壊し、作る

 敵が、誘いにかかった。二人の男を、ネーヴァは、もはや敵と認識していた。慣れた方の年嵩としかさの男が、ゆったりと、部屋までの案内を乞うた。敵は二人。ネーヴァを、軽く見ているらしい。

「足元が暗いので、お気をつけて」

 ネーヴァは、不意に、男らが驚くほどの声量で、注意を促した。男らが、何かの合図ではと思い、身を縮めるのが、背中越しに分かった。何の合図でもない。ただ、ちょっといたずらをしただけだ。ネーヴァは、笑いを堪えるのに必死であった。

 この宿で、やる。ネーヴァと接触してから、外部と連絡は取っていない。それはアイラトが監視して確認している。この二人が消えても、ここで消えたかどうか、確証は持てないのだ。

「こちらです」

 ネーヴァが、廊下の奥の一室の扉を、開いた。その部屋は、宿が満室でも、客に貸さない。いつも、空けてある部屋だ。

「少し狭いですが、他の部屋が塞がっておりますので」

 そう言って、二人を室内に促した。若い方の男が、先に入った。ネーヴァを警戒しているから、早く遠ざかりたいのであろう。年嵩の方が、後に続く。室内に入ると、外套を脱ぐ動作を見せた。その中で、剣の柄に手をかけるのが、分かった。

 脱ぎかけた外套を掴み、捻り上げ、そのまま音もなく旋回し、片手で外套をまとめ上げ、首を絞める。一瞬のことだから、声もない。若い男は、気付かず室内へ進もうとしている。

「おい」

 その背に、ネーヴァは声をかけた。振り返った男の眼に、あり得ぬものが映った。そして、ネーヴァが、年嵩の男の首を更に絞め上げながら、若い男に向かって跳んだ。若い男の右足首に自分の右足を合わせ、着地の勢いと体重をかけながら、空いている片手で、男の左肩を押した。

 男は、自らの体重が崩れる勢いでもって右足首を外し、腱を切って倒れた。

 全てが、一瞬。若い男の足首を破壊しながら、首を絞めている外套に加えている力の向きを、少し変えた。それで、年嵩の男の首は鈍い音を立て、折れた。

 すかさず、若い男が痛みを感じ出して叫び声を上げぬよう馬乗りになり、自らの拳を突っ込んだ。突っ込みながら、膝で両肩の関節を外した。男がいやな呻き声を上げ、ネーヴァの拳に歯が食い込んだ。

 ネーヴァは、眉一つ動かさない。拳をひねり、顎の骨を外し、血にまみれた手を抜くと、酒の器を拭いたりするための、なめした動物の皮で出来た布を素早く押し込み、再び顎を接続した。

 昔から、好きだったのだ。人の、自らの身体が、どう繋がっているのかを知るのが。だから、自らの姿勢を目まぐるしく変化させ、それを完璧に制御したり、相手の身体を素手で壊したり、戻したりする技に長けている。

 誰に教えられたわけでもない。自ら、数々の戦いの度に、敵を、己を実験体として、試し、積み上げてきたものだった。

 これで、男は、足も腕も、口もきかない。叫びを上げているが、

「叫び、その布を飲み込めば、死ぬ」

 と耳元で囁くと、静かになった。つまり、死を恐れている。このような場合は自決するものと相場が決まっているが、男に自決の意思はないらしい。

「見苦しくても、生きろ。俺の言う通りにすれば、お前を生かしてやる」

 と言い、男の身体を抱え、椅子に座らせた。

「いいな。分かったら、頷け」

 男の頭が、激しく上下した。

「いい子だ」

 ネーヴァが、酷薄な笑みを浮かべた。昔、ニルとネーヴァが、ある家に夜、侵入したときのことを思い出してほしい。ニルが見逃してやろうとした少女を、ネーヴァは、何のためらいもなく殺した。あのときの顔を、している。

 ネーヴァも、自覚しているのだ。自らに、そういう衝動があることを。それを、理性でもって、制御しているのだ。ネーヴァのその暗い喜びは、今から、役に立つはずである。

「少し、話そうか」

 とても暖かみのある声で、ネーヴァは男に言った。男は、頷いた。いくら男が場馴れしていないとは言え、ネーヴァが危険過ぎる相手であることくらいは分かる。できるだけ従順になることで、生きようとしているらしい。

「お前は、軍の者か」

 男は、頷いた。ネーヴァは、男の眼や、鼻、口などを、じっと見ている。

「どこの軍だ。アトマスか」

 また、男は頷いた。

「俺たちを探していたのだな」

 こくり。

「よかったな、見つかって」

 どう答えていいのか、男は困ったらしい。少し、首を傾げた。その頬を、ネーヴァは、渾身の力で張った。歯が折れたのだろう。皮布の間から、黒っぽい血が流れてきた。

「頷くことで、答えろ。違うときは、首を横に振れ。いいな」

 刺すように冷たい声で、言った。男は、涙を流しながら、何度も頷いた。

「よし、いい子だ。乱暴をして、済まないな」

 ネーヴァは、また、暖かな声に戻った。こうして、恐怖と安堵を、支配する。それで、男の心は、壊れる。ネーヴァが壊すのは、身体だけではないらしい。

「今日は、ここまでだ。明日、また来る」

 椅子の上に布でもって縛り付け、口には猿ぐつわを噛ませ、男の死体をその外套にくるんで背負い、立ち去った。密談などに使う部屋である。壁は、ふつうの部屋よりも厚い。そして、この隣は、物置になっている。多少の物音なら、客に聴かれることはない。明日まで、放置するのだ。明日の同じ時間に、また、顔を出す。きっと、男は、糞尿を我慢できず、無残なことになっている。それを、笑ってやればいいのだ。


「ネーヴァ」

 コーカラルと、マオだった。心配そうに、ネーヴァを見ている。

「マオ。アイラトと二人で、夜を見回る兵の目を潜って、これを、河に捨てて来い」

 と言って、背負った物体を、無造作に渡した。それはとても重いから、マオと、アイラトの二人で運ぶのだ。店の裏手から出て、少し行けば、グロードゥカの城壁を貫いて流れる、アーニマ河である。精霊の名を冠した聖なる河に、その信奉者を返してやるのだ。

「コーカラル。奴らは、二人だ。一人は、。もう一人は、あの部屋に、入れてある。何日かかけて、色々、探るつもりだ」

「そうか」

 コーカラルは、ダンタールを助ける冷静な判断力と、高い身体能力を持っているが、このようなことになれば、ネーヴァに任せるしかないのだ。

「頼む」

 と言う顔は、複雑なものだった。

「お前ばかり、済まん」

 とも言った。

「気にするな、コーカラル。俺にしか出来ぬことをするのに、出来ぬあんたが、気を使うことはない」

 ネーヴァは、ぶっきらぼうに言った。

「明日、また、何か分かれば、言う。が済むまで、夜の仕事は、外してくれ」

「わかった。何か必要なものがあれば、言ってくれ」

「いや、いい」

 ネーヴァは、地下の部屋へ戻る方へ、足を向けた。

「俺が、何を使って、何をするのか、誰も、知らぬ方がいい」



 そして、翌日。その部屋の扉を開けると、男は、糞尿まみれで、助けを乞うように、ネーヴァを見てきた。

「ああ、そんな姿になって。みっともないな」

 ネーヴァは、男を心底憐れんでやった。

「悲しいな。お前が、このような道を選んだからだ。悲しいか」

 男は、頷いた。

「水が、飲みたいだろう」

 男が、また頷いた。

「よし、くれてやる」

 ネーヴァが、部屋に入るとき、いくつかの道具を持っているのを、男は見ていた。その中に、水差しがあった。それを、ネーヴァは、猿ぐつわと布の隙間から差し込み、流し込んでやった。男の喉が鳴り、飲み込んだ。この男は、生きている。そしてそれは、ネーヴァの手の中にあるのだ。

「飲んだな。いい子だ」

 ネーヴァの声は、か弱きものを、慈しむようだった。そして、道具の中から、布を取り出した。中に、拳ほどの石が入っている。それを、ゆっくりと、揺らす。男が、怯えた呻きを上げた。

 石を、男の膝に、弱く打ち付けた。それだけで、男の全身に、稲妻が走ったようだった。

「やめてくれ」

 男の呻きが、そう哀願していた。ネーヴァが、石をくるんだ布を、ゆっくりと振る度に、男は呻きを上げた。

 一度、強く、内腿を打った。

「俺が聞きたいとこは、いくつかある」

 男が、布の奥でくぐもった叫びを上げている。

 もう一度。今度は、別の足。

 叫び。

 誰にも、聴こえない。

 ただ一人、ネーヴァだけが、それを聴いている。

「心配するな」

 ネーヴァは、男の耳に、口を近づけ、言った。

「俺は、はじめてなんだ。こんなこと。お前も、そうだろう?」

 男は、ただ恐怖の叫びを上げている。もう、ネーヴァが知りたいということを、知る限り、全て話したくなっている。しかし、ネーヴァは、話させない。めて、矯めて、らすのだ。それが一気に放たれたとき、この男の頭の中が、そのまま覗ける。そう考えた。

 石を、股間にぶつける。そう強い力ではない。しかし、男は、布の向こうで、渾身の絶叫をした。何度も、ぶつけた。ただ、決まった間隔で、少しずつ、股間に当てるのだ。糞尿の匂いが立ち込める部屋の中、男の曇った呻きは、続いた。

 男が、絶えるように、鼻血を流した。

「よし、いい子だ」

 ネーヴァは、持ち込んだの中から、布の包みを取り出した。中に、新しい服が入っている。男の身体を蹴り、床に転がすと、尻や、股を丁寧に拭ってやり、新しい服に着替えさせた。

「また、明日」

 また、明日の夜まで、男は恐怖の中、一人きりで過ごすのだ。飢えと、乾きに苛まれながら。


 それを、何日か続けた。男は痩せ、顔から生気は失われ、石をぶつけても、身を縮ませるだけで声は出さない。ネーヴァは、つまらなくなった。この日、ネーヴァが部屋に入ると、男の眼に、明らかな安堵が浮かんだ。

 男は、ネーヴァの来訪を、待つようになっていた。毎日、少しずつ身体を責められ、少しずつ心を壊されているのだ。ネーヴァが壊した足首は、紫色に腫れ上がり、足の甲まで別のもののように膨れているが、その痛みも感じていないようだった。

 窓には、木枠が嵌め込まれたまま。ネーヴァが入る時にだけ、その窓は開けられ、風が入る。明かりも、付けてもらえる。水を与えられ、身体も、丁寧に拭ってもらえるのだ。石を身体にぶつけられるのは、何だろう。きっと、信愛のしるし。

 そう男が思っていると、ネーヴァは感じた。男に、優しい微笑みを、投げ掛けてやる。

「今日は、また、話そう」

 男は、呆けたような視線を、天井に送っている。ネーヴァは、猿ぐつわを取ってやり、布を口から取り出した。

 男の胸が上下し、激しく空気を吸い込んでいる。

 これが、生命か。ネーヴァは、眉を潜めた。この男は、闇の軍として生きることをしながら、敵に捉えられ、話してはならぬことをあっさり口にした。アトマスの軍、と男は言った、いや正確には頷いたのだ。

 これから、もっと話してはならぬことを、この生命は話す。生きようとすることが、軍どうこうという後付けの規範意識を越えるのだ。

「どうだ。話せるか」

 ネーヴァは、外れたままの男の肩に手をかけた。男は、声も立てず、身を一度、震わせた。

「お前がいる軍のことだ。話せるか」

「ああ」

 男は、異臭を放つ口から、掠れた声を出した。その口を塞ぎ、また石で男の足を打った。

 今度は、強く。

 足が、砕けた。

 男が、ネーヴァの手の中で、叫び声を上げている。

「話すな。まだだ」

 ネーヴァは、執拗に、男を責めた。

「話させてくれ」

 男が、哀願した。眼に、狂気の光がある。もう、心は完全に壊れているらしい。

「まだだ」

 その心の破片まで、ネーヴァは、踏み潰すつもりであった。今日、この男という存在は、この世から、消えるのだ。心の中を、粉々にされて。



 明け方、ネーヴァが、その部屋から出て、地下の部屋に戻るのを、コーカラルは物音によって気付いた。

 そっと、地下へと向かう。

「ネーヴァ」

 声をかけたが、返事はない。自分の寝台の上で、頭を抱えている。

「大丈夫か」

 肩に、手をかけてやった。

「ああ、済まない」

 ネーヴァは、姿勢を戻した。

「上で、話さないか」

 コーカラルは、自室にネーヴァを入れた。

「大丈夫か」

 ネーヴァは、憔悴しきっていた。無理もない。人間一人の心を、壊したのである。身体を壊すよりも、ずっと大変なことである。男に一度石をぶつける度に、ネーヴァの心にも、小さな亀裂が走るのだ。この数日、それを自ら繋ぎ止めながら、男を責めることを続けてきた。

「全て、吐いた。あの男が知るところは、全て。大したことは、吐いていない。大したことを、教えられていなかったのだ。しかし、それでも、俺たちが闇の軍を警戒したり、その全容を暴くときに、いくらかは役に立つと思う」

「よくやってくれた。お前がいてくれて、よかった。お前のしたことは、私たちを、救うだろう」

 コーカラルは、おそらく、ネーヴァが最も必要としているであろう言葉を、かけてやった。ネーヴァは、少し笑っただけだった。

「ネーヴァ」

 ネーヴァのしなやかな身体を、自らのそれに抱き寄せた。このウラガーンのために健気な若い男に抱かれてやることで、その心を少しでも救えるなら、いや、救えなくとも、その痛みを和らげられるなら、と思った。

「コーカラル」

 ネーヴァは、ゆっくりと力を込め、コーカラルの身体を離した。

「やめろ。俺には必要ない」

 悲しそうに、笑った。コーカラルも、仕方なく、同じような顔をした。

「男の部屋を、見てもいいか」

「見ない方がいい」

「いや、見る。せめて、お前が何をしたのか、見ておきたい」

「わかった」

 二階の奥の部屋に、二人で入った。男は、まだ生きていた。猿ぐつわもせず、床に転がり、口からよだれを垂らして、笑っている。もう、酒場で緊張していたときのこの男は、消滅した。

「殺してやれ」

 ネーヴァは、黙って男を見ていた。このは、自分が作ったのだ。なんとなく、そう思った。

「殺してやれ、ネーヴァ」

 少し、危うさを感じたのか、コーカラルがもう一度言った。ネーヴァは、今気付いたようにコーカラルの方を見、そして男に歩み寄った。

 慈しむようにして、ゆっくりと男の両の頬に手をかける。それを、一気に捻る。

 男は、死んだ。

 壊して、作った。ネーヴァは、この数日のことを、そう考えることにした。全て、そうではないか。新しいものが生まれるとき、古いものは、往々にして壊される。

 ウラガーンも、自分自身も、この国を、壊すためにあるのだ。だから、何の矛盾も不思議もない。



 それから数日して、アーニマ河から、死体が二つ見つかった。少し騒ぎになったが、すぐに止んだ。闇の軍の者が、騒ぎをもみ消したのだろう。

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