2-11

 ◇◇◇


 窓を開けると、密閉されていた部屋の空気がふっと動いた。ほのかに白んでゆく明け方の凍てついた空気が、頬を叩く。

 ソファーで寝たため背中が痛むが、致し方ない。ぐいっと背筋を伸ばすと、関節が悲鳴を上げた。

「さて、やるか」

 時計盤は四時半を指している。

 刀を手に取り、できるだけ物音を立てないように扉を開閉すると、修練場に改造されてある十六階に、足を向ける。

 さかき家は剣術を主流としていて、それに関しては神咲かんざき家よりも上のはずだ。だからこそ、一切の手の内を明かさずに、この三年間を過ごすつもりでいた。目立たず、目をつけられることなくひっそりと過ごせればよかったのだが、神咲かんざき れんという存在によって、その計画は早々にほうむり去られてしまった。

 だが落胆とは裏腹に、燐慟りんどうの胸の中ではこれからの学園生活に対する、僅かな希望と期待が渦巻いていた。

 自然とつり上がっていた口角に苦笑しつつ、それを振り払うように柄に手をかける。

「──茜雫せんな

 妖艶ようえんに光を放つ刀身が、ほんのりと茜色に色づく。

 鞘を横たえたところで視界をブラックアウトし、架空の敵を想像する。右足を後ろへ引き、重心は中央よりやや後ろ気味にし、十分に剣先を下げる下段の構えを取る。切っ先を跳ね上げ、刃先を右に向けつつそのまま振り下ろす。薙ぎ、刺突、払いを繰り返せば、服は水を含んで重みを増していた。霞んで見える銀の鈍い光が宙を乱舞し、残像をちらつかせる。

 ようやく刀を納めたときには、喉の奥が痛いほどに乾いていた。絶えずこめかみを流れる汗を拭いつつ、少し前から感じていた気配に声をかける。

「ユリか」

「はい。朝食のご用意ができました」

「分かった。すぐ行く」

 部屋に戻りすぐにシャワーを浴びた燐慟りんどうは、テーブルに並べられていた朝食に手を付ける。こんがりとキツネ色に焼けたトーストの香りが、空腹を主張する胃を刺激する。

 ユリが何か言いたげにチラチラとこちらを見てくるが、燐慟りんどうは構わず朝食のサラダに手を付ける。

 そこでようやく、ユリが口を開いた。

燐慟りんどう様、あたしも学園に通うことになりました」

「──ッ!!?」

 思い切りキュウリの欠片が気管に入ってしまい、言いようのない息苦しさと吐き気に襲われる。幾度か咳を繰り返し水を流し込むと、ようやく治まった。

「だ、大丈夫ですか?」

「……ッ、なんとか……って、違ェよ! 学園に通う!?」

「はい! 木煉もくれん様が『あの愚息を守ってやってくれ』と、おっしゃって」

 なぜか満面の笑みを浮かべ、燐慟りんどうを見つめるユリ。その頬は興奮からか、はたまた別の何かからなのか、桃色に染まっている。

「本当は昨日から通うつもりだったのですが、いろいろと手間取ってしまいまして……あの、制服……似合っているでしょうか?」

 そういえば、学園の女子もこのような制服を着ていたな、と思い出す。

 黒を基調としたセーラー服で、鮮やかな赤色のネクタイが胸元を着飾っている。襟と袖のところには赤の三本線が入っており、厳かな印象が見受けられる。黒色のスカートのひだはきちんと整えられており、全くの乱れもない。

 控えめながら、それでいてしっかりと強調されている胸の前で、モジモジと両手を動かすユリ。

 なんだか燐慟りんどうはどぎまぎして、ついと目を逸らした。

「……サラダ美味いな」

「えぇッ!? 無視ですか!!?」

「うるさい。さっさと食え。もう時間だ」

 時刻は、七時五十五分。ホームルームが始まるのは八時二十分であるから着くのはギリギリになるが、そんなことはどうでもいい。

 頬を膨らませているユリを横目に、燐慟りんどうはさっさと支度を済ませた。

  

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追憶のノスタルジア 奏佳(そうか) @nostalgia_1210

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