獣は、獣

 鹿の仲間の皮は、暖かい。この王国歴三百二十四年の冬は、特に冷えたとされているから、尚更そう感じる。

 息も、白い。髪も、白い。息の白さは寒さのせいであろが、髪の白さは、季節に関わらず、増してゆく。

 刻まれた深い皺。背には、大剣。プラーミャである。反乱軍リベリオンの頂点に立つ男は、誰にも、居所を掴ませない。それでいて、当たり前のような顔をして、街路を歩いているのだ。

 グロードゥカから東。雲をせき止める大山脈を越える道へと続く街道沿いの街に、今は居た。交通の要衝であるにも関わらず、以前はここを治める軍は惰弱で、指揮官も無能で、美味いものを食うことと若い女を抱くことにしか興味を示さぬ五十がらみの見苦しい男であった。何度か、斬ってやろうかとも思ったが、無意味だと思い、やめた。

 ところが、二年ほど前、バシュトーとの大戦が終わってすぐ、その将軍は、首を跳ねられ、軍営に晒された。兵どもは驚き、戸惑っていたが、代わりにやってきた将軍が、たいへん有能な人材で、若く、溌剌としていて、兵に仕事を与え、街道を整備させ、村々を回り、不都合があれば即座に対応した。今では、管区のあちこちの村や街から、顔役の者が話を聞いてもらいに列を作ることもあるくらいだ。

 パトリアエの軍は、生まれ変わりつつある。英雄アトマスが実質、政治、軍事の実権を握ってから、パトリアエは、疑いようもなく、良い国になりつつある。産みの苦しみとして、税が異様に高くなったのが民には辛いところであったが、その分、大商人からは更に多くのものを巻き上げているから、不平は言い出しにくい。

 実に、巧妙なやり方だった。

 紀元のとき、英雄王と呼ばれる最初の王が、十聖将なる側近たちの助けを借りて近隣他国との争いを鎮め、誰にも侵されぬ精霊の国を作る、として出来上がったパトリアエは、三百年かけて、ゆっくりと腐ってきた。今の王家は、当時の崇高な思想も理念もなく、ただ王家が王家として存在するために全精力を傾けるような始末である。

 王のための国ではない。誰かのための国ではない。一人のため、他の全員が犠牲になるような国は、国ではない。そうプラーミャは強く思い定めてきた。しかし、今のパトリアエは、むしろ、良い国である。

 様々な地位や立場の者が集まり、国のこと、民のことを論じ、そのあり方や進むべき道を決めてゆく。なんとなく、プラーミャはそのような国の姿を夢想していた。しかし、もし、選ばれた穢れなき天才が、他のすべての者を率い、正しき姿へ導いてゆけるならば、それが最も早い。その選ばれし天才とは、他の全員のために、自らが犠牲になれる者のことだ。自らの地位や、立場を、そのために使える者のことだ。全体のためならば、自我をも棄てることができる、精霊の国を統べるに相応しい者。

 そのようなこと、人の手ではとても出来ぬと誰もが思っていた。しかし、英雄アトマスはどうか。人の手で成し得ぬことを、している。もし、彼が、選ばれた天才として、この国を正しく導いてゆけるならば、それはそれでいいのだ。しかも、彼には、それを継ぐ者がいる。副官リョートもまた有能すぎるほどに無私で有能で、もう五十を幾つか越えたであろうアトマス亡き後も、この国は安泰であると思わせるに十分だった。

 要らぬときに剣を抜けば、ろくなことにはならぬ。要らぬ血を流し、喜ぶ者はおらぬ。プラーミャは、自らの理念を、忘れることはない。

 いっそ、このままパトリアエに降り、その一部として、この国作りをたすけた方がよいようにも思っている。

 まだ、どうするのか決めてはいないし、そのことについて何も考えてはいない。大事なのは、己ではない。全体の流れなのだ。その行き着く先が、あるいは通過点が、より良いものであるように。そのことである。



 とにかく、今は、眼前の敵である。プラーミャは、白い息を、一つ吐いた。それと共に、言葉を発した。

 闇の中、雨に紛れ、ここまで来た。その力は小さくはない。彼の下には、何百、あるいは千を越えるほどの同志がいるのだ。それほどの男が、供も連れず一人で街路をぶらぶらしているから、このようなつまらぬ敵に捕捉されるのだ。

「道を、空けてくれぬかね」

 と、穏和に言った。行く手を塞ぐ男は、四人。厚い外套を着込み、武器は持っていないように見える。しかし、これは、敵。道を、空けてくれぬかね。たったそれだけのことを言ったプラーミャの放つ気に押され、怯んだ様子を見せたのだ。それは、敵にしか、出来ぬことであった。

「聞こえなかったか。俺は、この先に、行きたいのだ」

「いや、ご老人、済みません」

 若い者に、老人、と呼ばれるようになってしまったのだ。とプラーミャは、内心苦笑した。

「このあたりに、お住まいの方ですか」

 と、若者は聞いてきた。

「いかにも」

「少し、道を尋ねたいのです。よろしければ、ご案内を願えませんか」

「急ぎの用ではない。構わぬよ。どこに、行きたいのだ」

「サンクトロドゥカへ、行きたいのです」

 サンクトロドゥカとは、舌を噛みそうな名だが、この街道に沿って、山を登りながら奥へと進んだところにある小さな村である。

「ほう、それならば、山のもう少し上の方だ。あなた方の後ろへ続く道を、真っ直ぐ。案内をするまでもない」

「そうでしたか。ご親切に、どうも」

「ご老人、あなたも、そちらの方へ行かれると仰いましたね。どうです、途中まで、一緒に」

「構わぬよ」

 若者は、とても親しげで、何の警戒心も抱かせない。

「凄い剣ですね」

 歩きながら、プラーミャの背の剣に興味を示した。

「なに、飾りだ。このところはお上がよく治めて下さるので減ったが、以前は、盗賊なども多かった。大きな剣を背負っていれば、奴らは恐がって襲って来ないのだ。若い頃のが、今になって役に立っているというところかな」

 と笑った。パトリアエの中のごく限られた者を除いて、誰も、リベリオンの長プラーミャの容貌については知らない。四人の男は、プラーミャを、プラーミャと疑ってかかっているのではなく、このが放つ特異な気に、眼をつけて、探るつもりであった。

 街を外れると、街道は森林の中へと続く。まだ標高が低いから、このあたりは木々が多く繁っている。もっと標高が上がれば、木は短い草になり、そして何もない岩肌になる。

 その森林の入り口で、プラーミャは立ち止まった。たまに、東からの商隊が通る程度である。人影はない。

「ご老人。貴方の、行く先とは?」

 若者が、同じように立ち止まり、聞いた。

「俺は、ここまでだ」

 気が、更に強くなっている。四人の男は、外套の中に、手を差し入れようとした。

「やめろ」

 プラーミャは、それを制した。

「抜くな。抜けば、終わりだ」

「貴様、何者だ」

「お前達が、探している男かもしれぬ」

 四人が、プラーミャを囲むように移動した。

「お前達に、聞きたいことがあるのだ」

「なに、それは、こちらの台詞だ」

 それを無視して、続けた。

「国は、治まろうとしている。それなのに、お前達は、何を探る?何故、お前達が、まだ存在するのだ?」

 なにか、別のことを言っているようにも思えるが、プラーミャを囲む男どもには分からない。

「おい、こいつを、捕らえる」

 先ほどからプラーミャと会話をしていた若い男が言うと、他の三人が一斉に動いた。

「話が、出来ぬか」

「貴様と話すことなど、ない。こちらの質問に、後でゆっくり答えてもらう」

「話が出来ぬなら、獣と同じ。人にあらず」

 背の、剣。

 プラーミャの右腕が、みしみしと音を立て、膨れ上がる。

 それを、男どもは見た。

 いや、見ることは出来なかった。

 剣を、振り上げる勢い。

 そして、踏み込み。

 足が、土を打つ。

 その、刹那の前。

 まさしく、竜巻タルナーダ

 前も、横も、後ろも、その一振りで。四人の男は、更にいくつかの塊になって、飛んだ。剣の身を、先程まで生きて会話をしていた男の一部から生える外套の布で拭い、背に戻す。

 そのまま、来た道を引き返す。放っておけば、獣が、死体を片付ける。獣は、獣に食われ、いのちの中に還ればよい。

 もともと、闇の中にいる彼らは、存在しない者である。斬ったところで、それは世の預かり知らぬこと。

 それは、己もまた。

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