再会
それから、七日ほどの後。ダンタールを筆頭とした四人のウラガーンは、クディスに入った。その前に、リベリオンから、細かに連絡の付け方にいて指示があった。驚くべきことに、彼らの情報網は、かつて、この地がバシュトーであった頃から、ここに敷かれていた。考えてみれば、プラーミャが王に近づけるほどの関わりを持っていたわけであるから、当然と言えば当然であるが。
その網が、クディスになっても生きているらしい。パトリアエ南部の方も、大分空気は乾燥するが、丘陵地帯を越えると、更にそれは強くなる。しばらくは、草も短いものしか生えぬ。かつてフィンを送り届けてきたときは、国境を越えることはなかったから、今、彼らははじめてこの土を踏んでいることになる。
砂塵に目を細めながら、フードを目深に被り、その土の上を歩いてゆく。その音までもが、彼らには聞き慣れぬものであった。
フィンも、この土を踏んでいるのだ。そう思うと、ニルは嬉しくなった。同じ音でも、彼だけが、前途に不安を感じながら歩いている他の三人とは、異なる音律で聴こえているらしい。
四人が話さぬのは、険悪な空気であるからではない。口を開けば、この風の強い日に付き物の土埃の味を味わうことになるからだ。
ジャハディードの砦は、廃墟と化していた。修復はされていない。パトリアエ軍侵攻の際に遺棄されたと思われる攻城兵器らしきものも、砂を被っていた。バシュトー末期の頃は、あらゆる部族が部族単位で争っていたから仕方ないにしても、この戦略的要地を守らぬとは、クディス国は、どういうつもりなのであろう。領土に執着がないのか。あるいは、出来上がったばかりで、その余裕がないのか。クディス建国の知らせが、リベリオンからもたらされた時点で、既に、建国からひと月ほど経っている。そして、彼らが、今この地を歩いているのが、その七日後。
おそらく、初夏。年中乾燥しており、暑いか寒いかの違いしかないクディスに、そのような概念は無いが。
ジャハディードを抜けたとき、砂塵が、止んだ。
「凄いところだな。バシュトーとは」
「違う、兄者。クディスだ」
「そうだった」
双子が、久しぶりに息をしたと言わんばかりに、口を開いた。
「ニル、どうした」
兄のリュークが言った。双子は、容貌はよく似ているが、栗色の髪を長く伸ばしているのが兄のリューク、短く刈っているのが弟のストリェラである。ともに、眼は、珍しい緑色をしている。その四つの眼のうちの二つと、ニルは自らの濃い色の眼を合わせた。
「なにも。ここが、そうなんだ、と思って」
いつものように、
「なにか、感じたか、ニル」
ダンタールが、夜に出す声で、ニルに問いかけた。
「馬?」
ニルも、同じ声で答えた。そのとき、他の三人も、乾いた土を踏む馬の蹄を聴いた。
枯れているのか生きているのか分からぬような草ばかりで、身を隠せるものがない。馬の蹄の音の位置から、背後に見えているジャハディードの砦の壊れた門まで駆け戻る時間はもう無いことが分かる。
近づいてくる。速い。四騎。迎え撃つしかない。最初の一撃は、おそらく、ダンタール。大振りな一撃で、敵を葬る。その隙を別の者が突いて来ぬよう、剣を持つニルとストリェラが援護し、二本の短い斧を持つリュークが、更に敵を攪乱する。夜に出す声無くとも、その連携は、取れる。
ダンタールが、三人を見て、頷いた。柄を握る右腕が、少し膨れる。四人は、無論、向こうから既に捕捉されている。
もう、目鼻が分かるほどの、距離。ダンタールが、伏せた態勢から、跳ね起きた。
風。
いや、剣。
それが、騎馬の一人を打ち砕く寸前で、止まった。
騎馬の者が、何かをさかんに言っている。バシュトー語であるから、何を言っているのか分からないが、何かを訴えかけていることを、ダンタールは察した。
そのまま、静止する。
「言葉を、分かることが、出来るか」
たどたどしいパトリアエ語を、その者は話した。ダンタールは、姿勢を微塵も変えず、少し眉を
「俺の、言葉を、分かることが、出来るか」
重ねて言う騎馬の男に、ダンタールは頷いてやった。
「剣を、やめてくれ」
おかしな言葉だが、ダンタールは、剣を引いてやった。
「お前は、パトリアエか」
「そうだ」
はじめて、口を開いた。
「なぜ、ここに、いる」
「ここに新しく出来たというクディス国に、加えてもらおうと思った」
「クディスとは、俺たちだ」
「フィンを、知っているか」
「フィンは、
「俺たちは、フィンの、ちょっとした知り合いなのだ」
「ならば、サラマンダルへ」
四人は、武器を納めた。戦意はないらしい。このたどたどしいパトリアエ語は、どうやって覚えたのか。
おそらく、フィンか。
通してくれるかと思ったら、それだけでなく、道案内をすると言う。日照の多い土地だけあって、騎馬の四人が頭に巻いている布や、肩までしかない袖から覗く肌の色は、やや褐色に近い。布を口にまで巻いているのは、やはり砂を口に入れぬためか。
「俺たちは、俺たちの国を、作った」
道々、男は語った。声の調子からして、どうやら、若いらしい。
「フィンは、俺たちの国を、作ることを言った」
「お前たちの、国?」
「そうだ。ここに、王はいない。俺たちが、国なのだ」
「ジャハディードは、放ったままか?パトリアエが攻めてきたら、どうする?」
「戦わない」
「戦わない?」
「俺たちは、場所に、国を建ててはいない」
「どういうことだ。領土に、関心が無いのか」
「領土?」
その言葉が、男は分からぬようであった。
「土地。場所のことだ」
リュークが、分かるように言い直してやると、男は馬の上からリュークを見て、微笑んだ。
「ありがとう」
バシュトー人というのは、元来、血の気が多いものだが、その分、思ったことを簡単に口にする。だから、むっつりとしがちなパトリアエ人とは違い、これくらいの気遣いでも、微笑み、喜びを表現する。ウラガーンの四人は、バシュトー人とはもっと野蛮で、好戦的で、血を見ることでしか物事を解決することが出来ぬ連中とばかり思っていた。しかし、今彼らの目の前にいる若者は、なんとも優しそうな瞳をしているではないか。
バシュトー人が敵であることについて、今まで疑うことはなかった。それを疑う余地すらないほどに、バシュトーはもう随分長い間、パトリアエ人の敵であったのだ。だが、敵とは、はじめから絶対的なものとして存在するわけではない。政治が、環境が、時代が、それを作るのだ。
今、彼らを導く四人のバシュトー人、いや、クディスの民が、ウラガーンの四人に笑いかけた。ウラガーンも、それで、ぎこちなく、笑い返した。これで、彼らが争う理由は、この地上から消滅したのだ。
それもまた、この後の時代の動きや流れで、どうなるかは分からぬが。
これが、フィンの国。ニルは、そう思った。彼ら曰く、ここに王はいないという。とすれば、フィンは、一体、何なのか。クディスを建国し、女王になったのではないのか。
考えても分からぬ。だから、それはフィンに聞こう。単にそう思い、ニルは思考を帰結させた。
そこへ一人が、動物の革で出来た袋を、差し出してきた。中には水が入っているらしい。
「ありがとう」
ニルは、彼らに礼を言い、水入れを受け取った。それを、疑いもせず口につけ、喉を鳴らして飲んだことで、クディスの民もまた、安堵したらしい。それから、しきりに話しかけてくるようになった。
夜になると、昼のことが考えられぬほど、冷える。その代わり、空の全てに、敷き詰めたように星が出る。それが、足元の短い草や乾いた土を照らし、むしろ昼間よりそれらが生きているように感じられた。昼は、歩く。夜は、座り、休み、語る。そういう具合にサラマンダルへ向かって進んだ。
話して分かったのは、彼らもまた、クディスという国のことを、よく分かっていないらしいということだ。四人の中の、パトリアエ語を話す者が、
彼らが、フィンを呼び、フィンは、その声に答えたに過ぎない、と。そうフィンが言ったと。
「パトリアエが攻めて来れば、戦わぬと言ったな」
ダンタールが、言った。
「戦わぬ」
「では、されるがままということか」
「分からない」
「分からない、だと?」
「俺たちは、今まで、毎日、戦いをしていた。しかし、それは、なんのためか、分からない」
「戦うことに意味はない、と言いたいのか」
「意味のある戦いなら、する」
「それは、たとえば」
「たとえば、俺たちが、ほんとうに戦わなくても済むようになるため」
どうやら、バシュトーという虎は、クディスという名を与えられて、猫にされたわけではないらしい。
彼らが戦いを本当は好んでいないということは分かったが、しかし、あえて新しい言葉を使うならば、彼らのこの「自由」を守るためならば、戦いをためらったり、恐れたりはしないのだろう。
自由、とは、英語のfreedomの訳語として開発された語で、
要するに、内戦をやめた、ということに留まり、彼らは決して非暴力不服従のような姿勢を貫こうとしているわけではないということだ。自由を求めるなら、やはり力は必要だ。必ず、それを奪おうとする者が現れるからだ。
げんに、彼らとはじめに会ったとき、彼らは武器を抜いていた。ウラガーンの四人が、もしフィンの名を出さなければ、今ごろは誰かが血にまみれ、死んでいたかもしれない。
だが、バシュトーの頃とは違うのは、彼らは、ウラガーンに、武器を納めることを求め、まずウラガーンが、自分達の自由を侵そうとする者か否か、見定めようとした。
一に戦い、二に戦いのバシュトーの頃とは、それは大きな違いである。
土地にこだわらぬ彼らが守ろうとしたもの。それは、己が己であると思える、その心のありようであったのかもしれない。
そんなことを、なんとなく考えるでもなく思い浮かべるまま、導かれるままにジャーハーン河に沿って西行し、四日後、フィンの居るというサラマンダルに入った。そこで、騎馬の四人は、引き返していった。笑っていた。
「これが、サラマンダル」
土を捏ね、乾かしただけのものを積み上げ、壁にしている家が多い。恐らく、燃料資源に乏しいため、煉瓦を作るほどの火力は簡単には得られぬのであろう。木の板張りの壁も、ない。全てが、土と石であった。その乾いた乳白色の景色が、陽光を浴び、膨れ上がるようにして光を放っている。
街の背には、貴重な水資源であるジャーハーン河。バシュトーであった地のあちこちに、水が沸いていて、そこに栄える街などはあるが、このジャーハーン河の水の量――それでも、パトリアエ人から見れば大した河ではないが――と豊かさはそれらの比ではなく、まさにそれを背にすることが、武をもってして頂点に君臨た部族の長であることを示すに相応しいものであった。
街路は、パトリアエのように整備はされていない。ただの、土の道。これより南の国では、もっと乾燥がひどく、水のあるところ以外では草も生えぬという。砂はもっと細かく、たとえばパトリアエの料理にしばしば使う、小麦を挽いて作った粉のようであるらしい。
そこまでではないにしても、この乾燥はどうであろう。口の中までが、土っぽい。
しかし、たまに、僅かに水気を含んだ風がやって来る。それが、ソーリの風。ウラガーンの四人も、彼らが風を尊いものとして考えていることは知っていたが、単にソーリ海の空気を含むだけのそれを大層に有り難がる心持ちは、こうしてここに立たないと分からないことであった。
その風は、強くなったり弱くなったりしながら、ウラガーンの四人の外套を弄んでいる。それがひときわ強くなったとき、四人は、開けた広場のようなところに出た。
中央に、祭壇のようなもの。旗が、立っている。龍が、この風に乗って、飛翔していた。
その下で、人影が、四人と同じようにして風に外套を揺らしていた。薄い色の、髪も。それが、祭壇を降り、歩いてくる。
四人は、その姿を、見定めようとした。
その前に、ニルが駆け出した。
祭壇の人影も、駆け出した。
ニルの耳を、ソーリの風の音が、唸りを上げて通りすぎてゆく。
近くなる。
もう、何も考えられない。
二人が重なった。
互いの背に手を回し、強く、力を込めた。
「ニル」
その声は、七年前と、なんら変わりはなかった。透明で、ふしぎな音律を持つ、声。
「フィン」
ニルも、かつての頃よりも、より逞しくなった身体から、声を発した。
「ああ、ニル、やっと、来てくれた」
「フィン、ほんとうに、君なんだね」
寄せ合った身体から、互いの胸に、それぞれの鼓動が伝わった。
今、風のように駆けたから。あるいは、心そのものが、昂っているから。どちらにしろ、二人の鼓動は、七年の間、己が何度脈を打ったかを伝えることで、その歳月を埋めようとするかのように、強かった。
それは、混ざり、そして、一つになった。どちらがどちらのものか、分からない。
風に吹かれ、靡く旗。その下で、ただ抱き合う二人。ダンタールと、リューク、ストリェラは勿論、道行くクディスの人も、それを、息を飲むようにして見ていた。
風。また一つ、強く吹いた。
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