紐帯
ショータの母親は10代でショータを産んだ。
彼女は、トモのお店の常連客だった。トモは彼女に、酒を出さない条件で店への出入りを認めていた。トモ自身も両親に捨てられ、孤児院で育った過去があったため、居場所のない彼女を追い出す事は出来なかったのだ。
そうしているうちに、彼女はショータを身籠った。相手は誰か分からないと言う。このままでは、お腹の子は俺と同じ道を歩むかもしれない。そう思ったトモは、ショータが産まれる直前に彼女と籍を入れた。形だけの婚姻だったが、トモはそれでもいいと思った。
ショータが産まれた翌日、彼女は消えた。それからトモとショータの二人暮らしが始まった。
ショータは何故かトモに似ていた。タレ目がちな目に、長い手足。違うのは髪質だけだ。トモのふわふわのクセ毛に対し、ショータの髪はストレートだった。
幼稚園にあがった時、ショータは泣きながらトモに懇願した。
「トモと同じ髪がいいー!ふわふわがいいー!」
幼稚園でからかわれたのだ。ショータには母親が居ない。父親は居るが他の父親に比べて歳を取りすぎている。髪の毛が似ていない。だからショータは拾われっ子だ、と。沖縄のコミュニティは狭い。トモとショータの事情を知る誰かが噂したのもあるだろう。
それを聞いたトモは、すぐさま美容室にショータを連れて行ってくれた。帰り道、あちらこちらに映るふわふわの髪を、嬉しそうに何度も見ては何度も触るショータにトモは言った。
「よく聞けショータ。ショータはショータだ。トモと同じ様にする必要はない。だが、ショータが辛い時はトモが何とかする。それが家族だろ?」
ショータは「うん!」と大きく頷き、トモの手を握った。
祐介が急患対応のため、隣接された婦人科医院に駆り出されて行った。息子のアキトに院長を譲ったとは言え、こういう時はまだまだ現役として診療に当たる。思ったより時間が掛かりそうだ。サチは公園に遊びに行ったカノンを、散歩がてら迎えに行く事にした。その旨を祐介にメールで送った。
公園に着くと、カノンを探す。ブランコの好きな彼女は多分、その周辺に居るだろう。その読み通り、カノンはそこに居た。ただ、ブランコには乗らず、その周りにある柵に腰掛けて誰かと話している。近づいて行ったサチは、その相手を見てハッとなった。
トモ…。
笑い方や仕草が似ている。それと何より、トモのように金髪ではないが、少し長めのカールした髪がトモにそっくりだ。
カノンがサチに気づき手を振る。
「バァバ!」
サチも手を振り返し、更に二人に近づく。近くで見ると増々トモに似ている気がする。少年にトモの面影を探していたサチは、
「こんにちは、カノンちゃんのおばあちゃん。」
と、少年の方から挨拶をされてしまった。慌ててサチも返す。カノンが笑いながら紹介をしてくれた。
「こちらはショータ君!」
「ショータ君ね。カノンと仲良くしてくれて有難う。」
「いえいえ、俺の方こそカノンちゃんと仲良くなれて嬉しいです。」
自宅は沖縄にあり、こちらには家庭の事情で1週間程滞在するだけだと言う。ショータは、自分の身の上話を混じえて話し始めた。その話し方までトモを連想させた。カノンはそれを、目をキラキラさせ楽しそうに聞いている。あの頃の自分もこの子の様な顔をしてたのだろうか。
ふとショータが顔を上げた。そしてサチの後ろに向かって手を振った。
「トモ!こっちこっち!」
サチの体が固まる。
やっと急患対応が終わった祐介は、習慣になっているスマホのチェックを始めた。サチからの連絡を確認するためだ。処置中は出れない事が多い。その代わりに、処置が終わり手が空けば、すぐ連絡する事にしている。息子のアキトには「マメ過ぎる」と呆れられるが、気になるのは仕方ない。
メールの着信が1件ある。サチからだ。内容を読んだ祐介に動揺が走る。あの日ショータに会ってから、祐介はサチをあの公園に近づけないようにしていた。サチがあの男を思い出すのが怖かったのだ。もう何十年も経っているが、祐介は今でも、サチがあの男に連れて行かれるのではないかと不安になる事がある。
それが現実に起こるかもしれない。
祐介は考える間もなく公園に走った。
サチとトモは、遊んでいるカノンとショータが見えるベンチに腰掛けた。微妙に空いた二人の距離が、別れてから今までの時間を表しているようだった。
「ビックリしたよ。まさかサチに会えるとはね。変わんないな、サチは。」
トモの方こそ変わらない笑顔で話始めた。サチはまだ混乱していて、何を話していいか分からないでいた。
「変わりましたよ。もう還暦も過ぎたんだもの。おばあちゃんですよ。」
「あはは。変わらないよ。サチはサチのままだ。」
八重歯が覗いた。左耳のピアスは、今は外しているようだ。
「カノンちゃんのおばあちゃんはサチだったのかぁ。言われて見ればサチに似てるな。うん、似てるよ似てる。」
「似てますかね。私はあんなにお転婆では無かったと思いますが。」
「あはは。でもサチも意外と活発だったよな。覚えてるか?トモがアパートの鍵を無くした時のこと。あの時、サチがさ…」
そう言って、笑いながらトモは、大袈裟に手足を動かし話始めた。当時のトモも、親しい人の前では自分の事を「トモ」と呼んでいた。何度も子供っぽいと注意したが直してくれなかった。そんな所も変わっていない。
まるであの頃に戻ったようだった。サチに自然と笑みが溢れる。
その時だった。
「サチ!!!」
公園に響き渡る程の声がした。サチは思わず声がした方に顔を向ける。そこには祐介が立っていた。息が切れているのが、大きく上下した肩の動きで分かる。こちらを見る顔は青ざめていた。
「旦那?」
トモが問う。
「そうですよ。私の旦那様です。」
祐介の方を見ながらサチが答える。
「そうか。じゃあもう行かないとな。」
その言葉にサチは立ち上がった。トモの方へ体を向ける。何を話していいのか、まだサチには分からなかった。
黙ったままのサチヘ、トモが手をズボンの後ろポケットから何かを取り出し手渡す。それはあのキーホルダーだった。青緑色のガラス玉が付いた革紐のキーホルダー。あの日、トモのアパートの郵便受けに返したものだ。
「これ、まだ持ってたの?」
「持ってたよ。それ持ってたらさ、いつかサチに会える気がしてたんだ。ほら、会えただろ?」
サチは、いたずらっぽく笑うトモを見つめる。言葉が出て来ない。
「やるよ。それさ、青くて白い花の模様があるやつはトンボ玉って言うんだって。魔除けのパワーストーンなんだってさ。知ってたか?」
サチは黙って首を振る。
「サチが持ってなよ。トモとショータは明日沖縄に帰っちまうし。」
サチは再度、祐介の方を見る。先にカノンが着き、祐介の左手を繋いで立っている。祐介の顔は今にも泣き出しそうだ。それを見るまでもなく、サチの心は決まっていた。
「ごめんなさい、トモ。これは貰えません。それに…。」
トンボ玉をトモに渡しながらサチが続ける。今度はトモが黙る番だった。
「私にはすでに守ってくれる人が居るわ。これは必要ない。」
サチは微笑みながらそう言うと、祐介に向かって歩き出した。
「サチ!」
呼び止めたトモに、サチが振り返る。2度と会えなくなる前に、サチに何か言わなければいけない気がしているのに、喉の奥に何かが詰っかえて、トモは何も言えずにいた。
「また会えて嬉しかったわ、トモ。元気で。」
先にサチに言われてしまった。
「トモもだ。サチも元気でな。」
そう言うのが、トモには精一杯だった。
トモと別れて祐介の元に着いたサチは、空いている祐介の右手を取った。俯いている祐介の顔を笑顔で覗き込みながらサチが言う。
「さ。お家に帰りましょう。」
カノンが先立って歩き出した。次にサチが続く。祐介は必然的にふたりに引っ張られる形になった。歩くのが遅くなった祐介にカノンが振り返る。
「ジィジ、泣いてるの?」
「あらあら、泣いていらっしゃるの?」
二人にそう言われて、祐介はそれを誤魔化すために涙を拭いたいが、両手が塞がっていて拭えない事に気づく。思わず笑う。
「あ。今度は笑ってる!」
「あらあら、おかしなジィジですねぇ」
もう何を言われてもいい。祐介は二人の手を強く握った。
サチと別れた後、トモはその場でしばらくタバコを吸っていた。遠い昔に意識が飛ぶ。そこにサチが居た。
その日はたまたま仕事が休みで、遊び仲間と待ち合わせるため、近くの公園の入り口に居た。
何気なく友人の来るであろう方向を見ていたら、一人の若い女性が歩いて来た。トモとは住む世界の違う真面目そうな女性だった。夏の風に揺れる長く真っ直ぐな黒髪が綺麗だと思った。
所在なく手をポケットに入れると、昨日拾ったガラス玉が指先に当たった。その後の行動はトモは意識していない。なぜ彼女がそれを落とした事にして話しかけたのか、なぜそれをキーホルダーに仕上げたのか、なぜそれを彼女にあげたのか。今もトモには分からない。
ただ、トモは一瞬で彼女に恋をした。それだけだ。それがトモを幸せな気持ちにさせていた。
トモはキーホルダーを見つめる。長い年月を経て、青緑色のガラス玉には幾つもの傷が付いていた。革紐は擦り切れる度に変えてきたため、比較的新しい。宿泊先へ戻るために、トモはショータを呼んだ。
「これ、欲しがってたよな?要る?」
やって来たショータの目の前でそれを揺らす。
「やったぁ!要るに決まってんじゃん!ありがと、トモ!」
トモの手から奪い取るようにしたショータは、それをズボンのポケットの中に無造作にねじ込むと、スキップするように先に走って行く。少し遅れて歩き出したトモだったが、やがてショータを追いかけて走り出した。
「ちょっと待て、ショータ。やっぱりそれ返せ。」
「はぁ?もうこれ俺のもんだし。」
「いやいや、まだトモのもんだし。」
「意味わかんねぇ。トモ、振られたからって俺に当たるなよ。」
「はぁ??振られてないし!」
秋風が、言い合いながら走る二人の髪をふわふわと揺らしていた。
蜻蛉玉 @cha-cha
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