思念

 何故、分かった。今さら、それを考えても、仕様がない。五人が、宿を脱することが出来なかった。アイラトと、マオは無事であったが、コーカラルが、戻っていない。死んだか、捕らえられたか、それも分からない。


 宿を、いきなり襲われた。客が、いつの間にか、すべて雨の軍になっていた。彼らは、手に短剣を持ち、襲いかかってきた。突然のことだったから、皆、素手か、手近なものを武器にして戦った。ネーヴァは素手。コーカラルは壺を割った破片を両手に握り、いつも使っているキンジャール短剣のようにして戦った。皆戦いながら、このようなときのために以前から示し合わせていた地点へ向け、宿を脱出した。その過程で四人殺され、アイラト、マオ、そしてネーヴァと、コーカラルだけが残ったのである。

「俺が残る。逃げろ」

 ネーヴァは、首領としての責任感から、そう言ったのではない。死なず、離脱もせず残っている者それぞれの、戦いの能力を見て、合理的思考に基づいて、そう言った。しかし、人とは、それだけでは片付かないことを、この理性的な男は、知っていた。

 コーカラルが、ネーヴァの前に出たのだ。

「いや、私だ。お前は、逃げろ」

「なんだと」

「お前が、仮の首領なのだ。お前が逃げなくて、どうする」

「しかし、あんたよりも、俺の方が強い。俺なら、一人でも切り抜けられる」

「万が一ということもある。万が一、どちらかが欠けたとき、どちらが残った方が皆のためになるか、お前なら分かるだろう」

 ネーヴァは、背後から組み付こうとする男の腕を捉え、回し、喉を壊した。

「大丈夫だ。私も、死にはしない。だから、何の問題もない。そうだろう?」

「わかった」

 コーカラルに複数の男が、飛びかかる。それを制しながら、アイラトとマオに、逃げろ、と眼をやった。二人は、逃げた。誰も、名を呼ばない。あとで、名と容貌から、人物を特定されぬためだ。

「死ぬな」

 ネーヴァは言い残し、退路を塞ごうとする者を打ち倒し、駆けた。


 ニルとフィンが初めて出会った日に、通った市場。そこが、合流地点であった。朝の賑わいの中、一人、また一人とウラガーンは人の中から互いを見つけ、合わさっていく。

 しかし、コーカラルは戻らなかった。

「助けに行こうよ、ネーヴァ」

 アイラトがそう言うが、無理である。生きているのか、そうならばどこに連れて行かれたのか、分からないのだ。

 夜、宿にひっそりと戻ってみることにした。コーカラルが捕らえられ、想像を絶する拷問を受けていることは予想できても、知ることは出来ない。その苛立ちに支配されぬよう、ネーヴァは努めて冷静に振る舞った。

「宿の様子を、見に行く。武器が残されているならば、必要だ。それに、金も」

「どうするのさ」

「俺たちには、行くあてがなくなった。そして、俺たちの顔を見た者は、必ず俺たちを追ってくる。いや、雨の軍全部に、俺たちの顔が知れたのだ。隠れなければならない。絶対に見つからず、コーカラルが生きているとするなら、その居所を探せる情報の中に。そして、ダンタールやニルが戻ったとき、そこにいるということを知らせてやれる場所に」

「そんな場所が、あるの」

「ある」

「まずは、武器と金だ」

 この仮の首領に、皆従った。

 夜になり、人気がなくなると、彼らは根城にしていた宿に戻った。誰もいない。死体すらも、無い。無論、コーカラルの姿も。帳場の奥の床下に隠した金を取り出し、さながら龍の巣のような地下の居住空間に降りると、各々の武器はまだそのまま残されていた。それらを、それぞれが身に付けた。

 宿を出る。リベリオンとの仲介を行う連絡役の者が営んでいる酒場に、入った。そこで、非常事態を告げた。

「あんたが、リベリオンと直接連絡を取っているわけではないことは知っている。あんたに連絡をもたらしてくる者を、紹介してくれればいい。グロードゥカから、出たい。非常事態なのだ。あんたが、責められることはない」

 そう言って、金を握らせた。

「ネーヴァ」

 教えてもらった行き先に向かって夜の中を歩いている最中、マオが、言った。

「これから、どうするか、話してくれない?」

「わかった」

 ネーヴァは、自らの頭の中を、仲間に話した。

 リベリオンとの連絡は、複数の仲介者、現代の諜報用語で言うところのカット・アウトを通じて行われ、ウラガーンが知っているのは、最終連絡者のみである。そのカット・アウトらを逆に辿り、グロードゥカを脱し、リベリオン本体へ合流するというのだ。

「リベリオンに合流するって、どうするの」

 リベリオンは、数百の軍に似たものを持っているが、それらは、普段、ほとんどが民に偽装しており、ごく一部は王国の兵であったりと、所在は全く分からない。そのことを、アイラトは言った。

「俺は、リベリオンの構成員を一人だけ、知っているのだ」

 アイラトとマオが、顔を見合わせた。

「プラーミャだ」

 反乱軍の最高指揮者である。そこまで、辿り着くという。

「彼は、グロードゥカには居ない。前に、俺たちの根城を訪ねて来たとき、東の山脈に棲む鹿の皮で作った外套を着ていた。あの鹿の皮は、市場にはあまり流通しない。数が少ないからな。とすれば、彼は、それが手に入れやすい場所にいるということになる。たとえ、今、その所在を変えていたとしても、何か、痕跡があるはずだ」

「しかし、プラーミャのところに行くなんて、いくらなんでも、無茶じゃないかな」

「アイラト。あそこプラーミャが、この国の情報が全て集まる場所なのだ。そこならば、コーカラルが生きている場合、所在も掴みやすいし、ダンタール達からの連絡も入る。俺たちが、そこに居ることを、知らせることもし易い」

「でも」

「では、マオ。それ以外に、何か方法はあるか。俺たちは、これから、どうやって生きていく。この中に、誰か、それを俺に言うことが出来る奴が、いるか」

 史記に、ウラガーンの者、とだけ記され、名の残らなかった者が、ここに十一名いる。それと、マオと、アイラト。そのうちの誰も、口を開く者はない。

「不安は、分かる。しかし、起きた事実を、今から覆すことは出来ない。俺たちは、進むしかないのだ。自分で考え、自分で、進むのだ」

 一同は、黙って頷いた。まだ大通りには人気があるが、彼らは裏通りを好む。もうすぐ、夜の中央の鐘が鳴る。そうなれば、彼らの声も、さらに闇に溶けるものに変わる。

 二つ目の中継点に入り、そこで飯を食い、眠った。眠っていても、彼らは起きている。身体を休め、頭は起きる。そういう修練をずっとしてきたのだ。

 グロードゥカを出て、東の山脈へ。カット・アウトを辿り、プラーミャの所在を絞り込んでゆく。近くなればなるほど、分かるはずだ。

 そして、プラーミャに合流する。その旗下に入り、直属の実行部隊として使われる。ネーヴァは、今のところ、それが最も合理的な道であるように思った。

 目的は、国を壊し、甦らせること。そのために磨いてきた、力なのだ。


 この一連の挿話を見ても分かる通り、ネーヴァは、目的意識がはっきりとした男だ。決して、手段を行使するために、目的が入れ替わったりはしない。いつも、必ず、現実的な根拠に基づき、理性的な判断をする。

 そのネーヴァが、現実的な根拠に基づかない、想像とも言えるような思念を抱いているとするならば、それは、コーカラルは、必ず生きている。という気持ちと、あとは、ダンタールやニルは、恐らく、もう戻らぬのではないか。というものであった。

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