中、鼻血がでた。

 鼻をかむみたいに、血を拭きながら用を足す。


 ほ、とか、ふ、とかが混じった発音のため息をつく。


 鼻血は傷ついたひだる神と向かい合う時の副作用だ。

 淫崩や須崩といても起きる事なので、わたしは大して気に留めなかった。


 むしろ、

― 久しぶりに手当してあげようかな。―

と思って下の階に降りる。


 食堂と医務室に侵入して、ひだる神の回復薬を盆にのせる。

 ちなみに回復薬は生理食塩水と、のむヨーグルトだ。


 奈崩がいたところに戻ると、彼はもういなかった。

 まだらな血の痕(あと)が残るのみだ。

 

 わたしはため息をついて、両手で持っていたトレーに視線を落とす。

 それから、窓ガラスを見上げた。

 

 ガラスの向うの闇には、満月が臨在していた。

 月光の空間には、奈崩がいた気配がある。

 傷ついた彼から漏れ出た毒素が、まだ空気中に浮かんでいるのがわかった。


 わたしの鼻腔から再び血が流れて、唇に伝った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る