ネーヴァという男

 彼は、泥の中に産み落とされた。彼は、まだ自力で、生を繋げるほどの存在ではなかった。母に抱かれなければ生きてゆけぬ、か弱き命であった。

 しかし、彼の母は、彼を生んだとき、既に死んでいた。偶然や必然という言葉は、あまり用いたくない。だが、その命が消える前、まだ産声を上げている間にダンタールがその場を通りかかったことを、偶然や必然という言葉以外で表現するのは、難しい。

 まだ若き日のダンタール。赤子を、拾い上げた。この頃、ウラガーンは出来立てで、ダンタールは、コーカラルと共に、二人で仕事をしていた。

「その子をどうするんだい、ダンタール」

「育てるのだ。コーカラル」

「私たちの子として、かい」

 コーカラルは、面食らった様子であった。

「いや、違う。ウラガーンの子として、だ」

「母を、父を持たぬ子。この子以外にも、多くいる。そのすべてを拾い、育てることは出来ぬ。だが、そのような子が出ぬようにする世を作ることなら、出来るのだ」

 ウラガーン結成当初の理念である。もともと、リベリオンという組織は、プラーミャの手で作られた。しかし、彼が自ら育てたダンタールの成長と共に、その実行部隊として独立させようとプラーミャは考えていて、ダンタールもそのつもりで動いていた時期であったのだ。


「憎まれ役、嫌われ者にならねばならぬ。その覚悟は、あるか。ダンタール」

 この編年体の史記の中、まれに挟まれる、伝記調のこの項のはじまりよりも更に前、プラーミャが、まだ共に過ごしていたダンタールへ言った。

「この汚れた国の中、俺だけが綺麗でいようなどと、思ったことはない」

「いい覚悟だ。では、お前は、今日からウラガーンになれ」

「ウラガーン、だと」

 精霊の神話に出てくる、雨と風を司る、邪なもの。その名を、プラーミャは持ち出した。

「お前は、この国の中に吹く、ウラガーン暴れる風に、なれるか」

「なる。それが、正しいことならば」

「正しいかどうか、己で、示せ。正しさを、正しく示してみろ」

「あんたのように、なってみせる」

「お前が俺になろうとしても、無理が生まれるだけだ。俺に出来ぬことをしろ」

「そんなの、ありっこない」

「今のお前には、分からぬであろう。しかし、いずれ、分かるかもしれぬ。そのとき、お前は、道を誤るな」

「あんたは、どうなんだ」

「俺も、道を誤らぬようにする。それだけだ。先に何があるのかは、先にあるものが、決めるだろう」

 そうして、ダンタールはその時既に大きくなりつつあったプラーミャのリベリオンを抜け、最初のウラガーンとなったのだ。他にもウラガーンは増え、二十人程度を一隊とし、この史記目録のはじまりの王国歴三百十七年の時点で数隊にまでなっているが、ダンタールが、最初の一人なのである。

 彼は、その恵まれた体躯から繰り出す剣技から、竜巻タルナーダと呼ばれるようになった。同志であり師であり父である、プラーミャと、同じ二つ名。

 ウラガーンに、相応しい二つ名ではないか。

「乱すだけ、乱してやるさ。俺は、竜巻タルナーダなのだから」

 折ごとに、決まって彼はそう言っていたものである。


 そのダンタールが拾い上げた赤子は、自らの身体についた母の血を雨で洗っていた。雨の音が、彼の産声だった。今生まれたところなのだろうが、母に息は無い。臍の緒を切り、布で体を拭ってやって暖めながら、コーカラルが必要であろう処置を施した。二人とも、赤子を取り上げたことなどないが、仕事柄、救命措置などには長けていたのが幸いした。赤子は、雨音に同調するようにして、とても元気に泣き続けている。母と同じ、金色の髪の子であった。

 その母の亡骸はそのまま雨に洗わせて、ダンタールとコーカラルは赤子を抱き、に帰った。



 赤子は、よく育った。その眼に映すのは雨ではなく、それを降らせる雲であらねばならぬ。その向こうの、空を求めなければならぬ。と思い、ネーヴァという名も与えた。

 そして、次の年が明ける頃、ニルを拾った。ニルとネーヴァは、長じるに従い、聡明さを見せはじめた。豪胆な部分も持っている。仕事に初めて伴ったのは、まだ彼らが十にも満たぬ頃であった。その頃には、他の者も拾ったり、預けられたりし、リベリオンからもたらされる収入以外でも彼らを養うため、そしてウラガーンを世の中に溶かし込み、その存在を秘匿するために、宿を始めていた。

 幼い彼らにとって、ダンタールが父、コーカラルが母という具合になりそうなものだが、不思議とそうはならなかった。ダンタールとコーカラルは、彼らが幼いうちから、同志として接した。武器の扱いなどにおいては師であったが、彼らの上に立つような、例えば、親や上官のような者にはなりたくなかった。

 彼らには、世の中を変える話をした。その先に、何があるのかは、ダンタールにも分からないから、話さなかった。ただ、世を変えるために、武器を執り、戦うのだと。幼い彼らが受けた唯一の教育が、それであった。彼らは、だから、人殺しをためらったりはしない。ダンタールもちょっと驚くほど、あっさりと標的を殺す。

 彼らは、化け物だった。いや、ダンタールが、そのように育てたのだ。人のなんたるかを教えず、殺しの技と、夜に出す声と、足音を消す術と、眼を開けて眠る方法を教えた。

 手段のみを教え、実行させ、その先は見せられなかった。ダンタールも、知らなかったからだ。

 だから、彼らは、王国歴三百二十五年になり、二十を幾つも越える歳になってはじめて、自分が何のために戦うのかというような話を今さらするのである。



 話を戻す。

 ネーヴァは、凄まじい腕を持っていた。どんな大人も、彼に傷をつけることすら出来なかった。

 子供の暗殺者を育て、使っている。少し、ダンタールは負い目を感じるところはある。しかし、他のウラガーンもそれに倣い、孤児を拾い、暗殺者として育てている。孤児をそうして保護し、失われたはずの命を繋ぎ、仕事を与え、生きる目的を与えるということが、何かを美化した部分はあるだろう。

 雨と風を司る龍は、悲しい生き物へと育った。ネーヴァも、無論。彼は、戦うことに対して、一切の感情を持たない。敵と見れば、殺した。考えるのは、いつも、敵の身体をどう壊すのがよいか。そのために、自分の身体をどう使うのがよいか。そんなことばかりだった。他に、考えることも無かった。

「あれが標的だ、ネーヴァ、ニル」

 幼い二人を連れたダンタールは、夜に出す声で言った。二人は、頷く気配を発し、答えた。

「護衛が、多いな」

 大商人を一人、屠る。王家に賄賂をし、不正を働き、軍に衣服を卸す権利を得、その金で、自らを飾り、妾を囲い、美食に溺れている。自らの保身には神経質で、街の腕利きを、高い金で雇い、それを十人から二十人、いつも連れている。

 貧しい者を、ただ同然で使い、それで死ねば、捨てるようにしてまた違う者を雇う。その子がまた孤児となり、グロードゥカの路地を漁るのだ。ネーヴァも、ニルも、無論己がどうやって生まれ、捨てられたか、聞いている。

「俺たちを作ったのは、あいつなのだ」

 比喩的な意味で、ネーヴァが言った。ニルは、ぼんやりと頷いた。

「行くぞ、ニル」

 屋根の上から、飛んだ。降りて、驚いて揺れる灯火に向かった。剣を抜く動作を感じ、その柄を捉え、その動きを助けるように引き、なおかつ身を捻り、足を内から払った。手には、敵が抜くはずだった、剣。敵は手首を折り、転がった。叫び声を上げる前に、喉を踏み、首を折った。

 ニルも、直剣を振り、敵の間を通り過ぎている。このとき、ヤタガンはまだ手にしていない。

 そのニルの動きが停止すると、三人、倒れた。ネーヴァも、奪った剣で二人斬った。揺れる灯火が、一団の混乱を物語っている。高い金で雇われていても、雇い主のために命を投げ出そうとする者は、少ない。ほとんどが、己の命を守る行動に出た。立ち向かってくる者はネーヴァが、逃げ出そうとする者は、ニルが倒す。この時、また二人は、十一か二くらいの歳であったろう。

 闇の中で襲われ、斬られ、男たちは、何が起きているのか分からない。しまいには、自らの手にかざす灯火に照らされた味方に驚き、同士討ちまで始める始末だった。

 その中でも健気なものは居て、主を守ろうと、一点に固まる動きを見せた。灯りが集まると、そこだけ、明るさが強くなった。戦いに慣れていないのであろう。ダンタールは、それを待っていた。

 集まった何人かの男たちが、背後に異様な気配を感じ、一斉に振り返る。

 マホガニー色と、炭色の外套。顔には、布を巻いている。その異様な姿が、一気に大きくなった。

「乱すだけ、乱すさ」

 男の声が、聞こえた。

 一閃。

 健気な男達が、ダンタールの剣の直撃を受け、無惨な肉の塊となり、四散する。胴は腰から離れ、腕は千切れ、飛び散った。

 標的は、腰を抜かした。そのまま見上げると、また、影。頭の布から、金色の髪が垂れている。ネーヴァであった。

 その美しい髪が間近に来たのを感じ、標的の視界は逆転し、すぐに死んだ。

 ネーヴァが、へし折った首から腕を離し、死体を転がした。転がった灯火が濡れ、また辺りは闇になった。

「引き上げるぞ。ニル、ネーヴァ」

 二人は、また頷く気配で同意を示した。

 数十の死体を置き捨て、三人は引き上げた。雨の中、母の血を洗いながら生まれたネーヴァは、長じても、やはり雨の中、敵の血を洗っていた。

 


 そして王国歴三百二十五年。プラーミャの下に付いたネーヴァらウラガーンは、東の地から、コーカラルの行方を探しつつ、リベリオンの仕事をしていた。結局、殺しである。中に入って分かったことであるが、どうやら、月日とともにリベリオンの組織も大きくなり、プラーミャの意思が全てを決めているわけではないようであった。リベリオン自体の意思のようなものがあるらしい。プラーミャは、そのことをどう思っているのかは分からない。しかし、プラーミャが、直接ネーヴァ達に何かを言うことはなかった。

 それが、珍しく、プラーミャの方から訪ねてきたのである。

「ネーヴァ」

「プラーミャ。珍しいな」

「ダンタールの居場所は、分かるか」

「分からない」

「向こうから、連絡は」

「ない」

「そうか。ならば、致し方ない」

「何か、あったのか」

「俺は、パトリアエ軍に付く」

 ネーヴァは、一体何の話かと耳を疑った。

「ダンタールに、そのことを伝えてくれ」

「リベリオンは、どうする」

「さあな。彼らが、決めるだろう」

「俺は、どうすればいい」

「コーカラルを探すのだろう?好きにすればいい」

「あんたを頼ってきた、ウラガーンは」

「俺に、お前達のすることに、何かを言う権利など、ない」

「王国軍の人間に、なるのか」

「先ほど、そう言った」

「ならば、俺はあんたを殺す」

「お前がそうしたいなら、そうするがいい」

 ネーヴァが、立ち上がった。しかし、仕掛けられなかった。気付いたときには、全身に汗をかき、プラーミャの姿は、もう無かった。

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