一つに
王宮の裏側。庭園になっている。初夏の土が、手入れされた花を青く芽吹かせていて、それが、夜の雨に打たれ、意思があるように動いている。
そこを、ニルは歩いていた。見張りは驚くほど少ない。首都グロードゥカの中枢は、王宮と、あとは軍の本営から成る。アトマスやリョートが居るのは、そちらである。王宮は、今は、形だけ据えられた若い王と、その妻や
庭園は特に美しく手入れが行き届いている。おそらく、王妃や妾が、好んでいるのであろう。見たことのない形の葉を付けた花もあった。恐らく、どこからか取り寄せた珍しいものなのであろう。
前の王は、ひどい浪費をした。珍しい形の石だとか、見たことのない器や坪などを求めた。求めるのは勝手だが、それを軍や民を使って、探させた。無論、対価はない。軍は、石を探し、運ぶための無駄な
そのくせ、王は、軍が身辺から遠ざかるのを、極端に嫌った。怯えていたのだ。形のない幻影を。アトマスなどは、内心、
そのパトリアエの中枢に、ニルはいる。雨に濡れた土を、音もなく踏みながら。
裏の木戸に、手をかけた。無論、金属製の鍵がかけられている。懐から取り出した細い刃物でその鍵穴を壊し、建物の中に入った。雨を滴らせながら、廊下を歩く。その廊下は、板張り。バシュトーの地で暫く暮らしたから、それだけで、パトリアエが豊かな国であることが分かる。壁は石と煉瓦。床は木。庭には草花が植えられ、乾いた色彩しかないバシュトーの地とは、大違いであった。ニルの外套から滴る雫が、その床板を黒く濡らしている。表の、儀礼などを行ったり、王家の者が謁見を行ったりする区画は、東の山脈から切り出した石が床にも敷かれている。しかし、石は冷えるので、裏の居住区の床には、木の板が敷かれているのだ。それでニルは、自分が、目標に近づいていることを知った。
階段は、石。それを上る。一番上の、三階の廊下に、身を滑らせた。屋内は、暗い。
壁に指を這わせ、その手触りを見ながら、進んだ。
あった。豪華な飾りが施されているらしい扉。そこに、ニルは滑り込んだ。
王と、王妃の寝室。影の形と、うっすら聞こえて来る寝息の気配で、寝台を見極めた。短い刃物を、抜いた。寝台の前に立ち、上る。柔らかな夜具の感触が、靴に伝わってきた。
短い刃物を、逆手に握る。
一気に、突き刺した。
そのまま、部屋をあとにする。
同じ道をたどり、王宮から出た。門番の四人の死体が、まだ転がって、雨に打たれている。それを、彼らは冷たいとも何とも感じないのだろう。
翌朝、王宮内は、大変な騒ぎになった。朝起きてみると、王と王妃の枕の間に、刃物が朝日を跳ね返しながら突き立てられていたのだ。賊は、裏門の門番を殺害し、王宮内に入ったものとされた。誰も、その姿を見た者は居ない。かつての頃より兵は少ないとは言え、仮にも、王宮である。夜通し、兵は巡回している。その誰もが、物音一つ聞かなかったという。
賊は、恐るべき使い手である。何者か、と人々は口々に噂をしている。その報に触れたとき、アトマスとリョートは、顔を見合わせて言った。
「ウラガーンが、戻った」
リベリオンもウラガーンも、ほとんど、その運動を停止している。しかし、どうやら、国外に逃れた者がいるらしいことを、雨の軍が偵知していた。国外と言えば、クディス。未だ正体の見えぬ女が、バシュトー人を集め、建てた国。パトリアエには、今のところ彼女が何者なのか、クディスの女王であるのかどうかすら、分からない。出来てから、何も荒事はせず、ただ商いなどを細々としているだけのようであるから、警戒だけはして、特に何もしていない。いや、働きかけをする要素がないと言うのが正しい。
しかし、どうも、ただ大人しくしている内向的な国ではないようである。それが、今朝の騒ぎ。間違いなく、賊の背後には、
「ウラガーンが、戻った。これは、奴らからの、宣戦布告だろう」
「はっ。王宮ならびに軍本営の警備を、ただちに強化します、
リョートは、手の者に、命令をすぐ伝えた。
「奴らは、何をしようとしているのか」
「分かりません。これまでとは違い、随分と好戦的な姿勢に思えます」
「
「分かりません。例の件、急ぎます」
「頼む」
例の件、というのは、リベリオンの慰撫のことである。しかるべき立場をもって、その首魁プラーミャを迎え、リベリオンを、王国軍に組み入れてしまう。無論、その下にあるウラガーンも、同様にするつもりであったのだが、やはり、一筋縄ではいかぬのかもしれない。しかし、リョートは、上手くいくと思っていた。少し前、各地を探索していた雨の軍の者が四人、東の山中で消えた。そこに、プラーミャを感じた。見つかったのは、獣に食い散らかされた、無惨な死体。連絡が途絶えたことを不審に思った雨の軍が、別の者をその地域に放ち、詳しく調べたところ、その死体を見つけた地元の猟師と接触した。聞けば、ばらばらに獣に食い散らかされた跡はあったが、不自然であったという。哀れに思い、弔ってやろうと猟師仲間と共に死体を片付けていたところ、骨が、ばらばらに砕けていたという。獣が食い、骨を外し、持ち去るようなことはあるが、普通、獣は、骨は砕かない。恐らく、獣ではない別の獣が、砕いたのだ。それも、相当な衝撃をもって。
リベリオンの首魁プラーミャが、そこに居た。間違いない。むしろ、あれは、プラーミャからの、信号であったとすら思える。ずっと、何十年もの間、誰にも悟られず、それでいて堂々と、この国で生きてきたリベリオンの首魁が、いきなり雨の軍の下っ端を斬り捨てるなど、不用意にもほどがある。必ず、パトリアエは、そこからプラーミャに辿り着く。そのことを、考えなかったはずはない。
望み通り、見つけてやった。自らパトリアエに降るということは、決してないだろう。彼を認め、リベリオンを認め、迎えれば、彼はきっと靡く。リョートは、そう踏んでいた。彼は自ら、その存在を消したのだ。雨の一粒に、自ら進んでなったのだ。彼は、多分、求めている。自らの存在を。それを認め、与えてやればよい。それで、この国は、また一つになることに近付く。
一つになることが、必要なのだ。富める者も、飢える者も、無くすということは出来ない。しかし、生きている喜びを、奪ってはならないのだ。それが、英雄アトマスの国。その亡きあとは、自分が継ぐ。自分の亡きあとは、またそれを継ぐ者が現れる。そのような国を、作らなければならない。
プラーミャの見ている国も、きっと同じ。それならば、共に取り組む方がよい。歯向かったから殺すとか、ずっと敵だったから戦う、などどという下らぬ意地は、お互い捨てなければならない。
リョートは、グロードゥカを発った。その前に、自分の館に戻った。
地下の部屋。静かで、空気が止まっている。
気配のない女が、そこにいた。
「コーカラル。俺は、少し、旅に出る」
捕らえられているコーカラルである。ずっと、ここで暮らしている。リョートは、コーカラルに尋問など一切せず、暖かな衣服と食事を与えた。それだけでなく、館にいるときは毎晩、その身体を愛撫した。
「それを、言いに」
このところ、コーカラルは、歯向かうでも従うでもない、微妙な態度を取っている。だが、しかし、自分の来訪を、どこかで待つようになっている。リョートはそう感じていた。
「それを、言いに戻った。お前を、寂しがらせるわけにはゆかぬ。いや、俺が寂しがらぬように、かな」
それだけを言い、リョートは、供を数名だけ連れ、館を後にした。
もう少しである。コーカラルも、リベリオンも。
全ては、一つにならねばならぬ。リョートは、ただそう信じている。
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