苛立ち
ネーヴァは、戸惑った。とりあえず、別のウラガーンの者どもに連絡を取った。彼らもまた、戸惑っているようだった。
ニルらも戻っているらしいが、所在が分からない。何故、居場所を知らせて来ないのかも分からない。ニルらは、ネーヴァが今プラーミャのもとに居ることを事実として知らないからであるが、ネーヴァにしてみれば、歯噛みしたい思いであった。
とにかく、連絡のつく限り、ウラガーンの主だった者を集め、会合を持つことになった。
何故、と言えば、プラーミャが、何故パトリアエに降ったのかも、分からない。リベリオンも置き去りにして、パトリアエに何を託すというのか。パトリアエが、良い国になりつつあるのは、ネーヴァにも分かる。しかし、今の今まで、不倶戴天の敵として睨んでいた相手に、こうもあっさりと掌を返すことのできる神経が分からない。
金か、地位か。プラーミャがそのような人間ではないことくらい、知っている。もっと、高潔な何かがあるに違いないとも思う。しかし、それら全てに、唾を吐きかけてしまいたいほどの怒りと、戸惑いがあるのをどうしようもない。
今まで、戦ってきたのだ。それを、止められぬのは、ただの意地なのか。雨の一粒として、雲を切り裂き、光をもたらすという志は、ただの夢なのか。
それを、認めなければならぬのか。
ウラガーンの各隊の隊長格の者が集まった。グロードゥカよりやや東寄りの、ノゴーリャという街である。貿易の道が通っており、行き交う旅人のもたらす物産により、やや潤っている程度の街だ。ここならば、旅人に紛れて出入りがし易い。また、東の山脈に端を発し、グロードゥカを貫き、ソーリ海へ注ぐアーニマ河にも隣接している。何かあったとき、逃げるのにも、苦労しない。そこを選んだ。
「プラーミャは、何と言っていたのだ」
古くからのウラガーンらしき者が、ネーヴァに詰め寄ってきた。皆、不安がっている。プラーミャの下にじかに居たネーヴァの言葉を、皆聞きたがった。ネーヴァが、ウラガーンの最初の一人であるダンタールの弟子であることは、誰でも知っている。自然、この座の首領格のような扱いになっている。
「何も、言わぬ。ただ、パトリアエと共に、と」
「リベリオンは、どうするのだ」
「それは、リベリオンが決めるらしい」
「俺たちは、どうなるんだ」
ネーヴァは、全員の視線が矢のように降り注いでいることに戸惑いを感じた。
「俺たちは、まず、一つになろう。各個が、ばらばらに考え、行動しては、更に分裂をするだけだ」
「誰が、まとめるのだ」
「ダンタールか」
「奴は、どうしたのだ」
ウラガーン達は口々に囁き合ったが、やはり、ネーヴァに視線が戻ってきた。
「ちょっと待て。俺は、御免だ」
「お前が言い出したことだ。一つにならねば、何も出来ぬ」
言い出したのは、自分ではなく、プラーミャではないか。とネーヴァは内心、頬を膨らませたい思いであった。しかし、一つになるならば、誰かが、それをしなければならない。今ここに居る中で、諜報、戦闘ともに最も優れているのが、ネーヴァの隊であるのだ。恐らく、今この場にいる者全てが一度にかかって来ても、ネーヴァには傷一つ付けられぬであろう。
押し切られるような形で、ネーヴァの隊が、ウラガーンをまとめることになった。馬鹿馬鹿しいことのようだが、ネーヴァは、ころりと転がるようにして全てのウラガーンの長になってしまったのだ。当人は、まだダンタールの留守を預かるだけのつもりでいる。しかし、長は長なのだ。
ものごととは、勢いが付くと、止まらぬものである。プラーミャに置き去りにされたウラガーンが結託し、一つの組織になったと聞き付けたリベリオンの半分が、同じ月の間に合併を申し入れてきた。およそ、二百もの人間がそこにいた。残りの半分は、プラーミャと共に王国軍に降った。
リベリオンを率いていたのは、ダンタールより少し若いくらいの男だった。やけに居丈高な態度で、ウラガーンを下に見、ネーヴァに突っ掛かってきた。
「やれやれ。一つになろうと言ってきたのは、そちらであろうに」
ネーヴァが、胸ぐらを捕まれた拍子に、ため息混じりに叩きのめすと、最初、へらへらと笑っていたリベリオンの者どもは、黙った。
「誰が率いるか、リベリオンとウラガーンのどちらが偉いか、そのようなことは、関わりない。俺たちは、何をするのだ。共に食らいあい、滅ぶことか。違う。俺たちは、龍が呼んだ雨の一粒だ。それは、集まり、また龍となることではじめて、雲を裂き、光を呼ぶのだ。龍になろう。雨を操り、それをしよう」
これが、実質上の、独立宣言となった。まさか、とは思うが、百のウラガーンと、二百のリベリオンは、そのまま、ノゴーリャを封鎖し、そこに立て籠り、旗を立てた。それまで、影に潜み、雨をくぐって生きてきた彼らが、はじめて、表の世界に、立ったのだ。首魁は、ネーヴァ。
くどいようだが、物事とは一気に進むときがある。だが、それも、よくよく見れば、大きな流れのうちの一つでしかないということもある。
ともかく、この出来事は、記録されて然るべきものであることは疑いようがない。ニルは、ダンタールは、何をしているのであろうか。これほどの変事を知らぬわけがない。しかし、彼らは、まだ姿を見せない。
何故なのだ。また、ネーヴァは、そう思った。クディスから戻っていることは、ネーヴァには分かっている。グロードゥカの王宮に忍び込み、誰にも気付かれず王の寝室に短刀を突き立てるようなことは、この国、いや、この地平で、ニルか自分しか居ないのだ。プラーミャですら、フィンと共にバシュトー王を殺したとき、痕跡を残した。それすらもなく、事を為せるのは、ニルか、自分だけ。そう思っていた。
それならば、何故、王を殺さなかったのか。殺せたはずである。殺さなければ、ただのいたずらである。ネーヴァは、理性的で、合理的な思考をしている。そばにニルがおらず、何故と問い、納得することが出来ぬから、分からない。ゆえに、苛立った。
苛立ちとは、焦りを産む。焦って、よいことなど一つもない。ネーヴァは、理性的で、合理的な思考をしている。そのことは、分かりすぎるほど分かっている。しかし、苛立ちを解消する術がない以上、彼の合理性は、受け入れる方へと向かわざるを得ない。
ネーヴァとは、そういう男であった。彼は、自らが苛立っていることを受け入れたのだ。
受け入れたとき、人がどうなるのか。それは、ネーヴァは知らない。何故なら、彼は、そのような非合理的な生き方を、知らぬからだ。
合理性に基づいて、名が必要になった。ユラン。パトリアエ語で、龍、という普通名詞である。ウラガーンとは、神話にある固有名詞であるから、それとは異なる語を選んだ。ある学者曰く、固有名詞の持つ、個の存在感よりも、普通名詞の持つ、一般的な浸透率こそ相応しいと考え、その名を選んだというのがいかにもネーヴァらしく、その人となりを最も知ることが出来る、と言ったというが、まさにその通りであろう。
また、このノゴーリャの地も、特徴的である。先に触れたように、ノゴーリャの地とは開けており、人の往来も多く、秘匿には向かぬ。つまり、攻められたらおしまいということである。攻められたら、逃げ、また蜂のように飛び回り、刺し続けるつもりなのだ。
ゲリラとは、革命においてしばしば有効で、なおかつ少数になりがちな革命軍が選ばざるを得ないことが多いものである。ユランが、まさにそうなろうとしているのかもしれぬ。ネーヴァならば、その選択を、至極自然に行うことであろう。
更に、ノゴーリャを封鎖することで、彼らはパトリアエの経済に打撃を与えようとした。貿易の道の機能が失われれば、パトリアエの財政には非常に大きな痛手となる。そして、河。ここを封鎖すれば、アーニマ河を往来するパトリアエの輸送船などを襲うことも出来る。もしかすると、勢力を拡大することが出来たなら、船でもってグロードゥカを制することも考えてられるかもしれぬ。このノゴーリャの位置、特色が、絶妙である。恐らく、パトリアエは、それを潰しに来る。そこで、ネーヴァが、どう出るか。
パトリアエの中枢が歴史の中で失われていた本来の機能を取り戻し、まとまろうとすればするほど、より、情勢は混迷を極めてゆくのは、どういうわけであろう。
パトリアエには、アトマスとリョート。そしてそれに参画した、プラーミャとリベリオンの半分。更に、ネーヴァ率いるユラン。バシュトーの武力を内包したまま、平静を保つクディス。そこに、無論、フィンもいる。そして、所在の掴めぬ、ニルら四人のウラガーン。
やはり、誰もが、同じ点を目指しているように思える。それなのに、刻一刻と、戦いへと歴史が進んでゆくのは、何故であろう。その愚かで、悲しく、虚しいものこそ、歴史の持つ一つの顔。
戦いを美化してはならない。それは、人の為しうる中で、最も愚かで、無知な行動なのだ。
だが、あえて、人はそれをする。集合体としての社会に顕微鏡をあて、見てみれば、やはり見えるのは、個。
一人の人間は、ちっぽけであるが、無力ではない。それが、世界の均衡を塗り替えることもあるのだ。
もし、余力があるならば、この史記目録を、読み返して頂きたいものである。何かが、見えるはずである。その余力が無いならば、先に読み進めて頂きたい。単なる事実が、そこにある。続けて、その中に無遠慮に手を入れ、掴み上げ提示することをしてゆく。
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