ジャハディード突破
このジャハディードという地は、何度戦いの場になったことであろう。パトリアエ南部の乾いた草原をゆくと、バシュトーの間にまたがる丘陵地帯に行き当たる。その丘陵地帯が終わるとまた広大な草原が広がるが、国境としている丘陵地帯が兵の進行の妨げとなるのは無論のことである。それは双方にとって同じで、兵を伏せておくのにもうってつけの場所である。
その丘陵地帯に、
英雄アトマスは、まずその地へ。鈍い色に輝く重装歩兵団が隊列をなし、整然と進んでくるのを、バシュトー側は迎え撃つ。パトリアエ側から見ると、砦から、東西に、わらわらと蝿のようなものが広がってゆくように見えた。
「馬鹿め。砦を守るはずが、打って出おった」
アトマスが、副官のリョートに向かって言った。
「騎馬隊ですね。およそ、三百。どうします」
「決まっている。このまま、突き進む」
「あれを、使いますか」
「いいや、敵の数が少ない。まだだ。ヴァラシュカのみだ」
戦斧ヴァラシュカ。本来は、長い柄の先に、分厚い刃がついているだけであるが、パトリアエのものは、古くからの経験上、騎馬隊の突撃に備えるべく、斧とは別に、柄の先に槍のような突起も付いている。それを、構えさせる。前列三段の者が、膝をついて屈み込む姿勢を取った。左手の盾を地につけ、右手のヴァラシュカを突き出すと、文字通り鉄の壁となる。
パトリアエにも馬はいるが、騎馬での戦いが発達しなかったのは、機動戦をする必要が今までなかったことと、バシュトー軍の騎馬の突進を受け止められる、この重装歩兵団を造ることの出来る冶金技術と、そのための鉱物資源がふんだんに眠る山脈を国土に持っていることに由来する。ほとんどの金属は、発掘から製錬、鍛造、販売まで王家が管理している。中でも、鉄。これは軍需品として欠かせぬものであるから、厳しく取り締まられていた。鉄の盗掘、密売など、すべて死罪である。冤罪でよく調べられぬまま、殺される者も多くいた。それは余談だが、そのような背景をもって作り上げられた重装歩兵部隊は、機動性を持たぬ代わりに、鉄壁の守りを誇る。
しかし、二騎だけ、騎馬で戦う者がある。英雄アトマスと、その従者で副官のリョート。
重装歩兵部隊の壁により、バシュトーの騎馬はぶつかる度に数を減らしてゆく。頃合いを見て、その壁が、ざっと音を立てて、空く。その隙間から、騎馬が二騎。古いバシュトー兵なら、その光景に恐怖が蘇り、腰を抜かしたであろう。しかし、この最前線に出てきているのは、若い兵ばかりであったから、二騎だけ出てきた騎馬を、指差して笑った。鈍色の歩兵とは全く異なる、白銀に輝く鎧。手には、ひときわ大きなヴァラシュカ。馬上での戦いに合わせたそれは、柄は長く、刃も大きい。
その異様な出で立ちの者の背後に、盾と斧の旗。パトリアエ王家直属の中央正規軍、
「あれが、アトマスだ」
と、バシュトー兵が騒ぎ出す。
驚くべきことが起きた。アトマスが、馬腹を強く蹴ったのである。わずか、二騎。自殺しようとしているのでなければ、あり得ぬことである。
バシュトーの騎馬は減ったとはいえ、まだ二百数十は残っている。そこに、二騎で。一瞬、バシュトーの兵は、何が起きたのか、分からなかった。
疾駆。
その馬は、騎馬を得意としているバシュトーのどの馬よりも、速かった。バシュトーの兵は、馬の機動性のために、軽装であることが多い。あの重武装の者を載せ、これほど速く駆けられる馬が、いるものか。しかし、いた。目の前に。迫ってくる。バシュトー兵は、それを、口を開けて見ていた。
右側に、ヴァラシュカがぬっと伸びた。次の瞬間、バシュトーの騎馬は、飛び散った。大振りなヴァラシュカが馬の首ごと兵を叩き上げ、人が宙に飛んだ。そのまま、敵中に突き行ってゆく。たった二騎の騎馬に、バシュトーの騎馬隊が、崩された。
アトマスは、久々の戦いに、陶酔している。まず、はじめの一撃。ほぼそれで、全てが決まるのだ。馬とは、賢い生き物である。馬を恐れさせれば、それが全体へと伝染してゆき、騎馬隊は機能しなくなることを過去の経験により知っていた。バシュトーの馬は、アトマスとその巨大な白馬を恐れ、避けようとしたり、棹立ちになったりしている。隣には、己の全てを注ぎ、育てているリョート。彼にとっての、はじめての実戦である。自分の戦いぶりを見せることで、リョートの中に眠っているものが、更に呼び起こされると思った。
多分、この世で、自分より強いものなど、ないのだ。それを、リョートに示してやりたい。そうすれば、リョートは、きっと自分より強くなる。お互い、もういい年で、リョートも三十を越えているはずだが、育つのは子供だけとは限らぬ。
そして、アトマス自身もまた、更なる成長を、求めている。
それらの思いを、ヴァラシュカの一撃に、込める。
一振りする度に、馬が、敵が、飛んだ。斬るのではない。叩き割るのだ。
鬱屈を。民の、不平を。そして何もかも壊した、まっさらな大地に、あるべきパトリアエが、建つのだ。そのための礎に、バシュトーはなるのだ。この戦いに勝ち、凱旋した暁には、パトリアエは何の憂いもない、民が内も外も恐れずに生きてゆける国になる。そう宣言するつもりであった。
誰も、英雄アトマスを止めることは出来ない。その武を。その信念を。
止めるなら、止めよ。打ち砕くのみ。そう思っていた。恐れ、逃げる馬を、敵を、粉砕するだけの一個の存在に、彼はなった。
その陶酔が溶けたのは、敵の騎馬隊を突き破ったときであった。一度通り抜けただけで、敵は算を乱し、逃げ散り、ジャハディードの砦へと収容されていった。
そのまま、進軍。あのアトマスが来て、信じられぬ武をもって騎馬隊を破ったと聞き、ジャハディードのバシュトー兵は戦意を失い、少し抵抗しただけで兵糧も武器も置き去りにし、国内の深くへ逃げていった。
孫子の兵法などには、自国の領内で戦うのは、出来るだけ避けるべきとある。人家は焼かれ、家畜は奪われ、良いことなど一つもない。また、国内であれば、兵は逃げることを考えてしまう。だから、戦うなら、敵国の中である。その意味では、パトリアエは兵法に則った進軍をしていることになる。
別の兵法書には、それを破る術もまた記されている。
策を敷き、奇計に嵌める。敵が勢い付けば付くほど、その効果が出るような、奇計を。
ジャハディードを破ったパトリアエ軍は、抑えの兵を残し、十分な補給をし、バシュトー国内へと進撃を始めた。
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