SFの『世界』 後編

 何も無い死の星で、僕は30年を過ごすことになった。

「た……食べ物や水はどうすればいいんだ……?」

 あたりを見回してみると。

 東京タワーの近くに、何か建物があるのが見えた。SFらしく、お椀をひっくり返したような、半球状のドーム。

 そこまで歩いて行ってみる。

 着ている宇宙服が重く、時間がかかってしまった。

「家かな……?」

 ちょうどそれくらいの大きさだった。まん丸の窓がいくつかあったが、外からは中が見えない。

 ふと見ると、壁に紙が1枚貼ってあった。

 似顔絵にマンガみたいな吹き出しをつけて、「管理人室だヨ!」と書いてある。似顔絵は妙にリアルで、桐咲早紀にそっくりだった。

「あいつめ!」

 僕は紙をビリビリに引き裂いた。

 未来の宇宙から来た超能力の使える異世界人、そしてなぜか現代日本で就職アドバイザーなんかをやっている桐咲早紀。彼女のせいで、僕はこんなところで星の管理人の仕事を30年もやることになったのだ。

 だが、イライラしてても仕方ない。

 僕は建物の中へ入ろうとした。だが、ドアが無い。

「……どうやって入るんだ?」

 なんとなく、壁に触ってみる。

 すると、腕が壁に吸い込まれた。

「うわっ!」

 そのまま、全身が飲み込まれた。

 気がつくと、僕は建物の中にいた。

「おぉ!」

 いつのまにか、宇宙服が脱げている。もう一度壁に触れると、今度は宇宙服を着た状態で外に出た。

「へー、すごいや」

 僕はふたたび中に入り、建物の中を調べた。トイレやシャワー室、ベッドもあり、ひととおりの生活用品は用意されていた。そこそこ快適そうな空間だ。

「食料はどこだ?」

 キッチンのような部屋は無かった。

 そのかわり、リビングの棚に巨大な貯蔵庫があり、そこに何万枚という板チョコのようものが保管されていた。

「宇宙食ってヤツか」

 食べてみると、さまざまな味がする。イチゴ、グレープ、カレー、バーベキュー。「悪くないけど……これだけじゃあな……」

 やはり、こんなところで30年も過ごすのは無理そうだ。

「母ちゃんに電話して、仕事を辞めさせてもらおう」

 もともと桐咲早紀は、母親が寄越した就職アドバイザー。つまり、こうなった原因は母親にあると言っても過言では無い。

「でも、未来の壊滅した地球にいるとか言っても理解できないだろうしな……」 

 そのあたりをぼかしながら、僕は電話で母親に説明した。

 ところが。

『でもね……衣食住には不自由しないんだろ? もう少しそこで頑張ってみる気はないかい?」

 母親は、こんなことを言い出した。

「実は、いまの借家も、大家さんの事情で出て行かなくちゃならなくってねえ……3つやってるパートも1つ辞めようかと思ってるし……お父さんの遺産も残り少ないし、あんまりウチにはお金がないんだよ」

 なんて親だ!

 まともな親なら、子供が悲劇的な環境にいるのを放っておかないはずだ。そんな仕事を強制しておいて、自分は仕事を減らして楽をしようだなんて、これが人間のやることだろうか!

 温厚な僕にも、限度がある。

「ふざけんなクソババァ! もう2度と電話しねーからな!」

 僕は電話を切った。


 そして、僕の管理人生活が始まった。

 とはいっても、仕事なんて無い。ただ毎日、スマホを眺めながらダラダラと過ごすだけだ。最初の半年くらいは、それでも良かった。

 徐々に、誰ともしゃべる事ができないのが辛くなっていた。

 引きこもりだった僕は普段から母親しかしゃべる相手がいなかったのだが、ほんの一言二言の小さな会話がなくなっただけで、たまらないのだ。

 この星は、死の星だ。

 動物も、植物も、虫や雑菌でさえも存在していない。しかも自転運動が止まっているらしく、夜にもならなかった。気温もつねに一定、夏も冬もない。スマホのゲームでクリスマスだ夏休みだとイベントがあるたびに、胸をかきむしりたくなるような感情に襲われた。

 1年が経ったとき、僕は母親に電話した。

 帰ってきたのは、透き通った声のアナウンス。「おかけになった電話番号は、現在使われておりません……」

 馬鹿な! 僕に黙って番号を変えたのか?

「くそっ! あのババア!」

 僕は怒りにまかせ、スマホを床に叩きつけた。

 スマホは壊れた。

「あ……」

 振ってみても、さすってみても、電源が入らない。

 僕は通信手段を失った。

 本当の1人ぼっちになってしまった。


 それから、僕は。

 何もやることが無くなった。

 昼も夜も無いから1日がわからない。1年もわからない。ここに来てから何日たったのか? いま何年目なのか? わからない。

 僕は、なんとか時間を潰そうと考えた。

 すね毛の本数を数えてみた。

 鼻クソを集めてみた。

 どれだけキレイな円が描けるか挑戦してみた。

 机の足を止めるネジを抜いて、別の足のネジと入れ替えてみた。

 穴を掘って埋めてみた。

 いずれ、何もやらなくなった。

 何も考えなくなった。

 僕は座っていた。

 ずっと座っていた。

 目を閉じて座っていた。

 部屋の壁にもたれて座っていた。

 そして永遠にも思える時が過ぎた、ある日。かつてどこかで聞いた声が、僕の耳に飛び込んできた。

「どうも。お疲れ様です、新斗さん。仕事は終わりですよ」

「あう……?」

「さあ、もとの世界に帰りましょう」

「えおうあう-」

「あらあら、喋り方も忘れてしまったんですね。30年も1人でいれば無理も無いか。髭も髪も爪も伸び放題、手足は細くなって、まるでタワシのよう。このままで帰すのはしのびないので、ちょっとこの時代で治療を受けていきますか」

「えう……」

「大丈夫、遥か未来のこの時代では、科学が発達して人間の寿命は1000年を超えています。30年くらいの若返りだったら、エステの2時間コースでじゅうぶんですよ」


   ※   ※


 そして僕は、帰って来た。

 現代の、自分の部屋に。

「うおお、なつかしい!」

 お肌ツヤツヤ、すね毛ツルツル、ついでに10キロ痩せた僕は、慣れ親しんだ自分のベッドに飛び込んだ。

「サービスで、30年分の時間をタイムスリップをしておきました。いまは、あなたが異世界に行った5分後ですよ」

 とうぜん、桐咲早紀も一緒だ。

 僕は彼女に文句を言った。

「あのなあ! ひどいじゃないか、30年も仕事をするなんて聞いてなかったぞ!」

「でも、結果的にお金が入ったんだからいいじゃないですか」

「そうだ! 金!」

 僕はハッとした。

「仕事が終わったら、即現金で払うって言ってたよな? ええっと確か……」

「1日1万円。期間は30年、1万957日でしたので合計1億957万円です」

「1億!」

「はい、どうぞ」

 彼女が異空間に穴を開けると、そこから大量の札束がボトボトとこぼれてきた。拾っても拾っても、ああ、抱えきれないほどの札束!

「うひょおおおおお! よっしゃ、早速ネトゲに課金だ、1位になってやるぜ」

「まずやることがそれですか」

「そうだな! まずは、ウマいものでも食べよう! 銀座の寿司とか行って、そのまま高級クラブにリムジンで乗り付けて……」

「贅沢のイメージが貧困ですねえ」

「家買って、車買って、時計買って……ふはははは!」

「そんなんじゃ、あっというまにお金なくなっちゃいますよ」

「平気さ、1億あるんだぞ!」

「……ちなみに、いろんな税金4000万ほど払わなくちゃいけないんですが……」

「ふははははは!」

「ま、いっか」

 彼女は、札束を抱えて踊っている僕に背を向け、異空間の穴から帰ろうとした。が、少し思いつめたように足を止め、振り返る。

「そうだ。それだけ収入があるんだったら、お母様にいくらか差し上げたらどうですか?」

「は? なんで? これは僕の金だ」

「ですが……」

「あんなババア、もう関係ないよ。これだけの金があるんだ。家も買って、家政婦を雇うから、あんなやつ、親をクビにしてやる」

「そうですか」

 彼女は、僕を見つめた。

 とてつもなく深く沈んだ、冷たい目だった。

「……なんだよ」

 心地が悪くなって、僕は言った。

「私、桐咲早紀は、就職アドバイザーをやっています」

「知ってるよ」

「最近こんな相談を受けました」

「はあ? 興味ないけど」

「とある母子家庭のご婦人です。息子が学校を辞めて引きこもりのニートになってしまった、と」

「……」

「そのご婦人は、先日の検査で重病にかかっているのが判明したそうです」

「!」

「命に関わる病気です。手術を受けなければなりませんが、執刀できる医師は海外にしかおらず、大変な費用がかかります。渡航費、滞在費、入院費、手術代……数千万は必要でしょう」

「ちょっと待て。それって」

「ご婦人は言われました。私の命はあきらめる。だけど、私には息子がいる。命より大事な、愛する息子だ。できるだけの財産を残してやろうと思っているが、それでも息子の一生を支えられはしないだろう」

「待てよ」

「息子に仕事をすることを教えてやってくれ。どうか息子が、生きていけるように。どうか息子が、幸せになれるように。たとえ私がいなくても」

「待てって言ってるだろう!」

 僕は絶叫していた。

 彼女は、あいかわらず冷たい目で僕を見ていた。

「とあるご婦人の話です。あなたには関係のない、ね」

 そう言うと、彼女は僕に背を向けた。

 空間の穴から、帰って行く。

 僕は1人残された。

「……」

 がっくりと膝をつく。札束はぜんぶ手からこぼれ落ちていた。

 いつのまにか、僕は泣いていた。

 「ただいま」。

 声が聞こえてきた。母ちゃんの声だ。僕の母ちゃんの声だ。

「母ちゃん……」

 そして僕は。

 自分の手で扉を開け、部屋を出た。


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