望む者
ネーヴァは、まず、ユランの軍備を増強した。ノゴーリャの街は、貿易により潤っている。東の商隊に話をつけ、パトリアエよりも更に西の国へ持ち込み、そこで売られるはずであった馬を、二百頭購入した。その金は、プラーミャの残した膨大な活動資金から出した。プラーミャとは、やはり、恐るべき男である。正直、ネーヴァは、今のこの立場になるまで、リベリオンのことを全くと言っていいほど知らなかった。それを味方に対しても秘匿し続ける徹底ぶりもそうたが、いざ蓋を開けてみれば、幾人かの仲買人を通じ、王家直轄になっているはずの塩や鉄、あとは紙や香などの売買から、巧妙に利益が上がるようになっていたのだ。その商人どもは、のうのうとパトリアエの汁を啜って生きるよりは、何かの役に立たせたいと考える者達であった。要は、リベリオンとは、そのような人の集まりであった。また、地方軍の中などにも、情報をもたらす者を、少しずつプラーミャは、種を植え付けるようにして持っている。今回、ユランに参加したのは、リベリオンの中核になる者のうちの、半分である。それ以外に、今挙げたような、人の中に居る、潜在的なリベリオンは数知れない。いや、もっと解釈の輪を広げれば、この国のあらゆる不満、あらゆる悲しみの数だけ、リベリオンは居るということになる。
ネーヴァは、気付いた。プラーミャは、それを作ったのではない。もともとあったそれを、繋いだに過ぎないのだと。
「ネーヴァ」
ユランの主ネーヴァの副官となったアイラトである。マオも副官にした。その他の、ダンタールのウラガーンの面々は、それぞれ小隊を任せたり、他の者の隊の中に埋め込んだりして、巧みに専横と言われぬようにした。同志の集まりであり、主従ではない。そう、ネーヴァははっきりと三百人弱のユランの面々に向かって言ったのだ。
「ノゴーリャの商人組合との話が、ついた。金は、出してくれるそうだよ。そのかわり、戦乱となったとき、彼らを必ず保護する、と約束した」
アイラトは有能である。若いが、頭が良く、武も強い。一見、少年のようにしか見えぬし、むしろ女のようである。身体も小さく、細く、王宮で貴族の子女が着るような飾りのついた衣装などを身につけさせれば、きっと若くて金と地位のある男共が、こぞって結婚を申し込んでくるだろう。ネーヴァの美しい黄金色の髪よりは色の少し濃い、細く波打った髪と、薄い茶色の瞳を飾る長い睫毛は、誰が見てもはっとするものである。
「そうか。なかば無理矢理な話だがな。俺たちが勝手に乗り込んで来て、奴らの食い扶持である貿易の道を絶ち、苦しめている上に、俺たちに金を出せと言う。その代わり、頼まれもせずに守ってやる。その辺のごろつきか、山賊の類いと言っていることは同じだな」
とネーヴァは、アイラトの美しい容貌をぼんやりと見ながら、自嘲気味に言った。そのような無体な要求を飲ませるのには、やはりアイラトが適している。ネーヴァはそう思って、彼に商人との交渉を任せたのだ。一見して、怪しい者には見えぬ。彼を、ユランの外の顔として売り出せば、ユランの信用に繋がるのだ。
結局のところ、商人が見るのは、志ではない。信用とは、その人となりや、心のあり方に対してするものではない。自分が、彼らにつくことで、儲かるか。自分が、安寧でいられるか。そのための金ならば、多少投機的でも、彼らは出す。なんせ、ネーヴァやアイラトが幼い頃親と死に別れ、飢えた分だけ、彼らは太ったのだ。金など、掃いて捨てるほどある。
アイラトは、上手くやった。自分達がいかに強力な武を持ち合わせているかを説き、馬を買い、騎馬隊の編成することも言った。更に、人の中にユランはまだ潜在しており、それらが全て立ち上がれば、パトリアエの三分の一は立ち上がると言った。
「ほんとうに、そうなるのか」
と懐疑的な商人に対して、
「ええ、間違いなく」
と微笑みながら即答した。根拠がなければ言えないからこそ、何の根拠もないことをさも事実であるかのように言った。商人共は、アイラトの余りの自信に、ちょっと面食らった。いや、むしろ、この男は自信など無さげである。ひ弱な、女のような男が、さも当たり前のようにそう言うのだ。これは、ひょっとすると、馬鹿には出来ぬ。と、誰もがアイラトの間合いに入ってしまった。
無論、アイラトはそのような駆け引きを意識して人と話せる男ではない。しかし、彼の飾らぬ物言いと容貌を、人の言葉の裏ばかりをかこうとする商人にぶつければ、必ずこちらの思うように話は進む。とネーヴァは確信し、果たしてその通りになったわけだ。
「対するパトリアエは、中央正規軍、地方軍全ての兵力を合わせて十万。無論、そこには荷駄を運ぶだけの隊もあれば、戦いには参加せず、分析、情報支援などを行う隊も含まれます。それらも、己の役割を捨て、全て武器を取り、我らに総力戦を挑んできても、まだ我らの同志の方が多いのです」
ちょっと困ったような笑い方をしながら、アイラトは、さらさらと語る。
「更に、戦いになったとき、彼らは、一気にここに押し寄せてくるわけではない。あちこちにいる我らの同志の対応に、その兵力を分散せざるを得ない。我らもまた、この国のそこここにある点の、ひとつに過ぎないのです」
とすると、ここにユランが居座っていることの重味が、薄れてくる。アイラトは、権謀術数はせぬが、頭はとてもいい。どうすれば、商人達が納得してくれるのか。その帰結点から逆算して今言うべき言葉を導いて、丁寧に話した。
「だから、我々に、力を貸して下さい」
と、息を飲むような美しい青年が頼み込む。商人のうちの何人かは、実際、唾を飲み込んだ者も居たであろう。
「戦いになり、勝てる根拠は」
一人が、言った。
「たとえば、ここより東の国。砂漠の向こう、皆さんもご存じの、あの大きな国です。あそこは、歴史の中でしばしば王朝が代わりますね」
これは、ネーヴァから仕込まれた知識と手法である。自分達の話をするはずが、巧みに別のものの話にすり替え、それを裏打ちとする。
「あの国では、いつも、王朝が出来上がり、それが立ち行かなくなったとき、志あるものが旗を上げ、戦い、そして覆し、新たな王朝を立てるのです。毎度、それを繰り返しているくせに、壊れかけの王朝は、反乱軍を、所詮は反乱軍、と甘く見て、打つべき手を打たなかったり、消すべき火を放っておいたりするのです。きっと、壊れかけの王朝の中にいる人には、そういうことは分からないのでしょう。今のパトリアエに、そっくりだと思いませんか」
「しかし、英雄アトマスの世になってから、この国はまとまりつつある」
「だから、今なのです」
「いくら腐ったものの
にっこりと、アイラトは微笑んだ。しかし、その瞳が、ウラガーンのものに僅かになり、
「そのときには、もう遅いのです」
と言って、またもとの美しい青年に戻った。商人とは、眼を見てものごとを判断する。彼らの癖を上手く突いて、アイラトは、自分達が容易ならぬ存在であることを、端的に示したのだ。きっと、商人共が、今まで見たことのない種類の眼であったろう。
人の心に真空を作り出し、その真空がもとに戻ろうとする力を利用し、植え付けたい情報を植え付ける。現代においても、商談などの場において、用いられる手法である。
リベリオンに同調しているような奇特な者を除き、商人に、志を説いても仕方がない。彼らが欲するのは、利と、根拠だ。
彼らは、想像しただろう。この国が覆り、その功労者のうちの一人として、首都グロードゥカに集まる膨大な利を貪る権利を得ることを。それが成らず、ユランが叩き潰されれば、また、今まで通り、パトリアエの民として、生きてゆけばよい。脅され、無理矢理金をせびり取られた憐れな者、それでも王家への忠誠を捨てなかった者として、称賛されればよい。それを後ろ楯に、国家に対して、奪われたものの補償を請求すればよい。
そう、思わせた。
「よし」
ネーヴァは、満足そうである。どうせ、張りぼてなのだ。何をするにも、金がいる。アイラトが商人共に説いた各地での同時蜂起も、金が無ければ成らぬ。
それを、ネーヴァは、本気で行うつもりであった。それ以外の方法で、誰もが自らの生を認められるようになる国を、作る術を知らぬ。少なくとも、今のままパトリアエが良い国になっても、ユランの志を持っている人間は、その影の住人でしかないのだ。
だから、こうして、危険を承知で、表の世界に、名乗りを上げたのだ。
もう、ネーヴァの帰るべきウラガーンはない。もともと、帰るべきところなど、この国の、どこにも無かったのだ。
無いのなら、作るしかない。
ネーヴァは、それを最も望む者のうちの一人である。
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