第8話 親友の宝物
わたしが奈崩(なだれ)に屈服したのは、14歳のときだった。
そのころのわたしは、村の保育所で生活をしていた。
保育所といっても、世間一般で言われる保育所ではない。
ここでは、0歳から18歳までの子供たちが生活をする。
彼らは、全国各地の民話や神話の末裔たちだ。
ここの子供たちは親の顔を知らない。
村には世帯や家族という概念がないからだ。
まあ、村というのは、とても特殊な共同体だと考えてくれればいい。
この共同体は因果の血統をつむぎ、凝縮することを目的としている。
品種改良とも言える。
なので村では、善悪という価値尺度は意味をなさない。
代わりに『強者こそ至尊』という力の論理が、全てを支配している。
もちろん昔からの掟(しきたり)もある。
でも従うかどうかは、強者次第だ。
この力の論理は、もちろん保育所でもまかり通る。
だから、強肉強食のスローガンのもと、子供たちは自らの因果(ちから)を頼みにして、ひたすら潰し合いの日々を送る。
保育所にいる世話係、保育士たちは、栄養指導のほか、武術、学問、武器の取り扱いから世界の神話まで、あらゆることを教えてくれる。
が、道徳は教えてくれない。
ただ、2つのことは、叩き込む。
1つは、死にたくなければ強くなること。
もう1つは、返り討ちに遭っても文句は言わないこと。
こんな感じの潰しあいを生き延びて、ここを卒業できた者は、もれなく優秀な戦士となる。
能力が低い戦士が運よく出れても、すぐ死んでしまう。
わたしたちが挑む任務は、案件というが、ちょっと気を抜くとすぐ死んでしまうものが多いからだ。
ちなみに、わたしは自分が優秀な戦士かと問われると、少し困ってしまう。
優秀かどうか以前に、性格的な問題が多すぎるからだ。
それでも駆他(かるた)の因果と、友の淫崩のおかげで、14歳になるまでは、蹂躙を経験することなく、生を編むことができた。
駆他(かるた)というのは、わたしが内に抱える因果である。
古来西洋の人魚、セイレーンのモチーフとなった人物がご先祖様ということもあって、わたしの鼓膜の内側では、常に旋律が渦を巻いている。
この旋律を聴いた者は、死や昏睡、醒める事のない狂乱に誘(いざな)われる。
だから、駆他の意味は、常世(とこよ)の他に駆る者、となる。
こう書くと恐ろしい因果であるけれど、わたしには自然だった。
乳歯も生えないころから、わたしは隔離されて歌い続けた。
哺乳瓶の先をあてる保育士たちは、耳栓を常に装着していた。
たまの拍子に詮が外れると、その保育士は、泡を吹いて死ぬ。
その傍(かたわ)らで、わたしは、はいはいをしながら、歌い続けたりしていた。
こんな風に、隔離棟で育つ子供は、特殊な因果の持ち主として警戒される。
なので、隔離棟から一般棟に移った後、わたしに挑んでくる子はそうそういなかった。
それに、何よりもわたしが無事でいられたのは、お互いを守り合う友がいたからだ。
その子は淫崩(みだれ)といった。
いつも2歳年下の妹分の、須崩(すだれ)を連れて歩いていた。
淫崩(みだれ)と須崩(すだれ)は、2人ともひだる神の末裔だった。
ひだる神は疫病神である。
もっと詳しく言うと、三重や須磨の、飢餓と悪寒と死をもたらす神様である。
彼らは体内に取り込んだ病原菌を駆使して戦う。
わたしたちの戦いの手順は明解だった。
襲撃者が来ると、まず、わたしが心音で察知し、彼女たちに伝える。
それから襲撃者たちは、血と吐しゃ物と排泄物にまみれて死ぬ。
これだけである。
どんな強力な因果(ちから)があってても、細菌兵器には勝てない。
彼女たちが戦闘態勢に入る前に不意打ちをすれば、勝ち目はあるかもしれない。
けれど、不意打ちを許すほど、わたしの聴覚は鈍くないのだ。
わたしの血統は、音楽を楽しむことを棄てたかわりに、聴覚による広範囲の索敵を可能にしていた。
それでも、防護服に身をすっぽり覆いながら、攻撃をしてくる者もいる。
そういう勇者は淫崩(みだれ)が潰した。
彼女は、ドラム缶みたいな体型をした女の子だったが、体術の達人でもあった。
そしてもし彼女を潰しても、わたしが歌えば全てが終わる。
いつもこんな感じだったので、わたしたちのグループは保育所でも最強の位置にいることができた。
でも淫崩(みだれ)はいつも、わたしたちが生き残れる方法を探していた。
彼女は体術に答えを求め、幼くして詠春拳の達人になり、わたしや須崩に教えてくれた。
その指導はとても親切丁寧、かつ適度に鬼だった。
わたしはあの子の、ひたむきさを、とても尊敬している。
それは、彼女が逝ってから恐ろしい時間がたった、今でも。
……これは、わたしたちが10歳の頃、淫崩式詠春拳教室第一回での会話である。
「こう、動くの」
彼女は、10歳にしては太めな足とずんぐりした胴体に比べて細い腕を、前後にクロスさせながら言った。
「こう…かな? うわっ!」
とわたしは、真円の上をよろける。
その円はグラウンドの土に白いチョークで描かれていた。
「まあ、習いたては、上体に安定を期待しちゃダメだけどね。集中力の訓練にもなるし、いいよ」
「才能かなあ?」
わたしは淫崩の妹分に視線を飛ばす。
真円の上をすらすらと歩いている。
淫崩は顔に複雑を浮かべた。
「筋はいいんだけどね。ひだるの因果の方を、もうちょっと頑張ってもらわないと……。きつくなる、かな。ほら、他の子たち、どんどん強くなってきてるでしょ? 因果の使い方に慣れてきてる、ていうのかな」
「ごめん」
わたしはとても悲しくなって言った。
「あんたの因果は完成してるじゃない」
淫崩は、おかっぱ頭を小さく横に振った。
髪も揺れる。
「……多濡奇が歌ったら終わるって、みんな知ってるから、よほどじゃないと手を出してこないし」
その、よほど、が増えてきていた。
わたしは無言で、真円の上を歩き始めた。
当時は、わたしたちは3人そろっておかっぱ頭で、丸顔だったため、ダンゴ3姉妹とか言われていた。
けれど、索敵だけで、実際の戦闘に携われないわたしは、言葉にしにくい疎外感を感じていた。つまり寂しかったのだ。
その上、たまに彼らの戦闘のあおりを受けて、吐血したり、ひどい嘔吐に悩まされたりしていた。
彼女たちは、吐血のたびに謝ってくれたけれど、謝りたいのはこちらの方だ。
― そもそも菌を使うことができるとか、人の意志に沿って細菌が暴れたり収まったりするって謎すぎるなあ。まあ、それを言ったらわたしの歌も、謎なのだけど。―
……真円の上で揺れる視界をこらえつつ、足をクロスさせながら、わたしは、そう思った。
アンパンまんの敵の、ばいきんまん。
それがわたしの中の、淫崩(みだれ)たちと共に戦う細菌のイメージだった。
14歳になっても、淫崩は相変わらず大柄で、頬のぽっちゃりした女の子だった。
彼女の体のラインも、早めに発達した胸囲とお腹周りが同じという、見事なドラム缶体型。
けれど、その動きに鈍重さはかけらもない。
小さいけれど澄んだ瞳に似つかわしく、テキパキとしていた。
さすがは、体術の達人である。
彼女はマスコットのデザインが好きで、たまにノートを見せてくれたりした。
愛情をしたためるように描かれた、萌え萌えな男の子たちの姿に、わたしは閲覧のたびに、ため息が出た。
ある日、萌え萌え君たちの一人に指をさして、誰? と訊くと、耳にしたことのない細菌の名前を教えてくれた。
いわゆる擬人化である。
その筆致に迷いはなく、黒髪の光沢がきらきらして素敵だった。
けれど、どのページにも必ず小さな血の飛沫が点々としていた。
「まだ言う事を聞いてくれないの。ボツリヌス君」
ノートの上のボツリヌス君を指さしながら、彼女は苦笑まじりに続ける。
「体に取り込んでね、免疫で服従させたら大人しくなってくれるんだけど、疲れてると暴れたくなるみたい」
「そう」
「ま、今は大丈夫よ。完全に飼いならすためには、何度でも叩き潰さないと。上下関係がわかってくれたら、すごく頼もしい味方になってくれるし」
「須崩(すだれ)のも?」
わたしは妹分に視線を投げた。
彼女は真円の上をすらすら歩いている。
この子の体術は、12歳にしては、結構なものとなっていた。
楽し気に、そして得意気に円をゆく彼女の姿を見ていると、力が抜ける。
そのまま、わたしは地面に腰をおろした。
砂や小石に、尻がちくちくとした痛みを感じる。
淫崩は、わたしを見下ろして困ったように笑った。
「あの子はまだ病原性大腸菌(おーいちごーなな)。小間使いみたいなものだよ」
静かなトーンで、彼女は続ける。
「身体はできてるんだけどね、まだ強いのを取り込むのは怖いみたい」
ひだる神たちは、自らの体に取り込んだ菌を駆使して戦う。取り込むためには、一度その菌を体に受け入れ、症状に苦しみながら、屈服させねばならない。
自分の程度にあった菌でないと、菌は服従せず、苦しむだけで、取り込めずに終わる。最悪、死ぬ。
須崩は死ぬのが怖いのだろう。
わたしは、膝小僧の上に開かれたノートを、再び覗き込んだ。
確かにボツリヌスさんは強そうに見える。
和服にストレートな長髪。何かのアニメキャラみたいだ。
「……大腸菌(いちごーなな)の絵はある?」
淫崩は、ちょっと笑って、昔の絵だから恥ずかしいんだけどね、と言って、わたしの横に座り、ノートをぱらぱらとめくった。
それから、初めの方を開いて、見せてくれた。
小柄なセーラー服の男の子だ。
「ウィーン少年合唱団にね、憧れてたんだ。今もだけど。あの子たち、いい、よね?」
同意を求められる。
「……しょた?」
「違うちがうちがうちがうちがう!あんまり人聞き悪い事いうと、食中毒にするよ? てのは冗談だけど、本当に純粋にいいと思うの。綺麗だしきらきらしているし。よく言われている、声変わり前の、刹那的な良さとかじゃなくて、変わった後の人生の覚悟っていうのが、滲(にじ)んでて、あたしも励まされるの。こんな、潰し合いの日々の中でも」
「そう」
わたしはセーラー服の横の消しゴムの跡をみていた。
灰色にかすれて、水に濡れたみたいにそこだけ柔らかい。
何度も書き直したのだろう。
「ここを出ても、案件とかで相変わらずの修羅でしょう。でも頑張ったら、休暇(おふ)ももらえるし、好きな仕事にもつけるじゃない? そしたら、音響関係での仕事して、ウィーンの子たちの公演のお手伝いとかしたいの。知ってる? けっこう日本に来てるのよ、あの子たち」
「純粋な下心ね」
とわたしは笑った。
淫崩(みだれ)は、とても顔を赤くした。
そのつぶらな瞳も大きくなる。
「違うの。純粋な芸術なの」
わたしは、うんうん分かってる、と満面の笑顔を作った。
あまり、取り乱す彼女を見たことがなかったからだ。
けれど、普通のヒトの音楽は全然分からない。
小説とかなら、心の機微に自然と触れるし、知らずに涙ぐむ事もある。
けれど、音楽関係は本当に駄目だ。
だって、わたしの鼓膜に渦巻く歌のことすら、あまりよく分からないのだ。
淫崩は、わたしから、ぷいっ、と視線をそらした。
「いいじゃないっ! 村人が芸術に尽くしたって! そりゃ、ウィーンの子たちが、可愛くて、綺麗できらきらしてて、お人形さんたちみたいな天使さんたちみたいだから、近くで見たいってのは、その通りだけど、本当にあの子たちの歌って、感動するの」
一気にまくし立ててから、付け加える。
「多濡奇だって、聴いたら響くよ」
その声は小さくかすれていた。
わたしは音楽どうこうより、そういう彼女がとても微笑ましかったのを、覚えている。
翌日、彼女はわたしにCDアルバムを1枚貸してくれた。
タイトルはウィーン少年合唱団1988 東京公演記念アルバム。
男の子たちの雄姿が、ジャケットの表(おもて)を飾っている。
彼らは逆三角形の隊列を壇上に成して、そろって大きく口を開いている。
わたしはその開き方に、カッコーを思い出した。
そのアルバムをわたしに渡す時の淫崩(みだれ)の面持ちは、まるでキリストの聖杯でも託すかのように神妙なものだった。
わたしは作るべき表情に迷う。
彼女は、貸してあげる、と小さく厳(おごそ)かな声で言ってから、照れ隠しに笑った。
「昨日ね、布団の中で考えたら、下心95%だったわ」
その2日後、お返しにと、自作のパーカーを彼女にあげた。
そのパーカーは、ひよこみたいなレモン色で、フードもひよこの被(かぶ)り物になっていた。
このひよこ好きはいつからだろう。忘れた。
さらに2日後、須崩(すだれ)だけのけ者というのも可哀想だったので、彼女にも作ってあげた。
そして、みんなでシャツの上から羽織って、保育所を闊歩(かっぽ)したりした。
わたしたちへの揶揄(やゆ)は、だんご三姉妹から、ひよこ三姉妹へと変わった。
……このウィーン少年合唱団のCDは、借りてからしばらく、布団の中でイヤホンをさして聴いていたりした。
けれど、少年たちの歌声には、やはり何の感情も抱くことができなかった。
それでもわたしは、保育所を出てからも、このCDを時々聴いたりする。
その理由は2つある。
1つは、彼女に返しそびれたからだ。
つまり、淫崩(みだれ)はわたしがCDを返す前に、死んだ。
彼女の死はわたしのせいだ。
もう1つは、淫崩(みだれ)は親友だからだ。
わたしと彼女は、お互いを守りあう戦友だった。
だからわたしは、彼女の大切なものを、大切にし続けている。
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