2-10
◇◇◇
ヘリで再び自宅に戻った
「あっ!! お帰りなさいませ、
エプロンを身につけた女が、何食わぬ顔で料理をしていたから。
額に手を当て、深い溜息を吐き出す。それから携帯電話を取り出し、ある人物の電話番号をタップする。数コールの後、相手が出る。
「あの、父上」
『おう、どうした
「……なぜ、ユリがいるのですか……?」
──
代々、
ぱっちりと開かれた藍色の瞳に、肩まで伸びた乳白色の柔らかな髪。身長は百五十cmほどと小柄であるが、彼女から繰り出される刀さばきは、
『一応、護衛の命を与えておいた。一人じゃ寂しいと思ったのだが、不要だったか?』
「そういうことは、事前に知らせておいてください……」
『ん? あぁ、そうだ。学園はどうだ?』
溜息混じりの
──登校初日で、早々に
──敵対しているはずの彼から、友達になろうと切り出されたこと
──時雨が生きていたこと
今日一日で起きたことが、一瞬のうちに脳裏をかすめる。
結局、
「いえ、大丈夫です。問題ありません」
『そうか。なら良かった』
「はい」
『お前は強いからな。俺よりも、はるかに』
「……そんなことはありません」
なんとなく気恥ずかしくなって、手持ち無沙汰な左手で頭をかく。
『道のりは長い上に、お前が想像しているよりもはるかに厳しい。気を抜くなよ、
「はい」
またな、という言葉を最後に、無機質な音声が通話終了を知らせる。携帯電話をしまうと、ユリが笑顔で駆け寄ってきて、
「
くだらない事を言うユリの口元を片手で押さえると、モガモガとくぐもった声が聞こえるが気にしていたらキリがないので無視。
「風呂に入ってくる。飯はそのあとだ」
「承知しました。あっ、あたしと一緒に……」
「入るかッ!!」
なおも擦り寄ってくるユリを無理矢理振り払い、浴室へと向かう。
ガルゼレスの血がこびりつき、ところどころ凝固し始めていた制服を脱ぎ捨て、かごに入れる。
浴室に足を踏み入れればほんのりとラベンダーの香りが鼻腔をくすぐり、
眼を閉じれば、今日の出来事が鮮明に思い出された。
そういえば明日から実力試験だ、などと思ったが、本気でやるつもりは毛頭なく、早いうちに負けて、
「……ノアは使えねェしな」
──ノア
心への直接的かつ深刻なダメージを負った場合に、身体が自己再生能力で補ったものと考えられており、簡単に言えば超能力である。また、ノアを発現した者は、ノアの
操者の判別は教育機関や病院などの医療施設などで行われ、その際にノスタルジア──操者たちが発する特殊な電磁波のことを指すが、ノアと略されることのほうが多い──を認識できる機器を用いる。もちろん推薦入学試験の時に、
ただ、ノアを封じるという行為は能力が使えなくなる上に、かなりの手間と苦痛を伴う。
父から密偵の命を受けたその日に、
そんな物思いにふけりながら、
「ハッタリ、だよな……?」
今朝の
『ははっ、そんなにキレるなよ。お前の内の゙ノア゛が
感情の起伏があまりにも激しいと、ノアは穢れ、操者は感情そのものを失う。振れ幅は個人差があるが、ある一定の基準値を超えたとき、ノアは暴走すると言われている。操者の体内を暴れまわり、記憶と感情のすべてを一掃し消滅するため、二度とそれらが元に戻ることはない。
しかし、普通あの程度の怒りではノアは穢れない。
──謎すぎる
何を見、何を思い、考えているのか、皆目見当もつかない。
「めんどくせェ……」
と、曇りガラスのドアの向こうに、黒い影が現れる。
「あの、
「どうした、ユリ」
「その……お身体の方は大丈夫でしょうか? 封印の儀のとき、たいへん苦しそうだったので……」
「大丈夫じゃなかったら、学校行ってねェよ。なにも問題ない、ありがとうな」
──嘘だ
ノアを封印したからといって、ノアそのものがなくなったというわけではない。無理矢理抑えられているノアは時折、息が詰まるような痛みで自身の存在を主張してくる。
しかし、その言葉を聞いたユリはほっとしたように息を吐き出すと、
「よかった……!! もしかしたら、
「あんな辛そうな
「ユリ……」
「……すみません、ご入浴の邪魔を……では、ごゆっくり」
そう言うとすぐに曇りガラスの影は消え、
それから軽く身体を洗い浴場を後にすると、リビングではすでに料理が並べられていた。
一方的にユリが話をし、その間にも
隣の部屋が空いているというのに『同じ部屋がいいです』と、頑なに離れようとしないユリを自分が寝るはずだったベッドに寝かせ、彼女が眠りに就いたあとで
「────ッ……」
額に拳を押し当て、唇を白くなるほど強く噛み締める。目尻に浮かんだ水滴はソファーに吸い込まれ、跡形もなく消えてなくなった。
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