第六章 風を呼ぶ

思考と扉

 迷いなど、あるはずがない。志は、一つなのだ。しかし、このままいけば、パトリアエを覆さずとも、国は治まる。

 はじめ、フィンの亡命を助けたとき、その志を知った。彼女の持つそれは、誰よりも具体的で、現実味を帯び、そしてきらびやかであった。だからこそ、プラーミャはフィンを助けたのだ。リベリオンは、もともとバシュトーの援助を受けて作られたようなものだから、自然、バシュトーと繋がりが深い。王家に顔も利く。バシュトーにとってのリベリオンは、パトリアエの情報をもたらす、貴重な機関だったのだ。

 その繋がりをより強固にするため、プラーミャは、いや、リベリオンはフィンを女王にしようとした。フィンは、自ら当時のバシュトー王を刺した。しかし、彼女の心の中の世界は、プラーミャが思っていたよりもずっと、広く、深いものだった。

 彼女は、プラーミャを使王家を倒し、そのバシュトーの混乱を治めるためという名目で新たな王を立てはしたが、その実国内をパトリアエへの決戦に傾かせた。バシュトーの乱れを大きくし、パトリアエに、そこに付け入る隙を与えた。

 パトリアエのアトマス――即ち彼女の実父――は主戦論者であった。彼は、フィンの目論見通り、自ら政治と軍事の実権を握り、国内を主戦論に統一した。バシュトーが、かつてない程に乱れているのだから、それを、アトマスが見逃すはずはないと確信していた。また、アトマスは、国家こそが父、と王にすら言い放つほどの男である。不正と汚泥にまみれた王家のことを、良くは思っていなかったに違いない。

 フィンの眼は、それをも見通していた。べつに、フィンが予言者であったわけでも、超能力者であったわけでもない。ただ、人の心の動きに、敏感なだけだった。人が、どのようなとき、どのように感じ、何をするのか。それを、彼女は、グロードゥカの大聖堂で暮らす間、あらゆる書物に記された歴史の前例から学んだ。そして、人の間に混じらず、ただ有り難がられ、崇められるだけの存在であったからこそ、自らの眼で見て、感じるという後天的な透過膜を用いず、人を見ることが出来たのである。

 リベリオンを率い、パトリアエをたださんとするプラーミャも、英雄アトマスも、彼女の世界の中で、彼女が思うように動いたのだ。


 そして、あの大戦。双方、大いに傷付き、弱った。パトリアエは、傷を癒やすために、内に向かざるを得なくなった。プラーミャが、フィンは危険だと思い距離を置いたのは、この頃である。パトリアエを弱らせ、内に向かせて身動きを封じ、その間にバシュトーの中を更に乱れさせ、血で血を洗う凄絶な内紛をもたらした。そして、自らの求心力――そうなるよう、何年もかけて人にそういう自分を見せ続けてきた成果とも言える――利用し、部族を呼び集め、一気に内戦を止めさせ、一つにまとめ上げた。あの内戦で死んだ者は、バシュトー人が、部族を越え、一つになるための、犠牲であったのだ。

 そして、クディスの建設。バシュトー人が、フィンを称え、付けた名だと言う。聖女。

 その国の建設の報に触れたとき、プラーミャは、背筋が寒くなった。フィンは、全てを壊すつもりだと確信した。現に、バシュトー人の国はあっても、それは今までのバシュトーではない。新たな国と言うよりは、国を、作り替えたと言った方が良い。では何故、国を作り替えたのか。ばらばらであった部品を、決まった方法で、パトリアエがジャーハディードの砦を破ったという強力な攻城兵器のように組み立て、国というもの自体に石を撃ち込むためであろう。


 フィンは、彼らから、互いに争うことを奪い、そして国を与えることはなかった。しかし、民に、国は必要なものだ。それは、幼子が母を求めるようなものだ。今は、織物を売り、争いもなく暮らしているかもしれぬが、ひとたび、彼らが国を求め出したら、その矛先はパトリアエに向く。一つになったバシュトー人が、弱ったパトリアエになだれ込むのだ。そうすれば、いかにパトリアエ軍が強力であろうとも、一気に覆ってしまうかもしれぬ。


 

 焚き火が、一つぜた。もう、春は近いはずであるが、東の山脈の麓の地は、グロードゥカなどよりも遥かに寒い。その音に、プラーミャは少しだけ眼を開け、また閉じた。

 プラーミャは、フィンに誤算があったと考えている。パトリアエが、あまりにも早く傷を癒し、むしろ今までのパトリアエよりももっと強力で、安定した国家へと変貌を遂げつつあることである。それでは、戦い、奪うことに苦戦し、目的は成らぬ。

 必ず、阻害しに来る。それを、止めなければならぬ。言っておくが、プラーミャは、あくまで、反パトリアエである。しかし、彼の心の根になっている思想は、フィンを許すことが出来ない。

 抜くべきでないときに、要らぬ剣を抜く。それほど、世に不利益なことはないのだ。フィンがしようとしているのは、それではないのか。

 プラーミャは、見定めようとしている。パトリアエが、正しき方向に進むのか否かを。

 このまま、正しき方向に進むならば、それをたすけるべきである。誤った方へと戻るならば、全力をもって潰す。恨みや怒りのため潰すことが、目的であってはならない。あくまで、自己を捨て、国の未来のため、最良と呼べる選択を、しなければならない。

 それが、抜く意味のある剣というものだ。



 その思考を、おとないの声が、破った。声は、若い。プラーミャは、扉の向こうの気配を聞いた。多い。十人以上。しかし、敵意や殺意は無い。この気を、彼は知っていた。

 ダンタールの持つ、それだ。

 扉を、ゆっくりと開ける。一瞬、勢いよく、風が吹き込んだ。

「お前は」

 ダンタールの宿に居た、金髪の若者。

「プラーミャ。あんたを、探していた」

 そう言って、ネーヴァは口の端を持ち上げ、笑った。緊張しているらしい。

「ネーヴァと言ったか。入るがいい」

 ウラガーンは、十四人いた。全て、ダンタールの暮らす小屋の入り口で、短刀一本に至るまで武装を解除してから、屋内に上がった。害意はないことを、形で示したのだ。

「奥の部屋に、火がある。この辺りは、まだ寒い。火に当たるがいい」

「済まない。感謝する」

「よく、ここが分かったな」

「あんたの敷いた網を、辿って来た」

 先程までダンタールが座っていた部屋に、ウラガーンを通した。

「驚いた。あれは、パトリアエの雨の軍でも、辿れぬようになっている」

「俺達は、あんな惰弱ではない」

 確かに、ウラガーンの諜報能力は、異様に高い。草一本からでも、彼らは何かを掴む。そう、プラーミャが仕立てたのだ。正確には、そのような組織を作れるダンタールを、である。

 ダンタールの隊以外にも、ウラガーンは幾つかある。しかし、ダンタールの隊ほど、諜報、戦闘ともに高い能力を持つものは、他にない。

 ニルという黒髪の若者と共に、ダンタールが多くのことを教え、育ててきたことが一目見て分かるネーヴァが、今ここにいることに、プラーミャは驚き、同時に満足した。

「それで、何用だ」

「聞いているだろう。俺達の根城が、奴等に潰された」

「聞いている。お前達以外にも、同じようなウラガーンがいる」

「どうすればいい」

「どうすればいい、だと?お前は、俺にどうしてほしいのだ」

「あんたの下に、置いてくれ」

 ネーヴァは単刀直入に言った。プラーミャの放つ異様に強い気を、真正面から受けながら。

「構わぬ。俺の下に、ダンタールの隊を組み込もう」

「それと」

「何だ」

「仲間が一人、捕らわれたかもしれん。コーカラルという女だ。古くから居る。知っているか」

「ああ」

 コーカラルは、ダンタールと共にまだ各地を転々としているとき、拾った女である。

「彼女が、まだ生きていると分かったら、助けに行く許しが欲しい」

「好きにしろ。しかし、意外だな」

 ダンタールの灰色の眼が、ネーヴァを貫いた。

「お前は、以前会ったとき、もっと、乾いた瞳をしていた。こういう男だとは、思いもしなかった」

「人は、変わる。あんたなら、分かるはずだ」

「そうか。何を、思っている?」

「単に、仲間のためだ。ウラガーンは、仲間を見殺しにはしない。助けられぬなら、せめて、己の手で止めを刺してやるものだ」

 生きたまま、敵に捕らえられるのが、最も困る。ネーヴァがそれを実証した通り、どのような情報がそこから漏れるか分からぬ。そして、死線を共に潜ってきた仲間を見殺しにはしないという、真っ直ぐな心。それ無くしては、ただの殺人者である。彼らは決して、人形ではない。志ある、人なのだ。それが、今、受け継がれ、眼の前に座っているとプラーミャは感じた。

「わかった。お前のことを、俺は認める。好きにしろ。手を貸してほしいときは、言う。家を、手配させよう。なにか、商いも」

「感謝する」



 人の思いは、交差している。単に文献を追っている限り、この時点でネーヴァが考えることと、プラーミャが思うことは交差した。ダンタールも、ニルも、皆それぞれが点として明確に史記の中に存在している。


 しかし、その連続が線となり、自律して動くとき、必ず、その交差点が変わらずその場所にあるとは限らないのである。

 敵とは、絶対的なものではない。時間によって、思考によって、立場によって、変わる。

 何が正しく、何が間違いなのかは、どうでもよい。この史記に名を刻まれた者は、その所属勢力、国籍や人種、性別を問わず、一様に、正しい者である。

 正しい者同士が、仮に、互いに戦うことがあるとすれば、それは悲劇である。もしくは、人の世の摂理。史記には、そのように記されている。



 パトリアエは、今、間違いなく、良い国になろうとしている。それを、たすけるか否か。プラーミャの思考は、続く。彼から見て、ネーヴァの思考は国への恨み、自らの生への怒りに根差しているように思える。

 少しあとのことを匂わせるならば、この日、ネーヴァは、プラーミャの小屋の扉以外に、別の扉をも開いていた。それは、彼自身だけでなく、プラーミャにとっても、ダンタールやニルにとっても、それぞれ別の意味のある扉である。

 交差はしていても、後天的に得た情報や思考により、立場は変わり、立場は人を変える。それでも、求め続けられるもの。それこそが、求めるべきものではないだろうか。

 少なくとも、筆者はそう思っている。

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