雨に濡れた花
フィンは、
「わたしは、お話しした通り、ラームサールの盟によりパトリアエにやってきた、バシュトー王の妻の子。わたしの体には、バシュトー王家の血と、パトリアエの英雄、
それは、聞いた。ダンタールが、腕を組んだ。ここからが、彼らの知らぬことだ。それをこそ、フィンはその幼さの残る唇を懸命に動かし、語ろうとしている。
「正直に言います。私は、強く憎んでいます。この、パトリアエを」
自らを育んだ、パトリアエを。その血の半分を。
「だから、わたしは、ここを脱し、バシュトーへゆくつもりでした。そこで、反パトリアエの声を集め、一つにするための、依り代となるつもりでした」
「集め、一つにして、どうする」
ダンタールが、ちょっと腕組みを解き、訊いた。
「パトリアエを、滅ぼします」
「そんなこと、できるのか」
「パシュトーと、リベリオンがあれば、あるいは」
できるのかもしれぬ。
要するに、フィンはパトリアエとバシュトーの歪みの申し子である。自らを旗とし、人を集め、その力と勢いでもって、雨の国を激流で押し流してしまおうということらしい。自らの血の半分を否定し、引き裂くことで、彼女の生は証明される。そんなところであろうか。
「今、襲ってきたこれらの者、恐らくは、わたしの父が放った者でしょう」
「馬鹿な」
「いいえ、たぶん、そうです。わたしの父は、国家が妻、国家が子。それを乱す者は、誰であっても許しません。あなた方も、知っているでしょう。パトリアエの正規軍に、このような動きをする者など、いないことを」
「確かに、これは――」
ネーヴァが、口を開いた。
「――正規軍の戦い方ではない」
「これは――」
と言い、言葉を切った。
これは、まるで、ウラガーンではないか。とニルは思った。
「じゃあ、フィンは、自分をバシュトーの者だと思い定めているのだな」
普段、口数の少ない双子のリュークが言った。いつも冷静にものごとを見ているだけに、枝葉には惑わされない。
「分かりません。でも、わたしは、戦わねばなりません。自分が何者であるか、知っているつもりです。この、
灰色のフードからこぼれ出た薄い色の髪が、星屑のように明滅しながら彼女の頬を何度か叩き、それが一層、決意の強さを引き立てた。唇の端に付いた柔らかなそれを、白い指でそっとつまみ取りながら、
「今、こうして、人の血が流れました。わたしがしようとしていることは、こういうことなのです。わたしのために、わたしではない者が戦い、血を流す。そのことから、眼を背けてはならないと思います」
と言う強い言葉の割に、その立ち姿は余りに儚い。武器を執る力もなければ、振るう技もない。しかし、彼女にしか持ち得ぬものを持っていた。
「それが、わたしです」
琥珀色の瞳が、乾いた陽を跳ね返した。
「フィン」
マオが、フィンの手を取った。
「辛いのね。可哀想」
言われて、どうしてよいのか分からず、困ったように、フィンは笑った。同じ年頃の娘が、悲愴な覚悟を持ち生きてゆくのに、何かマオなりに感ずるところがあるらしい。
「おんなじよ、私たち」
マオは、それだけを言い、まだフィンの唇に残っている髪を、優しく取ってやった。マオがパトリアエの血の者とはやや違う色をした指を離すと、それはふわりとフードの中へ帰っていった。
「フィン」
最も年少のアイラトが、悲しそうに言った。
「もう、お別れなの」
フィンは、後ろを振り返った。国境の丘陵地帯は、もうすぐそこ。
「そうね、アイラト」
フィンは、眼を細めて
「まぁいい、俺たちの仕事は、お前を送り届けること。丘陵地帯で、お前をバシュトーに引き渡したら、終わりだ。元気でやってくれ」
双子の弟、ストリェラが言った。
ニルは、遂に、一言も言葉を発しなかった。ただ、フィンの悲しい決意を、聴いていた。
このあと、フィンは、夕陽を背に受けながら、国境の丘陵地帯で、バシュトー王家の迎えを受けた。はじめ、受け入れを拒否していた王家が、何故急にフィンを受け入れたのかは、分からぬ。しかし、史記は、フィンが別れのとき、ニルに囁いた言葉を記録している。
「旗を、見ていて。龍の旗を立てるわ。そこで、あなたを待ってる」
身を寄せるフィンの囁きを聴きながら、ニルは、フィンの匂いを感じていた。どういうわけか、雨に濡れた花のような香りがした。
実際、フィンのことが書かれた項を順番に繰っていたのでは、彼女の本当のことは見えてこない。もっと、あとの項にこそ、彼女が描き込まれている。
しかし、この項は、彼女について詳しく描かれた最初の項であるから、見過ごすことはできぬ。ニルが感じたフィンの匂いにまで触れられていることからも、この史記において、意味の強い項であることは、断言できる。
龍の申し子と、精霊の卷属。二人の想いが重なったとき、それは暴れる風となる。
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