第三章 戦乱

王国歴三百二十二年

 王国歴三百二十二年の最初の月、参詣の列の中で非戦論者の大物が四人死に、国内は多いに騒いだ。ウラガーンの仕業であると人々は囁いたが、証が無いから、王家も手出しは出来ない。彼らは、ウラガーンがどこにいるのかも、捕捉できていないのだ。

 しかし、そのすぐ後、そのことなど皆忘れてしまうほどに大変な事態が起きた。

 パトリアエ王が、死んだ。



 何故死んだのか、分からぬ。病であると公にはされた。しかし、暗殺に違いないということは、あらゆる史家の間で定説とされていることである。

 確定的な証拠はないが、バシュトーとの関係が不穏なときに、王を不在にすることは出来ぬため、心身鍛練のため軍に入れられ、ままごとのような調練をさせてられていた王の十二才の長子が、急遽王座に就いた。その補佐役が、英雄アトマス。そのことから、察するほかない。

 英雄アトマスは、国家のためとして、主戦論を強硬に説いているのは周知の事実である。また、アトマスは、救国の英雄として国民の間でも大変な人気であるから、これで、パトリアエの国論は、一気にバシュトーとの決戦に傾くであろう。中央軍、地方軍、動かせる者全てを動員し、バシュトーに攻め込み、王都サラマンダルを一挙に覆すつもりなのかもしれない。


 それらのことは、あとになって史記を紐解いて分かること。現在進行形でその変事を体験している者にとっては、どうなるのか、分かるはずもないし、そもそもニルらには英雄アトマスの心中がどのようなものであるかということなど、さして関わりがない。

 彼らにとっての関心事は、あのプラーミャからの直々の伝言である。

 そのつもりで。と言われても、ウラガーンは、戦か、あるいはその支援をしなければならないのか分からない。一体、何があるというのか。そのことであった。

「旗は、立ったか」

 ニルは、ウラガーンの面々の話題が王家のことで持ちきりの中、そのことを気にした。

「旗?」

 あの日の、フィンの囁きを、聞いた者は他にはいない。フィンは、ニルにだけ、そのことを言ったのだ。何故、ニルにだけ。そもそも、ウラガーン史記というのは、編年体で書かれているから、順を追わねば意味が分からぬし、全くもってじれったいのだ。出来事はかなり細かに記されているが、それがために、何故、という疑問ばかりが生じ、最後にならねば、それが解決せぬから、これを読み説くには、なかなかの体力と気力の充溢を要する。どうか、読者諸氏も、辛抱して頂きたい。決して、筆者の悪意で、何故、ばかりを散りばめているわけではないのだ。



 とにかく、ニルは待っている。四年以上も前にフィンの言ったことを、どうして疑わずに待ち続けられるのか。どうして、フィンの残した言葉と矛盾するような政情の変化を伝え聞いても、疑うことなく信じ続けられるのか。

 四年もあれば、人は、変わる。立場が変われば考えも変わり、そこから得た新たな価値観は、行動を変化させるものであるという当たり前のことを、ニルは知らぬのであろうか。

 思うに、ニルというのは、人としてとても大事なある部分が、欠落しているようなところがあるのではないか。それは、生まれ持ったものなのか、育った環境によるものなのか、殺しという人のわざとは思えぬ業を磨き、行い続けているからなのかは、分からぬ。しかし、ニルとは、単に、そういう男だったのではないかと筆者は思う。彼の内面は、空っぽ。深い闇を抱えているわけでもなければ、幸福に満たされて生を喜ぶでもない。正でも負でもない点こそが、ニル・アンファングという存在であると、筆者は考える。

 まず、戦いというものを、特別視しない。ダンタール、プラーミャ、英雄アトマス、フィンですら、人と人が争い、血を流すということに何かしらの感情や覚悟、注意をもって捉えている。しかし、ニルにとっては、どうもそうではないように思えぬか。

 お前の死ぬ理由わけは、お前が知っている。

 そう言い放つのは、殺しの重味から自らを救うため、と解説したように思うが、そうではないのでは、と今さら思えてきた。

 ニルにとっての死は、正でも負でもない。そのどちらでもない一地点にあるものこそ、死であり、個であり、自であり、他であった。一見して無責任とも取れる言葉こそが、彼の存在が器そのものであることを示すような印象を持たせる。

 器は、それ自体には、なんの性質もない。水や酒が注がれ、はじめて機能する。もし、器に自我があるならば、己を己たらんとしてくれる水を待つのは、自然なことであろう。そう考えたとき、ニルの不可解な忍耐も、納得がいくというものである。

 旗を見ていて。龍の旗を。そこで、貴方を待っているわ。その言葉は、ニルの中で、雨に濡れた花の香りのように、なにか活性を帯びた不思議な熱量をもって、脈打っている。



 国民、官吏を問わず、国家の政治の変化は、個人の立場や行動を変化させる。ウラガーンのあり方も、変わってくるのかもしれない。プラーミャが、事前に、そのことを告げにダンタールに会いに来て、戦いが始まる、という旨のことをまた告げ、そして王が死んだということは、プラーミャは、前もってこの変事が起こることを知っていたことになる。英雄アトマスが王を殺したのだとすれば、プラーミャは、そしてリベリオンは、英雄アトマスと繋がりがあるということになる。


 王国歴三百二十二年、パトリアエ王の死に触れ、バシュトーの国内も、反パトリアエへと一気に加速してゆく。前年に王位に就いた若き王は、従わぬ部族を、従う部族に攻めさせ、屈服させることに成功した。それがために、国内は、乱れている。しかし、パトリアエの大きな乱れを放っておく手はないとして、侵攻を決定した。両国が、お互いに侵攻するという、異例の事態。そうなれば、先手必勝である。

 フィンは、また、史書に記されぬ手立てを使って、王の軍師のような地位に就いていた。というより、バシュトー王は、フィンの操り人形であった。彼女は、パトリアエを滅ぼすつもりであると言った。しかし、それをするには、バシュトーの国内は、乱れすぎている。同じく乱れたとは言え、英雄アトマスの旗の下、強力な重装歩兵軍を持つパトリアエを打ち破るには、余りにも心もとない。

 だが、彼女は、やる。まず、フィンは王に、それぞれの部族から兵を出させた。王都サラマンダルに集結した兵は、七千。そして、時を同じくして、パトリアエの首都グロードゥカから発した侵攻軍は、二万。どう考えてもパトリアエが有利であるが、バシュトーにはパトリアエには無い、騎馬隊がある。その機動性をもってすれば、三倍近い敵でも、打ち破ることが出来るかもしれぬ。パトリアエ軍は、首都グロードゥカを発し、国境地帯のバシュトー側の要所、ジャハディードへ。軍費や兵糧などは、そこまでの分しか持っていない。勝ち、奪い、進む姿勢である。

 互いに、互いを探りながら、軍を進める。


 二月、戦乱の歳月と呼ばれる期間の、最初の戦いが、始まった。

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