フィンの戦い

 パトリアエの追撃軍は、およそ三万。さすがに、激戦の後だから、そのまま全軍で追うことは出来なかったらしい。

 アトマスも、居ない。居るのか居ないのか、見ただけでは分からぬが、現場指揮をフィンより改めて任された第二段のシャムシールは、パトリアエ軍全体の動きを見て、そう感じた。

 アトマスが出てきているならば、もっと激しく、押してくるし、このようにバシュトーが、整然と陣を組み、迎撃してくることに対し、何らかの対処をしてくるはずだ。


 第一段目の歩兵が、槍を地に突き立てた状態で、パトリアエの矢を盾で避けている。

 無論、避けきれず、倒れる者もあらわれたが、騎馬だけで突っ込むのに比べれば、ほんの僅かな犠牲にしかならない。

 パトリアエ軍は、動揺していた。いわゆる、矢合わせの状態になっている。パトリアエの強力な矢が通じず、その間隙を縫うようにして、速射が可能なバシュトーの短弓から、ぱらぱらと矢が射掛けられてくる。射掛けては進み、射掛けては進み、ついには弓の使えぬ距離にまで近づいた。

 砂漠の国の歩兵は弓を腰に、盾を背に回し、長い柄の槍で戦い始めた。上から、叩きつけるように。城塞都市に備え付けられている防備用の槍は、石垣の上に登り、下の敵を突くことを想定し、柄を長くしてあるのだ。バシュトー人や砂漠の国の者は、槍の扱いなど知らぬが、隣の者と呼吸を合わせ、叩きつけるくらいの簡単な動作なら、出来る。



 槍とは、世界で最も古い武器のうちの一つで、なおかつ、もっとも広く用いられている。その用途、使用法も様々で、あちこちで進化を遂げた。日本、西洋において、騎馬の者が使う槍は大身になり、個人の武術として使うものは小ぶりである。さらに、世界各地で穂先に斧のようなものを付けたり、三日月型の歯を付けたり、様々な工夫が施された。正確な突きや、その大振りな動作に隙が生じぬようにするためにはとてつもない訓練を要するのだが、単に、叩く、突く、薙ぐといった単純な動作ならば、それこそ石器時代の人間でも行うことが出来る。

 現代においても、ほとんどのアサルトライフルには銃剣バヨネットが取り付けられるようになっており、その使用法は、ほとんど槍である。

 この単純な武器だからこそ、それに慣れぬ砂漠の兵でも扱うことが出来た。

 長柄の槍と言えば、織田信長が、敵の騎馬隊の勢いを止めるために、六メートルほども柄のある槍を歩兵隊に用いさせ、それ以降歩兵の長柄槍というのが日本において定番化したというが、この砂漠の兵が用いるのは、その半分ほどの長さのものである。


 対するパトリアエの歩兵の槍は、それよりも更に短い。重装歩兵団が用いるヴァラシュカよりは効果距離は長いが、バシュトー軍が用いているものよりも、短い。

 単純な、その差が、戦いの勢いの差になっている。ぶつかり合った歩兵同士は、しばらく押し合っていたが、バシュトー軍が押しはじめたのだ。パトリアエ軍の最前線を、今まさに崩そうとしている。


 フィンの眼の、鋭さである。戦略だけでなく、戦術に対する眼も、彼女は持っている。の軍に、の武器。それで、最大限の効果を得るために、どうすればよいのか。この場合、最大限の効果とは、パトリアエ軍を、撃滅することである。しかし、それは無理だ。そして、今日勝ったとしても、アトマスは出てきていない。それをしたところで、明日の兵糧も知れぬバシュトー軍は、数日すれば、枯れるのだ。

 アトマスは、やはり、手強い。彼は、出てきていない。のだ。今日、この追撃軍を、万に一つ全滅させることが出来たとしても、バシュトーには、明日の兵糧がない。なければ、戦いをやめ、退くしかないのだ。

 アトマスは、最初、バシュトーの力を、もっと軽く見ていた。一度バシュトー領内で戦ってその強いことを知っていたが、その感覚で、今回も彼らを測った。それが、災いした。

 何度も、あり得ぬことが起き、その度に、煮え湯を飲まされる思いであった。

 しかし、それで、バシュトー軍の力を知ったアトマスは、戦いを終わらせる、簡単な方法を思い付いた。

 戦いの継続を困難にし、撤退させることである。リョートを奪ったバシュトーを、許すことなど出来ぬ。出来れば、その一人一人を、なぶり殺しにしてやりたい。しかし、それをしたところで、国はまた疲弊するだけなのだ。

 降伏させ、属国化するなり、さらに南の砂漠の国に働きかけ、釘付けにするなりすればよい。

 だから、アトマスは、バシュトーに止めを佐宗とする構えを見せ、この戦場にはのである。アトマスを殺さぬ限り、バシュトーの戦は終わらぬ。彼らは、ただ暴れに来たわけではない。このパトリアエを手に入れに来たのだ。アトマスを、パトリアエを滅ぼし、この地を得て、依るべき場所とせぬ限り、戦った意味がない。

 それが、アトマスの、頭の中。フィンは、もたらされる敵の陣容の報告などから、そう考えた。

 ならば、こちらは、それを上回ることをすればよい。

 アトマスの期待を裏切ろうと思えば、戦いを、ようにすればよい。そのために、戦えばよい。

 フィンの見る、何も書かれていない地図。彼女の眼には、そこに、敵味方の兵の一人一人の血で、色がつけられ、戦いが描かれてゆくように見えている。

 比喩的な意味であるが、第一段の砂漠の国の兵が戦っているのが見えるのだ。彼らは借り物で、バシュトー人とは戦いにおいて温度差がある。その彼らを最前線に配置することで、いわば当事者意識を持たせた。彼らが生きて帰るには、パトリアエ軍を打ち破り、バシュトーに勝利をもたらした英雄として、彼らの祖国にすることしかないのだ。その絶望と希望を、同時に与えたのである。



 第二段のシャムシールからの指示により、第一段の歩兵が、二つに割れた。

「行こう、バシュトー。この剣を、今一度、見せてやろう」

 血にまみれ、疲れ果てたシャムシールは、声を振り絞った。

 砂漠の兵が開けた道には、パトリアエ軍の前線。そこへ、三千の第二段が、突撃した。

 同時に、第三段の一万五千が、大きく両側面に回り込むようにして、運動を開始する。このままいけば、シャムシール隊が前線を突破した頃、第三段が激しく両側から攻撃を開始し、壊乱させられる。

 いける。シャムシールは、そう確信した。これが、戦いの手応えか。フィンより授かった策は、見事としか言えない。フィンは、策だけでなく、この戦場そのものを、作ったのだ。兵の一人ひとりが、戦いに狂い、それを喜ぶ。自らの腕が、足が重く、千切れそうになるほど、彼らは喜んで武器を振るう。疲労のため眠りそうになるほど、彼らは進むのだ。

 シャムシールが、実際、そうだった。三万のバシュトー軍が、それを、完全に共有していた。

 二段に分かれた激しい攻撃で、敵の前線は壊滅した。逃げ、後列の陣を目指す者が、それを乱す。

 横一列に広がっている第四段の五千が、駆けだした。前線の兵を収容しているパトリアエの陣に、牽制攻撃をかけている。

 その隙に、また、第三段までが陣を整える。


 鮮やかな、兵の進退である。とても、疲れきった兵には見えぬ。彼らは、敗戦と損害と糧食の不安と焦燥から、希望へと方向転換をしたのだ。それこそ、「必死」と人が言う、ほんとうの状態であろう。

 フィンは、決して、彼らを軽んじ、ないがしろにし、道具のように使っているわけではない。

 むしろ、彼らを、ある高みへと登らせた。そうしなければ、彼らが得たいものが、得られぬ。フィンの目的を達成するには、彼らが、理想のために戦い、求め、勝ち取ることが必要であったのだ。

 何度も言うようだが、戦いとは、勢いである。そして、それに、戦術的優位性が伴ったとき、勝敗は自ずと決する。

 前線がこれほど早く崩れると思っていなかったパトリアエの第二段が、壊乱を始めている。どっしりと腰を据えた砂漠の国の歩兵部隊が、意外なほどの効果を発揮しているのだ。その指揮官が、最前線で、激しい指揮をしているのが、第二段のシャムシールのところでも分かるほどだった。


 しかし、その指揮官は、やがて敵の分厚い第二段の壁に飲み込まれてしまい、砂漠の国の歩兵部隊が、揺れた。パトリアエ軍が、その隙を逃すはずがない。一気に、全軍で、押し込んでくる。

「援護を。第二段、出るぞ」

 シャムシールが、剣を振りかざし、そう指揮の声を上げた瞬間。


 敵の本隊と思われる、第三段目。そこに、左右から向かう騎馬。すさまじい速さである。


 ウラガーン。戦場を離れ、隠れていた遊撃隊が、側面攻撃に出たのだ。敵陣に、吸い込まれるように入ってゆく。

 ひとしきり敵陣を横断し、また左右から飛び出す。それを、何度か繰り返す。

 敵が、明らかに混乱している。今が、機。シャムシールは、それを悟った。

 雨が、より強くなってきた。分厚い雲に隠されて、太陽の位置は分かりづらく、戦場全体がぼんやりと浮かび上がるように、白く縁取られている。

 おそらく、日が傾き出す頃なのであろう。


「第二軍、全軍突撃。第三軍、西が分厚い。これを討て。第四軍、薄い東を、一気に潰せ」

 伝令兵が、それぞれ復唱し、馬で駆け出してゆく。

 一人ひとりが、湾曲した剣や槍を掲げ、それが、きまった律動をもって動くことで、バシュトー軍全体が、一頭の巨大な獣のように、動き出した。それは、瞬く間に敵の第二段を押し包み、戦場から消し去った。

 そのまま勢いこんで、敵の第三段へ。そこで、シャムシールは、猛烈な勢いで武器を振り回し、敵を討ちまくっているウラガーンの者共を見た。もともとのウラガーンとは、ニル、ダンタール、リューク、ストリェラの四人にすぎず、その遊撃隊を構成するのは、ほとんどがシャムシールが与えたバシュトー人である。

 しかし、彼らは、紛れもなく、ウラガーンになっていた。

 ニルは、アトマスとの打ち合いで肋を折り、今日の朝、ネーヴァと戦って、肩に傷を受けている。うまく動かせぬ左側を庇うように、リュークがぴったりと付いて、援護している。

「邪魔だ!どけ!」

 ダンタールの怒号が響く度、パトリアエ兵が数人ずつ宙に舞い、飛んでいる。その剣を振った隙を狙う敵は、ストリェラが確実に仕留めている。

 彼らの後に続くバシュトー人も、その異常な武がもたらす熱狂に酔い、眼を血走らせながら敵の屍を重ねている。

 やがて、ニルの馬が、敵の主将に届いた。

 少し、馬足を緩め、何か主将に向かって言ったようだ。

 すぐ後に、疾駆。敵の主将も、応じて馬を駆けさせる。

 二人が、すれ違う。

 ニルの馬は、そのまま、新たな敵の中へ。

 敵の主将の馬は、ゆっくりと、歩みを緩め、止まった。その鞍から、首のない死体が、どさりと落ちた。


 バシュトー軍の、完全勝利である。巧みな戦術と、人の心を完全に理解し、それを一定の方向へ向けたことにより、バシュトーは、戦いに勝ったのである。

 それだけでは、あくまで、局地戦を制したに過ぎず、バシュトーが撤退を余儀なくされていることに変わりはない。

 しかし、フィンの深い策は、これだけでは終わらぬ。壊乱し、逃げ散るパトリアエ軍を捨て、彼らが向かったのは、ウラガーンが兵を伏せていた、東の河、西の丘の二地点。そこには、パトリアエ追撃軍の、兵糧が、輸送隊の死体と共に置き捨てられてあった。ウラガーンが伏せ、待っていたのは、戦いを決する機ではなく、敵の輸送隊だったのだ。それを急襲し、兵糧を奪う。これが、この戦いの、意義。大会戦は、そこから眼を背けるためであったとも言える。

 三万の軍が、二食ずつ十分な量を食っても、十日はもつ程の量であった。バシュトーがハルバシュカに依り、抵抗することを見越した量であろう。一日一食にすれば、二十日。量を減らせば、二十五日は、兵糧の心配は要らぬ。

 日没後、夥しい量の荷車を曳いたバシュトー軍が、ハルバシュカへと引き上げた。

 誰の顔にも、笑顔と、希望があった。


 これが、フィンの戦い方。

 血に汚れ、破れた龍の旗が、翻っている。

 それを、彼女は、見上げていた。

 うっすらと、頬を桃色に染めながら。

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