その来訪を、知る
アトマスは、ことの意外さに言葉を失っている。また、あり得ぬことが起きたのだ。
バシュトーは、必ずハルバシュカに依り、戦うはずであった。どう考えても、戦いに破れ、逃げ帰ったばかりの彼らが、そのまますぐに迎撃を決意し、打って出てくるとは思えなかった。
しばらく囲めば、彼らは手も足も出ず、数日で兵糧が尽きて、降伏してくるはずである。
軍学の観点から見て、この場合、城に籠るよりも打って出て、敵の兵糧を奪いに出るというバシュトーが実行した策は正しい。籠城とは、援軍が来る見込みと、豊富な食料があり、初めて成立するからだ。そのどちらも無いバシュトーが取れる唯一の策が、フィンが実行したものだったのだ。
だが、アトマスには、彼らがそれをしてくるとは、とても思えなかった。それどころか、彼らは、騎馬に頼りきりで攻めに強く守りに弱いそれまでの戦い方を捨て、歩兵を戦場の中の軸とし、騎馬の運動に有効性を持たせてきた。
兵糧の輸送隊の経路を、地形から完全に読み切り、ウラガーンにそれを襲わせ、なおかつ、戦場の勝敗を決する一打とした。完璧な策である。
アトマスは、この戦いの絵を、すべて、塗り替えなければならなくなった。
あのバシュトーへの侵攻の際、嵌めに嵌められ、撤退を余儀なくされたことを、アトマスは思い出していた。
プラーミャがパトリアエに参画し、そしてリョートが死んでから、アトマスとプラーミャの距離は近くなった。何かの折に、かつてパトリアエがバシュトーに侵攻した際にバシュトーが取った策は、実の娘フィンの働きによるものであるということを知り、大層驚いた。
しかし、そのフィンも、リョートにより、密かに葬り去られたという。リョートは、アトマスを気遣ってか、アトマスの眼がそれで曇ることを嫌ってか、ついに何も言わないまま、死んだ。
死んだはずのフィンが、また現れたような。そんな戦いが、あった。それは、事実だ。だとすれば、死んだはずのフィンが、また現れたということではないか。
アトマスは、そう考えることが出来た。そう考えたとき、彼の中で、何かが動いたのではないかと筆者は思う。
フィンの戦い、と題した前のエピソードについて、その戦いが、凄い、という感想を頂いた。明らかに、今までのバシュトーの戦い方と、変わったのである。まるで、フィンが蘇ったことを知らせるかのように。
ずっと、死んだものとして、影に溶けてきたフィンがにわかに姿を現したのは、死んだことにしているよりも、姿を現した方がよりその目的に近づくからではないか。
アトマスは、努めて冷静に、戦いの日々の中を過ごしている。ほんとうならば、リョートを殺した者を八つ裂きにしても収まらぬほどの怒りと悲しみがあるはずだ。それを、もしかしたら、フィンは刺激しようとしたのかもしれぬ。
筆者以外にも、そう考えた者がいた。
プラーミャ。
「
と、彼はアトマスをその称号で呼んだ。
「フィンが生きていると、お考えですね」
「あの娘が、何を考えているのかは、わからん。何故、こうもパトリアエに盾突くのかも」
恨み?恨むほど、互いのことを知らない。
「以前、お話ししたはずです。彼女は、危険だと」
「その、ほんとうの意味が、分かった気がする。あれは、危ない」
「もし、死んだということが偽りで、生き、今、また、バシュトーの聖女として、人々の心を揺さぶるならば、これは、捨ててはおけませぬな」
プラーミャの灰色の眼が、光った。
「その通りだ。まさか、こんなところに、病の巣があったとは」
「雨の軍を、使います」
プラーミャが、外套を払い、立ち上がった。
その手には、やはり、巨大な剣。
アトマスは、少し、それを羨ましそうに見た。自分には、もう、若い頃のような巨大なヴァラシュカは振れないのだろう。
ユランの急襲を受けたとき、アトマスは、首領ネーヴァとの打ち合いにおいて、あのヴァラシュカから、手を放した。それは、何かを象徴しているように思えてならない。
しかし、アトマスから、戦いを取れば、何が残るのだ。
それ以前に、今、戦いをやめることなど、誰が許す。リョートの死を受け、怒りに任せ報復の戦を始める間もなく、バシュトーの方から、攻めかけて来たのだ。例え、あの白銀のヴァラシュカを振ることが出来なくとも、彼の父は、国家。
その盾となり、美しいパトリアエを守る。それが、アトマス。
その純粋で潔白な行動を、濁す者がいる。プラーミャは、それを危惧しているのだ。
例えば、中国の三國志演義において、蜀の劉備が、その義兄弟である関羽を呉の
その話を、プラーミャが知っていたかどうかは分からぬが、フィンは、恐らく知っていた。彼女の育った大聖堂。その膨大な蔵書の中には、はるか東の国の軍学書やこういった読み物なども、多く含まれていた。
フィンがしようとしていることは、アトマスを、劉備にすることなのかもしれぬ。
プラーミャは、それを、止めにゆくという。
雨の軍は、どこにでも混じり込める。その名の通り、雨が屋根に染み、室内に落ちるように。しかし、その雨の軍でも、フィンが再び戦場に現れたことを、探り切れずにいた。情報統制が、非常に厳しい。間者の洗い出しも激しい。その点においても、フィンは抜かりはなかった。
中からの手引きが期待できぬ以上、外から崩すしかあるまい。
重ねて言う。雨の軍が得意としているのは、正面きっての戦ではない。影の中に、彼らはいるのだ。戦闘力も、ウラガーンに比べれば、大したことはない。彼らは、ただひたひたと、ハルバシュカに染み込もうとしているのだ。
日が暮れる頃、貿易の道を使い、荷物を運ぶ五十人ほどの隊商がやってきた。食料と引き換えに、隊を泊めてくれぬかと言うのである。
食料は、魅力的であった。しかし、臨戦状態のハルバシュカに入れるわけにはゆかぬ。報告を受けたシャムシールが断ると、人は外で休息するから、荷運びの馬だけでも、雨を避けさせてくれないかと言う。それくらいならば、と、シャムシールは、軍馬の小屋の横に、隊商の馬を繋いでやった。
念のため、城門を開く前に、隊商の数を、兵に数えさせた。四十七名いるという。武器は、自衛のための粗末な剣のみ。彼らは一列に並び、荷車から解放した馬を曳いてくる。
それを、城門のところで兵に受け取らせ、馬だけ中に入れてやった。受け取るとき、馬が、一頭余った。不審に思った兵が、もう一度、隊商の数を数えると、四十六名になっていた。
「もう一人は、どこに行った。先ほどは、四十七名いたはずだ」
「さて。我々は、西の国を発したときから、四十六名でしたが」
「やはり、馬を、中に入れるわけにはゆかぬ。戻せ」
そう、指揮官が兵に言い付ける。馬が、再び城門から出された。それを返してもらった隊商は、不承不承ではあるが、特に文句を言うこともなく、立ち去った。
このとき、すでに、その一名が、ハルバシュカの中に入っていた。兵が、隊商の数が変わり、それを不審に思い、追い払ったことをシャムシールに告げた。
「ウラガーン。妙だな」
その場で、兵の費えについて話し合っていたシャムシールは、ウラガーンの四人に話を向けた。
「いや、妙じゃない」
ダンタールが、言った。
「おかしなものを、感じないか」
言われて、ダンタールは笑った。
「感じない。分かるんだ。もう、この城壁の中に、いるってことが」
「まさか」
「アトマスめ。察しがいいな。雨の軍を、放ってきたか」
ダンタールは、壁に立てかけていた
一人、このハルバシュカに入った者がいるとすれば、その者が狙ってくるのは、先の戦いで、快勝をもたらした者を消すことであろう。
そして、それが出来るのは一人しかいない。バシュトー軍の中に入り、ウラガーンの眼をも潜り、仕事を果たし、脱出する。その明らかな不可能を実現することが出来るのは、一人しかいないのだ。
「シャムシール。街を、厳戒態勢に。ニル、リューク、ストリェラ。巡回し、奴を、見つけ出すぞ」
「ダンタール、あんたは」
「俺は、フィンのところを守る」
雨は、降り続いている。その音を聴きながら、フィンは、街の中、軍営にしている大きな館から少し離れたところにある館の一室で、何も書かれていない地図を眺めていた。この周辺の地図ではない。首都グロードゥカの周辺の地図であった。
その来訪を、フィンは、雨の音の中に、フィンを訪ねる声が混じっていることで知った。
扉を開くと、そこに、その男はいた。
「よく、ここが分かりましたね、プラーミャ」
「久しいな、姫」
身分の高い女性、という普通名詞として、プラーミャはフィンをかつてそう呼んでいた。
「少し、老けましたか」
「あなたは、そう変わらぬらしい」
「わたしも、時を重ねることが出来るならば、あなたのように老います」
「俺がこれから何をするか、知っているかのような口ぶりですね」
「ええ、あなたが何をしようとしているか、知っています」
「そうか。ならば、話は早い」
フィンの唇は、相変わらず、緩やかな曲線を描いている。
プラーミャを、誘い出した。また、彼女の策が当たったのだ。
アトマスも、プラーミャも、彼女の望む通りに動き、そして、プラーミャは、今まさに眼の前に立っている。
雨が、二人を打ち付けていた。
それを、冷たいとも思わなかった。
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