空の果て、地の果て。
三月広明
零
かつての戦争が影響しているのかは定かでないし、人類がいかに激しく撃ち合ったにしても、それが直接の原因ではないと僕には思えるが、我々の惑星の海と陸との均衡が崩れ、陸地はわずかな湖沼を伴って空へと浮かんだ。
それが起こったのはひとつ前の大戦の少し後だそうだから、五〇年程前だ。宇宙の法則がある日突然変更されたかのように、大地は急速に空へと昇った。その過程で大陸は大小様々に分断され、小さいものは高く、大きいものは低くそれぞれ浮いた。それ以上に大きい断片や、海底との親和度が高い陸地は浮かび上がれず、陸地ほどではないにせよ激烈に上昇した海面が津波となって飲み込んだ。
その事件を呼ぶ時、僕たちの国では『遊陸』と表現し、その後に生まれた人類を、それ以前の人々は『天上人』と呼ぶことが多い。
『天上人』の中でも、とりわけ僕たちのような二世については『新人類』と呼ばれる。わざわざそんな妙な呼び方をするからにはある種の皮肉が込められていることは否めないが、『新人類』には特異な能力を有する者が多いために定着したあだ名とも解釈できる。
能力に関する具体的な事例についてはいずれ述べる機会もあろうから、ここでその詳細に触れることは避けるが、二〇年前に始まった宗教戦争の惨禍が『新人類』によるものだったことと、残念ながら僕には特別な力は無さそうなことだけは申し添えておく。
僕の祖父は大戦の兵士だった。当時の兵士は機械類を一通り扱えなければ話にならなかったので、祖父はまず『自動車』という、液体燃料を燃やして稼働する乗り物の訓練を受けた。これは大戦が終わった後に勤めた工場で、工員仲間を朝夕送迎する役割を担った際に役立ったし、『遊陸』後にBVと呼ばれる電気自動車を操縦する基礎となった。
祖父は次に、当時の戦争における主要な通信手段だった無線通信を習得した。これも戦後にラジオを調達し、あるいは修理する際に役立ち、『遊陸』した後にあっては特に代え難い力になった。
祖父は最後に、自らが扱い得る幾つかの銃火器について、できるだけ詳細に調べ上げた。
発射時の反動、照準からの誤差の癖については銃ごとに、飛距離、着弾時の影響範囲等は訓練を居残りして確認した。それらは全て戦闘で自分が命を落とさないためでしかなかったが、幸いにも祖父自身は一度も実戦で役立てる機会は無かったし、戦後にも当然そういった機会は巡って来なかっただろうから、結果的に大戦中に得たスキルの中では最も無意味なものとなった。
祖父が大戦後に勤めたのは民間の金属加工工場で、その頃にしては珍しく軍需は一切請け負わない会社だった。祖父と社長は旧知の仲のようで、よく家で酒を飲んでは、「軍需をやらなかったせいで儲け損ねた」「軍から睨まれた」などと愚痴を言いつつも、どこか笑い話にしているようだった。
『儲け損ねた』というのは、大戦が終わる前後に世界中で起きた幾つかの小競り合いで、軍事ないしは軍事に転用可能な技術、物品の需要が高まり、それらの生産者は後にも先にも経験できないくらいの利益をあげたが、祖父たちの工場は頑なにその機運を避けた。
それを自嘲して『儲け損ねた』と表現していたが、大戦の舌の根も渇かない時期での軍需に、抵抗の無い者などいなかったはずだ。この国は大戦で特に手痛い目に遭った方だったからなおさらというものだ。
『儲け損ねた』ことを笑い話にできる理由はもうひとつあって、『遊陸』後すぐに国家の枠組みが大きく変わり、世界的に共産主義へ傾いていったため、その『儲け』についても少なからず徴収され、再分配された同業者が多かったのだ。
だから『儲け損ねた』こと自体は誇らしげでもあったし、ライバルたちに同情している風でもあったが、共産主義政権下での仕事の話はあまりしたがらない。その当時、彼らの工場は厳密に言えば彼らの物では無かったが、そのまま金属の加工を指示された。ただし、設計図は一枚しか渡されず、当時の政府から渡されたそれ以外の品物を作ることは許されなかった。
来る日も来る日も単純な成形を大量にこなした。結局政権が倒れるまでの約二〇年間、同じ鉄板を作り続けた。それは一見すれば少し反っただけの合金の板だが、どうやら兵器の一部であろうことは何となくわかっていたそうだ。
とにかくそういった、戦に次ぐ戦を繰り返している最中に『遊陸』は起こった。僕個人としては、それを近現代史の一幕としてしか知らないが、当事者たちがその現象に対して『神』の存在を強く意識させられたであろうことは想像に難くない。それ以来人々の心の中には『神』が小さからぬ燻りとなった。
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