繋ぐもの

 フィンの瞳の色は、髪の色同様薄かったらしい。琥珀のような、と例えれば、ありきたりな表現である分、分かりやすいか。その眼に雨が入らぬように、眼を少し細め、じっと、プラーミャを見ている。

 プラーミャが、本当に仕事を完遂するためだけにここに居るならば、彼は、その背に負った大剣でもって、有無を言わさず、フィンを木っ端微塵に打ち砕かねばなるまい。

 しかし、彼はそれをせず、フィンと、会話をしている。

 彼のフィンに対する態度は、以前と変わらず、柔らかい。

「何年ぶりに、なりますかな」

「もう、長いわ。あなたは、いつからか、わたしの頭の中を覗き、怖れるようになったのですね」

「怖れています。強く。あなたは、全てを壊し、災いと混沌をもたらす。それが出来る力がある。俺は、あなたを、誰よりも敬い、そして、憎んでいるのだ、姫」

「プラーミャ。あなたが求めるものは、何なのでしょう」

 フィンの睫毛が、開いた。

「俺は、この国の、歪みと偏りを、平らにする。そのことに、この生を費やしてきたのです」

 少し、プラーミャの身体から放たれる気が、強くなった。それは、開いたフィンの瞳の中に、吸い込まれていった。

「そうですか。では、その先は?」

 その先。その先の世を、プラーミャは、生きるつもりは、さらさら無かった。自らがこの世に生を受けた意味は、歪み、腐ったものを、叩き潰すこと。その竜巻タルナーダでもって、何もかも巻き込み、破壊すること。

 しかし、パトリアエは、自ら、自浄作用のようにして、生まれ変わろうとしている。それを、フィンが阻んでいるのだ。

 だから、壊す。

 プラーミャは、背に負った剣の柄を、掴んだ。


 フィンの唇は、まだ緩やかな曲線を描いたまま。

「これが、最期になるのね」

「ええ。紛れもなく」

「さようなら、プラーミャ」

 プラーミャの剣が、一気に振るわれた。

 まさに、竜巻タルナーダ

 鉄が唸り、激しく鳴いた。

 しかし、その剣が、フィンを砕くことはなかった。

「─貴様」

 灰色の瞳が、それを見た。

 ダンタール。すんでのところで間に合い、屋根から飛び降りて、剣でもってプラーミャの斬撃を止めた。

「来ると思っていたぜ。プラーミャ」

「邪魔立てを、するか」

「当たり前だ。俺は、ウラガーンなのだ」

 笑おうとしたが、奥歯が鳴り、折れそうになっていて、出来なかった。それほどの力が、プラーミャの剣には込められていた。

 この恐るべき剣を、ダンタールは、受け継いでいる。抜くべきときに抜かれ、打ち砕くべき敵を、砕く剣。

「あんたは、間違っている」

「小賢しいことを言う」

 プラーミャが剣を外し、ダンタールは、よろめいた。

「あんたが討つべきは、フィンじゃない」

「混沌と、破壊をもたらすこの恐るべき力を、捨て置くわけにはゆかぬ」

「いいや、違う」

 ダンタールが、剣を構えた。

「では問おう。なぜお前は、この均衡を壊す存在を、守ろうとするのだ」

 ダンタールは、少し黙った。雨が、彼の剣の腹で、跳ねて遊んでいる音がする。

「それは、分からない」

「分からぬだと。愚かなり。お前は、未だ、己の剣を使う道を知らぬか」

「いいや、違う」

 白髪の混じった短い髪から、雫が滴り続けている。

「正直、俺は、フィンのことを、何も知らない。こんなに、何を考えているのか分からない奴は、初めてだ。優しく、清い娘かと思ったら、腹の底で、平気で人を踏み台にし、犠牲にする。俺は、ほんとうに、フィンのことが、怖いのだ」

「では、なぜお前は、今、俺の前に立つのだ」

「フィンのことを知る人を、知っているからだ」

 ダンタールの眼の光は、強い。片目に雨が入ったのか、少しだけ眼を閉じたが、それでも、プラーミャは、してくるダンタールの魂の強さを感じた。 

 二人の顔に、手に、古傷が、沢山ある。ずっと戦い続け、その中で見たもの。それは、同じであった。しかし、見る向きが、違った。

 その向きの違いが、今、こうして、二人をして敵対せしめている。

「フィンのことを知る、ニル」

 プラーミャは、かつて、ウラガーンが根城にしていた酒場を兼ねた宿で話した、黒髪の青年を思い浮かべた。

「奴は、フィンを知り、己を知った。目指すものを、それを追うことを始めた。あんたが作った俺という人間が作った、魂のない人殺しの人形が、心を得たのだ」

 ダンタールが、雨に濡れた石畳を、鳴らした。

 雨が、飛んだ。

 振る。

 鉄が鳴り、プラーミャは受けた。

「それに、シャムシール。奴は、フィンの導きで国をまとめ、バシュトーの民に、求めること、守ることを、教えたのだ」

 プラーミャの足も、石畳を、強く叩いた。

 不気味な唸りを上げ、剣が、ダンタールを襲う。

 また鉄が鳴り、ダンタールが、後ずさった。

「それが、どうした。それこそが、乱れを生み、国を、そして人を、破綻させるのだ」

 プラーミャの腰が、沈む。ダンタールも応じて、同じ構えを取る。

「いいや、違うな、プラーミャ」

「なんだと」

「彼らの顔には、希望があった。笑顔があった。何も考えぬ道具には、出来ぬことだ。それこそが、生きるということではないのか」

「それは、だ。ダンタール」

 プラーミャの剣。また、ダンタールが受ける。

「理で、人は、動かぬ。人は、あるべき姿で、生きるべきなのだ」

「それが、生きることを喜ぶことだと、俺は信じている」

 フィンは、二人のやり取りを、じっと聴いている。それが、不意に、言葉を発した。

「ダンタールには、話したことがありましたね。優れた統治者が治める国では、その志は、永遠には続かぬのです。必ず、時とともに、それは過去の美談となり、英雄は伝説となり、誰もが、今、自らが行わければならない生であると、思えぬようになるのです。そうして、国は、心は、腐る」

「まだきたらぬことを、見てきたように言う」

「ちょうど、ソーリの水から塩を作るように、人の知と、無知を混ぜ合わせ、時という陽に晒し、干したもの。そこに光る結晶こそが、歴史。わたしは、その話をしているの」

 フィンの語り口は、独特である。砕けた話し方と、形式ばった言い回しが、おなじ語りの中に混在するから、筆者も、日本語で書くとき、細心の注意を払っている。その語りが、続く。

「あなたは、あなたが死んだあと、あなたがもたらした幸福で、清らかな国を永遠に続ける方法を、持っているの?」

「愚問。人は、そういう国で生きてはじめて、人たりうる。その人が作り続ける国に、腐敗はない」

「そうして、パトリアエは、腐ったわ。人は、人に統べられるべきではないの」

「では問おう、姫。何が、人を統べる」

「国」

 と、フィンは言った。

「国?」

 プラーミャは、咄嗟に理解出来ないらしい。

「国の仕組み、秩序、そして規範。それこそが、人を統べる。わたしが求める国には、統べる者も、統べられる者もない。勿論、国を運営させる仕組みは、必要よ。けれど、それを行う人が、行わぬ人の上に立つことには、ならない」

 プラーミャは、考えている。理解しようとしている。

「そのような国が、成り立つものか」

「いいえ。成り立つわ。わたしは、この世に、未だかつて立ったことのない国を、立てる」

「馬鹿な。狂っている」

「そう。狂っている。それは、あなたが、わたしが作るものを、見たことがないから。誰も、わたしの作るものを、見たことがないの。それを、わたしは、作るの」

 ダンタールが、笑った。

「どうだ、プラーミャ。フィンの頭の中は。恐ろしいもんだな」

 プラーミャは、答えない。

「何が、国をまとめるのだ。その国の民は、せいぜい、姫がもたらしたバシュトーのように、亡国の民となるのが、いいところだ」

「いいえ」

 とフィンは、断言する。

「まず、貿易。金の営み。それが、軸になる」

 現代語を用いるならば、経済による国家作りである。

「そして、その国において絶対の規範を、定める。例え、統治する仕組みの頂点に立つ者であっても、それに叛くことは出来ない」

 これもやはり現代語に置き換えるが、憲法の制定である。

「そして、統治する者は、される者の中から選ばれる。血の繋がりではなく、人の心を得た者が、仕組みを回転させる。選ばれた人は、選んだ人のために、その生を使う。選んだ人は、選んだ責任を、国の一員として務めることにより、果たす」

 選挙制度、政府と国民。つまり、フィンの言う国づくりは、民主化された資本主義である。いや、自由経済的社会主義と言うことも出来る。この時点でのフィンの言葉だけでは、そのどちらになるのか、判ずることは出来ない。

 人が人のために生き、己の幸福を、喜べる国。それが、フィンの求めるもの。

「馬鹿な。そのようなことが、ほんとうに、出来ると思っているのか」

「そうさ。フィンは、思っている。そして、フィンを知る者は、フィンがそうすると言えば、死にもの狂いで、そうするだろう」

「それこそ、姫が老い、死ねば、同じことではないか」

「いいえ。そうならない方法を、わたしは、考えているの」

「どうするつもりなのだ」

 フィンが、笑った。星屑の花が、咲いたように。それが、答えであった。

「今、確信した。やはり、お前達は、ここで止めねばならん。獣は、獣。そう思い、今まで剣を振るい、人を斬ってきた。しかし、分かった。ほんとうに恐ろしいのは、獣が、知恵を得たときだ。それは、瞬く間に、人に取って代わるであろう」

 雷鳴。同時に、稲光。プラーミャを、青白く浮かび上がらせる。

ふるきものにしがみつき、生きるか。プラーミャ」

 同じ光の中、ダンタールが、言った。

「未だ来らぬ夢想のため、国を壊すか、ダンタール」

「俺たちと、あんた達。どちらの道が、人が歩むに値するか」

 それを証明するために、彼らは戦う。ダンタールは知らぬことであるが、プラーミャは、ダンタールの父なのだ。人の情でダンタールを育てたプラーミャの心中は、どのようなものであったろうか。

 分からないが、二人、どちらからともなく、言った。

「決着を、つけよう」

 と。


 鉄が、鳴った。雨の中で。

 そして、空も、鳴いた。光を発して。

 その度に、二人は、影を地に落とす。

 互いの位置を激しく入れ換え、信じられぬほどの大きさの剣を振るった。

 まさしく、竜巻タルナーダ

 二つのそれが、絡み、混ざり、また分かれた。

 それを、何度も繰り返した。

 繰り返すうちに、雨と風に、血が混じる。

 彼らは、己の道のため、血を流す。

 父と、師と慕い、その背を追い求めたプラーミャの屍の先に、ダンタールはこうとしている。

 実の子でありながら、それを明かすことはせず、ただこの国を生まれ変わらせる刃として育て上げたダンタールの屍の先に、プラーミャは往こうとしている。

 どういうわけか、二人の心の中に、ある思いが生まれていた。

 慈しみ。

 あるいは、かなしみ。

 最早、言葉は要らぬ。

 いや、鉄の鳴き声が、言葉になった。

 雨の滴が、歌になった。

 ただ剣を振るい、それを、表すのみ。

 腰を落とし、足を踏み出して。

 腕を引き、身体を旋回させて。

 振り下ろし、薙ぎ払い、目の前の存在の肉に、骨に、刃を立てようとする。


 雨が、ふいに止んだ。

 プラーミャは、振りかぶったまま。

 ダンタールは、薙ぎ払おうとしたまま。


 静寂。

 二人の眼が、合った。

 闇の中に縁取られた自分の姿に、相手を見た。

 その姿が、笑ったような気がした。


 一撃。

 まさに、竜巻タルナーダ

 ダンタールのそれが、プラーミャの胴当てを割った。そのまま、肉に。そして、骨に。

 プラーミャのそれが、ダンタールの肩に入った。凄まじい音を立て、それはダンタールの身体を斜めに喰らい走った。

 互いの身体の半ばで、剣は止まった。


 たんだん、失せてゆく力。

 それでも、二人がほとんど同時に事切れるまで、いや、その生を閉じた後も、その剣を離すことはなかった。


 きっと、それが、二人を繋ぐ、たったひとつのものであったからであろう。

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