第4話 説明会
わたしたちは山下公園から東のオフィスビルに移動。
通りをはさんだ樹々の向こうに横浜スタジアムを望むこのビルは真っ黒なガラスで全面を覆われている。
エレベーターという物を好まないわたしたちは、非常階段を昇りだす。
この階段は、白のペンキがところどころ欠けている。
「てかよぉ。こっちで良かったんじゃねぇか? 集まるのはよぉ」
ぶつくさ言う奈崩に、境間さんは穏やかに応えた。
「海沿いの鳩さんたちとですね。戯(たわむ)れたかったのですよ。わたくし境間が」
― 相変わらず、自由人だなあ。境間さん。―
妙に納得する。
奈崩は、けっ、という。
14階の非常扉までたどり着き、そのまま通路に入ると、黒に近い灰色のネズミが中央の床で蹲踞(そんきょ)の姿勢をとって、わたしたちを見上げていた。
その鼠は境間さんに駆けてきて、彼のコートをするすると昇り、襟口の隙間にするっと飛び込んで、服の中に消える。
― 相変わらず、ファンタジーだなあ。 ―
境間さんは、動物使いだ。
今の鼠は、説明会場のセッティング係なのだろう。
説明会場は、突き当りの角部屋だった。
広い会議室で、電気がすでについている。
空調も耳に障らない程度に作動していて、気温も湿度も快適に保たれている。
けれど、オフィスビル特有のすえたホルムアルデヒド臭がして、わたしは顔を微かにしかめた。
村人は超田舎育ちなので、基本的に、人工的な空気があまり好きではない。
集合地点を自然溢れる山下公園にしたのは、境間さんの心遣いなのだろうと思った。
会議室の中央にはダークブルーの椅子が4脚。
半円の陣を形作(かたちづく)っている。
「どうぞ、お好きにお座りください」
にこやかにおっしゃる境間さんに会釈をして、彼の前を通り一番通路側の席に座る。
黒髪の女の子が向かいの一番窓側に座るのを視界におさめながら、ささやかに、願う。
― 九虚君がわたしの隣だったらいい、な。―
……本当に隣の椅子に座ってくれたので嬉しく思う。
そしてほっとする。
奈崩の隣は嫌だ。
この奈崩はわたしの嫌悪と安堵など気にも留めない様子で、女の子の隣にどかっ! と座った。
境間さんは奈崩に微笑んで、ドアを静かに閉めてから半円陣の前に進む。
それから向き直って、わたしたち一人一人を見回した後、深々と辞儀をした。
「あらためまして。説明会にご足労いただき、大変感謝いたしております」
わたしと九虚君はつられて座礼をする。
奈崩はふんぞり返ったままだ。
女の子も座礼をしたけれど、顔は不機嫌だった。
「では、取りあえず自己紹介をしあいましょうか。今回の案件は皆さん4人で臨んでいただきます。かなりきつい案件ですので、まずはお互いにですね。自己紹介をして、相互理解を深めましょう」
にこやかに言ってから境間さんは一度言葉を切り、わたしに目を合わせてうなずいて、続けた。
「では、多濡奇さんから、どうぞ」
……わたしはどぎまぎしながら、
「多濡奇(たぬき)です。先祖はセイレーンで、歌を使います」
と短く言った。
すると、女の子と目が合った。
眉をひそめながらわたしを睨んでいる。
大きな黒い瞳が怒りにきらきらしており、心当たりがありすぎるわたしは、視線をずらした。
「はい。ありがとうございます」
境間さんが柔らかく言って下さったので、我に帰った。
上体をかがめて礼をする。
膝の上に置いたひよこの被り物が、胸に圧迫されてひしゃげる。
「皆さんご存知の通り、多濡奇さんの歌は強力ですからね。加えて聴覚もとても優れていらっしゃいます。今回の案件では、主に広域殲滅(こういきせんめつ)と索敵(さくてき)を担当して頂くことになります。詳しくは後程(のちほど)になりますが。では、次に、九虚君。どうぞ」
「……九虚(くこ)です。先祖は空狐(くうこ)で、気功を使います」
静かな声だ。
「はい。ありがとうございます。ご存知の方もいらっしゃいますが、九虚君の気功、治癒能力は強力ですからね。加えて不死身に近い肉体の持ち主でもあります。今回の案件では、主に皆さんのサポートを担当して頂くことになります。では、次に、奈崩君。どうぞ」
「……奈崩(なだれ)だ。俺の先祖はひだる神だ。菌を使う」
こめかみに太筋をピキピキ走らせて威圧感を全開にする奈崩に、わたしは呆れた。
「はい。ありがとうございます。知る人ぞ知る、奈崩君の菌は強力ですからね。今回の案件では主に近接戦闘を担当して頂きます。では、最後に志骸(しがい)さん」
「……志骸(しがい)。先祖は油赤子(あぶらあかご)。爆弾を使うわ」
志骸(しがい)という女の子は幼い声でそう言って、目を伏せた。
長いまつ毛が美しい。
「はい。ありがとうございます。志骸(しがい)さんは因果のためにこういう姿ですが、実際は手練れの爆弾魔ですからね。今回の案件では主に外見を活かした諜報と破壊工作を担当して頂きます」
「いいですか?」
志骸が手を小さく上げた。
「どうぞ」
「……戦争でも、始めるんですか? アニメとか漫画でしか言わない台詞ですけど。でも、戦争でも始めるんですか?」
志骸は真っすぐに境間さんを見た。
境間さんは、ニッコリと笑顔を作る。
「そうですねえ。戦争、みたいなものです」
「です、よね。広域殲滅能力の歌使いに、細菌兵器の斑転に無条件治癒能力者に破壊工作員ですもんね。で、敵は軍隊ですか? 国家ですか?」
「それがですね。分からないのです。敵(あいてさま)が国家なのか軍隊なのかはたまたどこかの一個人なのか。ただ、皆さんにお任せする今回の案件はですね。一度失敗していましてね。前任者は殺されています。……逆忌(さかき)さんは皆さんご存知ですよね?」
脳裏に逆忌さんのロマンスグレーが甦った。
民俗学の大学教授をされていた方で、遠い昔だけれど、講義を受けた事がある。
境間さんは寂しそうな顔をした。
「彼はこの死で溢れた美しい世界における、最も強い獣の一人でした」
心臓がはねた。
志骸の頬から血の気が引く。
九虚君も大きく目を見開いた。
奈崩すら顔を上げて境間さんを凝視する。
わたしはというと、安定の口元半開き状態である。
『死で溢れた美しい世界における、最も強い獣の一人』
という修辞句は、境間さんと同等の強さである事を示す。
それほど異質な強さを持つ村人を屠(ほふ)った者がいる。
しかも、彼はそれほどの事をしておいて、正体が一切不明なのだ。
……わたしの全身の産毛は逆立った。
空調の作動音が強くなり、轟轟(ごうごう)と吹き荒れ始めるような、そんな錯覚を覚えた。
「さて、それでは今回の案件の概要をお伝えいたしましょう。そんなに皆さん、硬くならなくても大丈夫ですよ」
境間さんはそこで一度言葉を切って、ニッコリと笑い、
「なにせ、今回の生存率は25%です。ばば様のお告げですがね。」
ばば様まで出てくるという事実に、わたしはくらくらした。
今回の案件には、村の存亡がかかっているらしい。
ちなみに、ばば様は人ではなく、遺伝子疾患である。
通常は15歳から35歳までの女性に発現する。
この遺伝病を抱える女性のことを村では、器様(うつわさま)と呼ぶ。
もちろん、器様は村人とは扱いも育ち方も、一般の村人とは全く違う。
身体能力が一般人とほとんど変わらない彼女たちは、簡単に言うとかぐや姫方式で育つ。
普通のヒトたちの家庭に託されて育ち、学校に通い、就職や結婚のどこかの段階で、その疾患は前触れなく発現する。
この時、彼女たちの中から人格は吹き飛ぶ。
代わりに予言の因果(ちから)を授かる。
彼女たちは予言の因果によって、多くの村人の命に関わることや、村の存亡に関わる事を断片的につぶやく。
このつぶやきを読み解いたり、対策チームを編成してババ様に上奏(じょうそう)し、その可否や成功率を伺うのが境間さんの仕事だ。
ようは、巫女さんなわけだ。
ただ、普通の巫女さんと違って、彼女のお告げは確実に当たる。
つまり、ばば様が生存率25%と告げたということは、本当に1/4なのである。
今回の案件で生き残るのは、わたしたちのうち1人だけだということだ。
わたしか九虚君か奈崩か志骸か。
……まあ、この場合は九虚君が順当なのだろう。
その事に特に不満は無い。
けれど、問題は任務が果たせるかどうか、なのだ。
「もちろん、村が皆さんに望むことは案件を達成することです。生存が目的ではありません。ですが、わたくし境間個人の希望としては、かなう事ならば、皆さん全員に生き残って頂きたい。それは約0.39%の確率ですが、この場の皆さんなら叶うと信じています。ちなみに他の編成(チーム)ですと一人あたり5㌫をきります。この編成(ちーむ)がベストメンバーということですね」
「伺ってもいいですか?」
九虚君が静かに口を開いた。
「はい。どうぞ。」
「案件自体の成功率はいくらなんですか?この編成の場合」
「68%です。他ですとやはり5%をきります」
「……逆忌さんは何%だったんですか?」
「お答えできません。士気に関わりますからね」
境間さんはニッコリと笑顔を作った。
それは明確な拒絶だった。
おそらく、前任者(さかきさん)の生存率と成功率は、かなり高かったのだろう。
境間さんと同等の異質(つよ)さの人だ。失敗するほうが難しい。
けれど、彼は誰かに屠(ほふ)られた。
- だから、わたしが呼ばれたのか。その誰かの拠点(どこか)を、誰かごと殲滅するために-
「まあ、案件の内容自体はささやかなものです。端的(たんてき)に申し上げますと、『幻の神花を探せ』ですからね」
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