第七章 尾を喰らい合う蛇

親と子と人

 こんどは、ニルは、フィンと離れても、緊密に連絡を取っていた。驚くべきことに、フィンはパトリアエ国内にも、情報網を持っていた。それは、そのまま、連絡網になる。それを使うのだ。

 ダンタールら他のウラガーンも、フィンに力を貸す、ということに同意している。彼女の思想に、自らの目標を同調させたのだ。

 だから、フィンが、まだネーヴァのことをすぐに呼び戻してはいけないと言うのも、受け入れた。ニルやダンタールらが帰国した直後にネーヴァを呼び戻せば、ダンタールらの隊はその直後にプラーミャの離反を受けることとなり、リベリオンからも孤立する。しかし、ネーヴァに、プラーミャの残したものを引き継がせ、然る後に同化すれば、ウラガーンもリベリオンも、一つになり、その頂点にはダンタールが立つことになると言うのだ。

 果たして、フィンの言う通りになった。プラーミャは去り、残されたウラガーンとリベリオンは、ネーヴァを首魁とし、半独立のような形を取り、ユランと名乗りをあげ、ノゴーリャの街を封鎖、占拠したのだ。

 ダンタールは、フィンの慧眼に、舌を巻いた。そこで、ネーヴァと合流するものとばかり思っていたが、違った。フィンは、まだだと言う。ネーヴァには、少しばかり、働いてもらわねばならぬと言う。

 フィンは、不思議なことを言った。バシュトーでは、蛇を食おうとするとき、頭だけを打ち、殺すのだ。そして、身をその姿のまま、手に入れるのだと。それを、パトリアエでも、する必要があると。それ以上の解説は、なかった。

 だから、ニルやダンタールらは、ネーヴァが彼らを求めているであろうことを知りながら、姿を見せなかったのだ。感情に流されては、全てが無になる。フィンのその言葉を、守ったのだ。



 蛇の頭に例えられたであろう、リョートである。彼は、所在を掴んだプラーミャに会った。

「お初に、お目にかかる」

 とリョートは挨拶をした。

「お初に、お目にかかる」

 と、プラーミャも返礼をした。

「東の山でも、もう芽吹きの季節ですな、プラーミャ殿」

 プラーミャは、そのような世間話をしにリョートがやってきたのではないことくらい、分かっている。パトリアエ中央正規軍、戦士ヴォエヴォーダアトマスが副官、リョートです。と彼が名乗ったとき、プラーミャは、なにかを捨てるような、諦めたような、あるいは、何かとても愛しいものを抱くような気持ちになった。その瞬間、プラーミャは、反乱軍の長ではなくなった。彼は、待っていたのだ。戦いをしなくてもよくなる日を。

 リョートが今目の前にいることは、プラーミャにとって、扉が少し開き、その向こうから僅かに光がこぼれているようなものだった。しかし、その高潔な思考は、恐らく、ウラガーンやリベリオンの反発を買うことであろう。

 むっつりとしたプラーミャの、皺の刻まれた顔にリョートは語りかけた。

「草花のことを、話しに来たのではない。貴方を、お迎えに上がったのです」

 プラーミャは、白っぽい鼠色になった眉を少し上げた。フィンと行動を共にしていた時はまだ黒いものがあったが、この数年で、一気に自らが老いてゆくのを感じていた。

「これは、パトリアエからの要請です。貴方はすぐに、国家に対して反発的な活動をやめ、国家に忠誠を誓い、国家のために働かなくてはならない」

 要請と言う割に高圧的である。しかし リョートが背筋を伸ばして言うのを、プラーミャは喝采を浴びせたいような気分で聴いていた。今まで、この腐りきった国に、一人でも、自分にこのように毅然と向き合い、ものを言える者がいたか。獣ではない、人を見た。そんなところであろう。このリョートの存在こそ、パトリアエから戦いが消えようとし、その先に、平穏で静謐せいひつな、あるべき姿の国家が約束されている証ではないか、と思った。

 プラーミャは、口には出さぬ。態度にも出さぬ。だが、心の中で、翼を広げた大いなる何者かが、自らの道を示し、暖かな温もりでもって包んでいるような心地であった。

 思えば、リョートの出現もまた、プラーミャなくしては成り得なかったとも言える。まだアトマスがバシュトーとの主戦論を強硬に唱えているだけの軍の最高指揮者であった頃、乱を呼ぶためウラガーンを使い、反戦論者を片っ端から斬らせたのだ。それで、アトマスは、随分と動きやすくなったはずだ。それなくしては、その副官たるリョートが、内政、軍事において類い希な才を発揮し、実質上の宰相となることは、なかったのだ。

「リョート殿」

 プラーミャは、言った。リョートが、自分の気に圧されそうになるのを、堪えるのが分かった。

「貴方を作ったのは、俺だ」

 リョートが、とても穏やかに、頷いた。

「分かっています」

 と彼は言う。

「貴方が、リベリオンとして活動していなければ、今のパトリアエは無かった。不思議なものです。我らは、中から。貴方は、外から。敵として存在しながら、同じもののために、働いていたのです」

 プラーミャが、少し笑った。

「プラーミャ殿。戦士ヴォエヴォーダが、貴方を欲しています。リベリオンを連れ、中央グロードゥカに。アトマスは、貴方に、中央正規軍の一部を担う、将軍となってもらいたいと考えています」

 破格すぎる待遇である。そうまでして、この国から戦いを無くそうとしているのだ。軍の中で、反発はあるに決まっている。しかし、それで、戦うべき敵がなくなるのだ。パトリアエが一つになった暁には、クディスであろうが何であろうが、誰も、その白銀の鎧と盾に、触れることは出来ないのだ。

 現代の言葉を使うなら、抑止力。それこそ、戦いを無くすと、リョートは考えていた。戦う必要が無くなれば、軍を維持するだけの費えは要るにせよ、人も、金も、国家そのものも、民のためだけに使える。

「私は、貴方と同じなのです。民に安寧をもたらしてこそ、国家が存在する意味があると考える。国家のために民が存在するような国など、あってはならないと考えます。貴方も、きっとそうだと確信しています」

 プラーミャは、黙って頷いた。

「貴方の答えを、お聞かせ頂きます」

 そのリョートの言葉に、プラーミャは、両の拳を床に付き、頭を深く下げ、首筋を見せることで、応えた。


 リベリオンの話になった。リョートの要請は、リベリオンも、ウラガーンも、全て引き連れてくること。

「それは、無理だ」

 とプラーミャは答えた。

「理由を、お聞かせ頂きましょう」

「彼らは、俺ではない」

 それが、プラーミャの答えであった。

「分からぬことを仰る。貴方は、リベリオンの長ではないか。ウラガーンは、リベリオンの実行部隊。そう私は認識していますが、違いますか」

「違わぬ。貴方の言う通りだ。俺は、若き日、数人の同志と共に、リベリオンを作った。人が人を呼び、組織になった。小さくても、この国のために、民のために、意味のあることをする。そういう志を持ち、生きていたのだ」

「リベリオンとは、何なのです」

「リベリオンとは、人の意思そのもの。雨の一粒に溶け込んだ怨嗟えんさの声が、形となったもの。彼らがどう考え、何をするか、俺でも随意にならぬ部分がある。俺に従い、リベリオンとして生きているのは、半分といったところだ。彼らは、意思だけを持つ。無論、武器も使うが、ほとんどそれはせぬ」

 リョートは、バシュトー王をプラーミャが殺し、離脱するとき、それを追撃した王の部族を、どこからともなく現れた軍のようなものが殲滅したという話を思い出した。

「それは、武力を持つものが、意思をも持つことを、危険だと思ったからだ」

「ほう。詳しく、お聞かせ頂きます」

「だから、ウラガーンを作った。彼らには、武しかない。彼らが何かを考え、自らの意思で行動することはない。リベリオンは、考えるが、自ら何かをすることはない。その均衡がなければ、必ず、人は思い上がり、あらぬ方向に走るのだ」

「例えば」

「パトリアエに対し、決戦を挑む」

 そうなれば、血で血を洗う、内戦の始まりである。無関係の民が死に、アーニマ河の水は赤く染まることであろう。そして、紛争地域には、貿易の道の商隊は寄り付かなくなる。そうなれば、倒すべき国も、守るべき民も一緒に、全て枯れるのだ。プラーミャは、そこまで考えていた。

「だが」

 とプラーミャは続ける。

「人から意思を奪うことは、出来ぬ。そうならぬ国を、俺は求めている。ゆえに、リベリオンが、ウラガーンが、俺に従わず、パトリアエになお決戦を挑むと言うならば、それを止めることは出来ぬ」

「東の国で言うところの、矛盾、ですな。では、どうするのです」

「戦い、滅ぼすまで」

「よいのですか。貴方が手塩にかけて大きくしたものを」

「それが、安寧の妨げになるならば、いっそ潰してしまう方がよい」

 また、プラーミャの身体から放たれる気が、灰色の瞳の力が、強くなった。リョートは、火の焚かれていない炉に、少し目をやった。直視するには余りにも強く、悲しい光だったのだ。

 この男は、やる。自ら築いたものを、惜しげもなく。平穏と、安寧を妨げるもののためならば、やる。そう、空っぽの炉を見ながら思った。

「それと、もう一つ」

「どうぞ」

「バシュトーとの繋がりは?まだ持っておられますか」

「無いことはない。と、連絡をしようと思って、出来ないことはない。しかし、昔ほどの強い繋がりは、ない」

「そうですか」

「リベリオンの設立には、今は無きバシュトーの力が大きく関わっていた」

「知っています。何故、貴方がバシュトーの援助を受けることが出来たのかも」

「そうか。そこまで、探っているか」

「ええ。貴方が、バシュトー人であることも。バシュトーの数代前の、別の部族に滅ぼされた王の、子であることも」

 プラーミャは、笑った。

「そうだ。俺の父が殺されたとき、俺は既にリベリオンを作っていた。若くして妻を娶り、子もあった。しかし、二代前の王の部族との戦いで妻は死に、俺は、子だけを連れ、パトリアエに逃れた」

 リョートは、プラーミャが語るのを、黙って聞いている。さっきまでの、押し潰してくるような強い気は、どこにもない。悲しみを背負った老人でしかないように見えた。

「子すらも生かしてやれず、俺は、子を捨てた。そのようなことになった、パトリアエを、潰すと誓った」

「バシュトー王を殺したのも、もしや」

「復讐であったと言われるのを、否定は出来ぬ。あのとき、俺は、嬉々として、サラマンダルに乗り込んだ」

「それが、貴方の、たった一つの、自我」

「笑ってもいい」

「いえ、改めて、貴方に敬意を表します」

 リョートは、胸に手を当て、その仕草をした。

「自我は、その一つだけ。それ以外の全てを、貴方は、人々の安寧のために捧げ、生きてきた。一つくらい、あってもよいではないですか。人の意思を、奪うことは出来ぬ、そう貴方は仰った」

 プラーミャは、何も言わない。自我なら、もう一つある。そう思っていた。リョートは、それを見透かしたのかどうか分からぬが、

「ちなみに」

 と続けた。

「貴方の子の、名は」

 プラーミャは、少し眼を開いた。その目尻に再び悲しい皺が刻まれると、深い呼吸とともに、

「ダンタール」

 という名が吐き出された。


 捨てた子を、また拾い、育てた。実の子ではなく、志を継ぐ者として。拾ったのは、全くの偶然であった。路地で、ごみを漁っている少年が振り返ったとき、はっとしたものだ。その名を、当人が覚えていたのも、驚きであった。

 金だけ与え、見なかったことにしてもよかったのだが、それは出来なかった。彼も、人だったのだ。誰よりも、人であったのだ。

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