星屑の花
「バシュトーで、大変なことが起きた」
ネーヴァが、ニルの居室に駆け込んできて、言った。
「大変なこととは、ネーヴァ?」
ニルは、ヤタガンを磨く手を止めた。
「あの女だ。きっと。やりやがった」
「落ち着け、ネーヴァ。あの女とは、フィンのことか?」
「いいか、ニル。よく聞け」
ネーヴァは、精悍な顔つきを飾る金色の眉を歪めながら、変事のことをニルに話し始めた。
半月ほど前、バシュトーの王が、殺された。殺した者が誰なのかは、分からない。見た者は、全て死んでいた。ただ、宮殿には、竜巻でも通ったかのような跡が残されていたという。そこから、プラーミャなる者が下手人ではないかという話が出た。王の一族が、プラーミャを捕らえるため、兵を発したが、逆に、どこからともなく現れた五百ほどの軍のようなものが追討軍を包み、完全に殲滅してしまった。それにより、王の一族は戦う力のほとんどを奪われ、壊滅した。
空いた席に誰が座るかで、今、バシュトーの国内は、揉めに揉めているという。そこに、フィンの影が、見え隠れしている。
「あの女、パトリアエを滅ぼすと言ったな。俺たちは、戦いに反対する者を、殺し続けて来たな。どこかで、繋がるものと思っていた。しかし、これがあの女の差し金なら、真逆のことをしているじゃないか。戦いに積極的な王を殺し、国内を乱れさせるなど」
ニルには、政治の難しい話は、よく分からない。ただ、考えた。
「ネーヴァ」
怒り、いや、興奮の冷めないネーヴァが苦笑してしまうほど、ニルはぼんやりとした顔をして、言った。
「そこに、龍の旗は、立ったか」
ネーヴァは、何のことか分からないようであった。ニルが、なにか、とんちんかんなことを言っていると思い、それがおかしくなって、笑った。
「ダンタールも、何か思い悩んでいるようだ。ダンタールなりに、考えるところがあるらしい」
話題を変え、あとは、今日の飯の当番をどうするか、話した。ニルは、やはりぼんやりと相槌を打ちながら、部屋に漂う甘い香りのことを考えていた。ふと、窓の外を見ると、小さな星屑のような花が、咲いていた。
「ダンタール」
呼ばれて、弾かれたように振り返った。
「あんたらしくもない」
「コーカラル、いたのか」
「いたのか、じゃあないよ。これでも、いちおう、あんたの妻なんだよ」
宿を経営する夫婦。そういう名目に、なっている。
「気になるのかい、プラーミャが」
「ああ」
ダンタールは、正直に答えた。歳が近いだけに、コーカラルには、心を許している。実際、肉体の関係を持ったことも、何度かあった。
「彼は、まだ、戦っているのだ」
プラーミャがリベリオンの指揮者であることは、ウラガーンならば誰もが知っている。しかし、まだ、剣を執り、それを振るっているとは。机の上で、策を練り、それを指示するだけの存在になったのではなかったらしい。
無論、プラーミャとて、いつも剣を振り、人を斬っているわけではあるまい。久しぶりの戦いであったに違いない。
―抜かねばならぬとき、抜かぬのでは、剣の意味がない。しかし、抜かずとも済むときに抜いても、別の災いがやって来る。
あの言葉を、思い出していた。プラーミャは、一体、何のために、剣を振ったのか。災いを冒してでも、せねばならぬことがあるというのか。プラーミャという人間を、よく知っているつもりであっただけに、分からなくなり、不安になった。
コーカラルの手が、ダンタールの肩にかかった。
「いつか、また会ったら、直接聞いてみればいいじゃあないか。あんたがそんな顔をしていて、どうするんだ。柄にもないね。いつものように、馬鹿みたいに笑っちまいな」
言葉は乱暴だが、その目は、優しい。ダンタールも同じ目を返すと、コーカラルの手に自らのそれをそっと重ねた。
このあと、ウラガーンに入ってきた仕事は、変わらず、国内の非戦論者の暗殺。たまに、不正を働く商人を殺すこともあったが、それも、非戦論者への資金の提供などを行っている者ばかりである。パトリアエがこのまま、英雄アトマスの意思の通り主戦論に傾き、バシュトーに決戦を挑めば、国内の乱れているバシュトーは滅ぶか、降伏してしまうことになる。ウラガーンは、一体、何のために、刃を振るい、人を殺めるのか。
もっとも、その理由は、彼らには必要は無い。その理由は、殺される者が、知っている。ただ、抜かずともよいときに抜いた刃が、別の災いとなり、降りかからねばよいと彼らは思うのみであった。
龍の旗は、まだ立たぬ。いつ、どこで立つのかも、分からぬ。ほんとうに、立つのかどうかさえ。しかし、不思議と、ニルは、確信していた。それは、恐らく、筆者などよりも、あらゆる研究者よりも、ニルこそが、フィンを最も知る者であったからであろう。僅かな期間しか共に過ごしていないはずの二人は、惹かれ合うよりも、もっと深いところで繋がっているのではなかろうか。ニルにすれば、フィンが、旗を立てる。と言えば、立つのである。それを、ただ、待てばいい。旗が立てば、その下に、フィンがいるはずである。
そしてその隣には、自分。それだけで、なんとなく幸福な気持ちになれた。この幸福を、悲しいものと呼ばないでやってほしい。彼に許された、唯一の、人間としての感情が、これであるかもしれぬのだから。
無論、ニルとて、例えばネーヴァなどと冗談を言い合い、笑い転げることもある。客に丁寧な言葉遣いをし、機嫌を取ったり、真剣な顔でダンタールの立てた作戦に異を唱え、ぶつかることもある。しかし、ニルは、どこか、感情の薄いところがある。
世界がニルに与える刺激に対しては、どちらかと言えば敏感であるのかもしれない。しかし、ニルは、自分が外の世界に対して働きかけをするということは、殆どない。ニルとは、そういう型の人間であり、時が経ち、二十歳になろうとしている今、なおその心の運びは強い。
そのニルが、たった一つ、世界に対して、自分から働きかけをしているのが、待つ。ということであった。旗さえ立てば、ニルはその旗までの道を塞ぐあらゆるものを薙ぎ倒し、斬り払い、一番にフィンのもとへと駆けつけるはずである。
純粋と言うのが正しいかどうか、分からない。しかし、ニルにとっての、自らの存在を示すことが出来る唯一の手段が、それであった。だから、たとえばネーヴァが、それをしてどうなる、と吐き捨てながら行う、あるいはダンタールがプラーミャの心を計りかね、不安になりながら実行する仕事も、何の疑いもなくこなすことが出来た。
また、非戦論者を一人、葬った。珍しく、雨は降っていない。むしろ、よく晴れている。
「ニル、抜かるな」
夜に出す声で、ネーヴァは言った。雲の無い空には、あの花のように、星が敷き詰められている。その一つ一つから甘い香りが漂うような気がして、ニルはほんの僅か、瞬きとは違う動作として眼を閉じた。
この夜、仕事に出ているのは、龍の申し子ニル、龍の翼ネーヴァ、双子のリューク、ストリェラ、母が移民のマオ、歳の最も若いアイラト。概ね、いつもの構成である。
標的を取り巻く護衛は、多いであろう。しかし、彼らにかかれば、数十の重装兵程度なら、ものの数ではない。あっという間に、死骸とそれが放つ臭いが立ち込めた。
腰を抜かし、短く息を吐く標的の前に、ニルは立った。いつものように、囁きかけながら。
血が匂っても、風の向きによっては、なおフィンの匂いがする。その花の名を、ニルは知らなかった。
星屑の花。ニルは、勝手にそう呼ぶことにした。ただ、フィンを思って。
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