※

「よう、お前の能力ってさ、ただ図体がでかいだけだよな。どう考えても」


 授業の合間に、サハラがヤマシタに絡んでいる。何人かの取り巻きが、紫色の霞のように漂って見える。


「そういうお前はなんかあるのか?」


「『大きい力』って言うより、お前の場合『大きい体』だよな」


 ヤマシタのもっともな疑問に、サハラはあえて答えずさらに茶化すと、紫色の霞は小刻みに揺れて、繁殖期の雄蛙のような音を発した。


 その一帯を除けば、教室内は平和でありつつ閉塞感が漂っている。ヤマシタが茶化されることについて、多くのクラスメイトは面白いとも思っていないが、助けようとも思わないし、無関心であるか、無関心である風でいた。


 それというのも、ヤマシタとサハラは生まれた日が一日違いで、居住する住宅も同じ敷地内の別棟であり、つまりは同じ病院で少なくとも九日間は同居しており、幼育園から現在に至るまで昼となく夕となく、ほとんどの時間をともに過ごしていることを知らない者はいないのだ。


「それを差し引いても」


 僕はうっかりつぶやいてしまった。時々思考を引きずって言動に漏れ出てしまう癖があり、もしかしたらこれが自分の能力かもしれないと思うこともあるほどだが、そうだとしたらなんと無意味な能力だろう。とはいえこの能力であれば、物理的に他人を傷付ける類いのもので無いことは救いだ。


 ホヅミがこちらをいぶかしげに見ている。無理もない。次の授業の準備をしていた隣席の男が突然『それを差し引いても』などと脈絡の無いことを言ったのだ。そしてそれを聞かれてしまった僕は、なおさら恥ずかしさがこみ上げてきていた。


「あの二人って、仲が良いんだよね?」


 ホヅミは耳まで赤くなっているであろう僕を慰めるかのように、ヤマシタとサハラの話を開始してくれた。一見なんの脈絡も無い言葉の意味を汲んでくれた可能性もある。


「仲は良いはずだよ。幼育園も、初等部も、中等部も、今に至っても一緒で、家も近所で誕生日も近い。産まれた産院すら一緒だから。そもそもヤマシタの態度には、不快な様子が全然無い。サハラもそれをわかっていて、信頼しているというか、甘えているように見える」


 教室内の誰もが知っている程度の事実を今更述べる必要性に疑問を感じながら、僕はそこまでは言い淀まずに話した。


「『それを差し引いても』ってことなんでしょ?」


 そう、つまり重要なのはそこまでではなく、そこからなのだ。


「うまく言えないけど……」


 僕は次の言葉を継げずにいたが、ホヅミには会話の主導権を引き取る意思がなさそうだったので、とにかく頭に浮かんできた単語を繋ぎ合わせてみることにした。


「本人同士の感情だけの問題じゃないというか、たとえばあの紫色の……取り巻きたちを含めた構図にどうしてもなってしまうから、そこに嫌がらせに似た雰囲気が生まれてしまって、その雰囲気に対して、僕らは好ましからざる感情を抱いてもやもやしている状態だと思うし、その意味では、もしも二人の事情を知っている先生であったとしても、さっきの授業中のそういった雰囲気は先生としてもやはり好ましく思わないんじゃないかという心配のような思いも持ってしまうと言うか、そういう人も多いように感じるので、授業中に物を投げつけるというのは僕は良くないと思う」


「そうなんだよね。私も似たような意見。でも、紫色の取り巻きって?」


「ごめん、その言葉に深い意味はないから忘れてください」


「そうなの?そう言われたら私にも紫色に見えてきたから、面白い表現だと思って確認したかったんだけど」


「いや、本当に」


 ホヅミは特に不服そうでもなく、一瞬言葉を溜めた。


「で、私もだいたい同じような意見なんだけど、なんか引っ掛かってるんだよね」


 僕だってそうだ。引っ掛かっている。あの白い小さな塊を投げつける行為。あれはもちろんやり過ぎだ。やり過ぎだからこそ『引っ掛かっている』。サハラは実際そういったことを今までしたことはなかった。その類いの乱暴を白昼堂々行っているという印象が無い。どちらかと言えば知的な方で、突然その知性を捨てる必要もなかろうし、そういう性質でもない。


「担任の」


 僕はまた思考を垂れ流してしまった。この癖は本格的にどうにかする必要がありそうだ。


「担任がどうかした?」


 ホヅミは当然聞き返した。それは『当然』だが、僕としては聞き返されても弱ってしまった。なにしろ自分がどうして担任に考えが至ったのかよくわからないのだ。そういう意味では『思考』というよりは『感覚』を垂れ流しているようなものだが、我ながら実際その方が厄介に思われた。せめて『思考』であれば垂れ流す前にそもそも『思考しない』という訓練でこの癖を無力化できる可能性もあるが、『感覚を得ない』という訓練は途方もない境地であろう。


 ともあれ、この場は今一度その感覚に従って言葉を継ぐことにした。


「担任の言う『平等』というのも、考え物だと思って。つまり、今回……」


 その乱暴が行われたそのとき、僕は窓の外を見ていたのだ。景色は見慣れたものだったが、僕はそうしていた。廊下側の席から窓辺のこの席に移動したのは昨日のことで、窓の外を眺めることにはまだ面白みがあったからだ。


「次の授業って、国語?」


「え?そうだよ、国語……まあ、イースタシア語ね。え、準備してたよね?話してちゃまずかった?」


 授業が始まる時刻となれば、正義感の強い生徒の何人かが、イースタシア語の先生を廊下でつかまえるだろう。


 その生徒たちは記憶の新しい内に、先ほどあった狼藉を報告するのだ。生徒たちはそのことで事態が劇的に好転しないまでも、ヤマシタが嫌がらせを受けなくなる措置が今後なされることを期待する。


 なぜならばイースタシア語の教師は『平等』を旨とする担任のイトウ先生であり、定期テストを終え『夏休み』を控えた昨日、席替えを決行した人物だからだ。生徒たちはヤマシタがサハラとその取り巻きから授業中に嫌がらせを受けることについて精神衛生上の苦痛を訴えるだろう。


 そしてそれを取り除く案として、ヤマシタをサハラ一派の誰よりも後ろの席にすることを提案するだろう。


 しかし、そういった嫌がらせが無かったとしても、やはり正義漢たちは動いた可能性がある。その場合はイトウ先生の掲げる『平等』についての問題提起として、巨大なヤマシタの後ろの席では電磁白板が満足に確認できない点について、座席としての平等性を担保するよう要求するはずだ。


 つまり要求は結果的に同じものとなっただろうが、趣はかなり異なる。何も起こらなければヤマシタは加害者だったが、嫌がらせを受けたことで被害者になった。



 ごく軽い雲が日差しを柔らかに遮った。ああいった雲は雨を降らせない。ただ現れて、薄い布のように一帯を覆い、いつの間にか消えている。小さなひつじ雲がひとつはぐれて緩やかに泳いでいる。どの雲も手を伸ばせば届かんばかりに近く感じる。

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空の果て、地の果て。 三月広明 @agony_clown

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