戦乱の歳月

 ニルらは、新年の準備に忙しい。首都グロードゥカには、大精霊アーニマが祀られた大聖堂がある。そこに、各地から国民が一年の安寧を祈りにやって来る。初詣のようであるが、参詣を済ませるまでは、決して口を開かぬ風習になっていた。人の口から出た穢れが、アーニマに移るのを防ぐためであると教典には記されている。そのため、新年の日は、グロードゥカは無言の人で埋め尽くされる。荘厳とも異様ともとれるその光景は、彼らにとっては毎年恒例のものである。

 自然、宿を営む者は、忙しくなる。参詣のための滞在は、一昼夜の間のみと定められていたが、厳しい取り締まりの対象にはなっていないので、地方から来る者は、新年の日の前からグロードゥカに入り、数日滞在した後、参詣をした日にそれぞれの地域に帰るのだ。

 毎年、ウラガーンの巣になっている宿も、年の変わり目の数日は、忙しい。部屋は全て埋まり、物置にまで人を泊めることになる。酒場は賑わい、人員総出で客の相手をするのだ。

 しかし、王国歴三百二十一年の暮れは、少し違った。


 プラーミャがダンタール自ら訪ねてきたのが、この半月ほど前。プラーミャが去ると、リベリオンからすぐに指示が来た。である。年明けの日、混乱が起きる。その中で、また非戦論者を、殺すのだ。標的は、四人いる。ダンタールは、ウラガーンを分けて、それぞれの標的に貼り付かせることにした。

 まず、ダンタール自身が、一人。コーカラルは、宿に残る。ニルが、マオと組んで、一人。ネーヴァが、アイラトと組んで、一人。リュークとストリェラの双子が組んで、一人。

 マオもアイラトも相当な使い手だが、咄嗟の事態における状況の判断能力はニルとネーヴァの方が高い。双子は、兄とされるリュークがやや沈着なのに対し、弟とされるストリェラがやや短絡的である。

 ただ、問題は、新年の参詣のときは、一切の武器の所持が認められないことだった。短剣などを懐に忍ばせることは出来ても、万一、兵と闘争になった際、それでは危険である。それについてどうするかは、リベリオンからは何も言ってこない。何をするのか、の指示だけがいつも来て、どうするのかは、自分達で考えなければならない。ダンタールの下した指示は、単純である。武器は、短剣のみ。それで、標的を仕留め、速やかに離脱する。しかし、万一、闘争になった際は、兵のヴァラシュカを奪って戦う。それだけである。


 ウラガーンの巣の窓から見える、あの星屑の花の木は、冬になり、花を散らせても緑の葉を繁らせたままである。それが、ニルがフィンの花と思ったあの花のことなのかどうか、史記に書かれる限り確証はない。しかし、筆者は確信している。この木に咲く花こそ、星屑の花なのだと。

 ニルは、この四年、戦いに赴く度に、その向こうに龍の旗が立つような気がしている。血の臭いは、星屑の花の匂いに、変わっている。焦がれるようにして、待っている。

 賑わう宿の中、あれこれと仕事をこなしながら、ニルはその木を見た。


 そして、年が明けた。先に述べた通り、パトリアエの新年は、静かである。人の動く気配があるが、声は一切しない。皆、経典の教えを、忠実に守っている。いつもの、夜に出す声すらも出せぬから、それぞれの配置、行動、離脱の仕方、集合方法など、事前に綿密に打ち合わせをした。

 ニルとマオは、城壁の中の城壁、とグロードゥカの人々が呼ぶ国家施設や役人などの屋敷がひしめく地域の側を、それとなくうろついていた。担当する標的が出てくる門は、屋敷の位置から、西門であると考えた。無論、一人ではないだろう。標的の家族と、武器は持たぬにしても従者や護衛が数名付くはずだ。その一団の後を、ついて行く。

 予想の通り、西門から出てきた。ニルはマオに目配せをすると、さり気なく石畳を踏んだ。この日は、珍しく、雲一つない快晴。大精霊アーニマの加護の賜物と、人々は心躍っていることであろう。パトリアエは、極端に日照時間が短いから、人の肌は白っぽい。皆が被っている地味な色のフードから覗く肌が太陽の光を反射して、さながら海に立つ白亜の波のようであった。


 余談であるが、日照時間の短い地域の料理は、辛いと言う。南方の暑い地域の料理が発汗のため辛く味付けをするのと同じように、日照時間の短い地域でも、汗をかくために、辛く味付けをすることが多い。中国の四川料理なども、大陸の真ん中の、山に閉ざされた地域の料理である。四川地方にはいつも雲が溜まり、日照時間が少ない。ゆえに、辛い。日照時間は辛味に、気温は発汗によって失った塩分の調節のための塩味に繋がっている、という料理研究家の分析を目にしたことがある。なるほど、パトリアエの料理も、四川ほどではないにしても、辛い味付けである。人々が、参詣をしたあと、精霊がもたらしたとされる、丸い唐辛子の一種をふんだんに使った料理を食べる風習があることからも、この地域において辛味が重要なものであることが知れる。



 この無言の人の海を形作る誰の口にも、その味が甦っているはずである。無言になると、人の思考は遊ぶ。とりとめもないことを、なんとなく考えるものだ。ニルも、そうであった。何かをぼんやりと考えているが、何を考えているのか、当人も知覚していない。

 その薄ぼんやりとした思考が、ぱちんと弾け、現実に戻った。大聖堂につながる、白い石畳の通り。そこが、最も混雑する。その通りで、それぞれの組が、ほぼ同時に、標的を抹殺するのだ。マオが先に立ち護衛や標的の家族の者をそれとなく掻き分け、ニルが標的に身を寄せる。フード付きの外套の袖に握った、人差し指ほどの長さのごく短かい刃物で、標的の左右どちらかの腰の付け根を、瞬時に強く抉る。その方法ならば、標的は必ず死ぬ上に、痛みが少ないから、異変を訴えるまでに、一瞬、時がある。

 刺したからといって、慌てて引き返したりはしない。標的が苦しみ出す頃、ウラガーンは、行列をなおも大聖堂に向かって進むのだ。そして、誰からともなく、近づき、合流し、普通に祈りを捧げ、何食わぬ顔をして帰りの行列の中に入り、大聖堂を出て、巣に帰るのだ。

 大聖堂を出たときは、通りは大変な騒ぎになっていた。騒ぎと言っても、大精霊アーニマを敬うこと甚だしい国民は、人があちこちでほぼ同時に倒れても、慌て、逃げ惑う様子こそ見せても、声は立てない。静寂の中、白い石畳の通りは、混乱の極みに達していた。一種の異様な光景と言っていい。

 帰りの列は、小走りになり、大聖堂から少しでも早く遠ざかろうとする。自然と、ウラガーンの現場からの離脱も、早くなる。完璧な作戦であった。


 夜になれば、口を開いてもよいことになっている。

「皆、ご苦労だった」

 ダンタールが、仕事に参加した一同を、労った。新年であるから、酒場は休みである。普段、客が飯を食う卓に、例の、丸い唐辛子を使った料理を並べ、皆で囲んだ。

 酒場の戸が、開いた。

「すみません、今日は、お休みなんです。何かあるなら、宿の方へどうぞ」

 マオが、席を立ち、客の方へ向かって言った。

「いや、客ではない」

 入ってきた男が、リベリオンからの使いであることを示すを言ったから、一座は緊張に包まれた。

「時は、満ちた。これより、戦いに入る。そのつもりで」

 指示は、いつも、誰それをいつまでに亡き者にしろ、とか、誰それが何をしたという噂を流せ、とかもっと具体的であるのに、このときだけは、やけに抽象的であった。戦いに、備えよと言われても、誰と戦うのかも分からない。無論、使者に聞いても、知らぬであろう。彼は、ただ伝言をもたらしたに過ぎない。

「それは、リベリオンの、誰からの伝言か、分かるかね」

 ダンタールが、言った。

「プラーミャ様直々の言葉と、聞いている」

 それだけだった。

 そのつもりで。どういうつもりでいればよいのか。何か、大きなことが、あるということだろう。一同は、先程までの和やかな表情とはうって変わって、緊張した面持ちで、辛い料理を口に運びだした。


 王国歴三百二十二年は、こうして明けた。ここから暫くは、戦乱の歳月、と通称されている。

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