ウラガーン一人の武の力は、この腐敗した国の、緩慢な動作の兵の何十人分にも相当する。現に、竜巻タルナーダの異名を持つダンタールは、一人で三十人もの敵を屠ったし、ニルやネーヴァなど年若の者でも、異様なほどに強い。


 それぞれ、徹底した肉体の鍛錬と、武器の訓練を行う。

 店は昼と夜の交代制であるため、肉体の鍛錬はそれぞれが非番の時間に行うが、武器の訓練は、決まって夜。

 武器は、それぞれ、得意なものを好きに使って構わない。ダンタールのように、目立つ大剣のようなものを用いる者は稀で、大抵、動きを妨げず、目立たないものを用いる。


 しかし、彼らは、決して、特別な存在ではなかった。彼ら個人としては、ただの人である。ただ、彼らは、長くこの国の中にあった圧制への不満、そして解放への願いを、血と雨で捏ね回し、形取り、目鼻を付けたような存在だった。


 新たに、この雨と風を司る龍の仲間入りを果たした美しい精霊の眷属の娘は、無論、武器などその手に持つことはない。せいぜい、宿の仕事をよく手伝うくらいであった。彼女の手が早速に荒れてしまっていることが、彼女がいかによく仕事を手伝っているかということと、今までそのようなことをしてこなかったかを表していた。



 ある夜、仕事を終えたフィンが、ニルに言った。

「どうして、わたしを、攫おうとしたの」

 ニルは、愛用のヤタガンの手入れをする手を止めた。

「どうして、か。そんなの、考えたこともない」

「あなた達は、何も考えず、人を殺し、人を攫うの?」


 ニルが握るヤタガンの刃は、凹むように反っている。つまり、片刃ではあるが、日本刀とは逆の反りを持っいる。反り以外で日本刀とは異なる点は、鍔は付けず、更に剣先にかけて、S字に刃が湾曲しているということだ。

 また、刃は柔らかい。芯は鉄だが、その周りに鋼を巻くようにして鍛える。その不思議な構造が持つ柔軟さと、流麗でどこか禍々しい曲線の刃が切れ味の秘訣であった。

 重さで斬るようなことはできぬが、軽いため、ニルのような使い手が振るえば、異様に速く振れる。

 刺突にも優れ、あらゆる角度、あらゆる体勢から、斬撃を繰り出すことができた。それは、暴風の中を翔ぶ龍が、通り過ぎざまに爪で獲物の肉を裂くのに似ていた。


 フィンは、同志の中で、龍の申し子。と呼ばれるニルのその爪に眼をやった。それは鈍く、妖しい光を放っていた。そしてそこからちょっと目を上げると、戸惑ってしまうほど、汚れのない目が、フィンを見ていた。

「その者が死ぬ理由は、その者が、知っているんだ。俺が知るところではない」

 ぶっきらぼうな物言いだが、ニルは、笑っていた。そのとても綺麗な笑顔に、どことなく、やるせなさを感じて、フィンは、ちょっと悲しい気持ちになった。


 きっと、ニルは、そう教育されているのだろう。自らが殺める者が、何故その命を奪われるのか。それを考えだすと、人殺しは、勤まらぬのだろう。

「フィンは、何故、俺たちに攫ってもらおうと思ったんだ」

 ニルが反問した。フィンは、薄い色の目を、部屋に焚かれた火の中、ちょっと伏せ、それを強く映しながら再び上げた。

「バシュトーに、行くつもりであったのです」

「バシュトーに」

 ニルは、眼を丸くした。

「私は、このパトリアエの、コロール王家に連なる者」


 彼らの言葉で、コロール、という語それ自体で「王」という意味を指すほど、王家の支配は強かった。王家に連なる者を一人、精霊の眷属として差し出し、国のために祈りを捧げさせることを強いていることは、既に述べた。

「ラームサールの盟の、子です」

 ニルがとても驚いた顔をした理由を説明せねばならぬから、このラームサールの盟、というものについて述べるため、この史記のページを、王国暦三百二年に遡る。



 隣国バシュトーは、複数の騎馬民族によって構成される。雨の多いパトリアエとは違い、乾燥した平原ばかりが続く国である。水のあるところには大きな街があるが、水の無いところは、一面、みじかい草ばかりが生えているか、砂ばかりで、そこで人々は馬に乗り、家畜を育て、暮らしている。その騎馬の技術は巧みで、これまでの歴史の中で、パトリアエは何度もその国土を侵されている。


 対するパトリアエには、東の山脈にある鉄や胴、銀などの鉱脈のため、古くから巧みな冶金技術を持ち、豪奢な武装で飾った歩兵団があり、かつては精強な騎馬隊も備えていた。

 精霊の加護を受けると言われる彼らは、度重なる騎馬の蹂躙にも屈せず、その国土を守ってきた。


 盾と斧がパトリアエの象徴である。それを、精霊の翼が包んでいるのが、パトリアエ王家の紋章。しかし、時の流れと共に、精霊の加護は薄れ、兵は惰弱になり、政治は腐敗した。民の間には、叛乱の疑いによる処刑を恐れ、誰も公に口に出すことのない怒りの風が、渦巻いていた。


 バシュトーは、一気に、パトリアエの王家を覆し、その隙に自慢の騎馬隊でもって国土を我が物にしようと画策した。くどいようだが、抵抗組織であるリベリオンの設立に人材や資金を投入し、ウラガーンなる危険な行為を専一に行う組織をも建てたのは、その楔とするため。


 だが、この三百二年の時点では、表面上は、パトリアエとは休戦状態にあった。王国暦ちょうど三百年に、ジャハディードの戦いという、比較的大きな衝突があった。当初、いつもの通り、バシュトーの騎馬隊はパトリアエの国土を侵したが、首都グロードゥカから発した軍の最高位の称号である戦士ヴォエヴォーダを授かった英雄アトマス率いる重装歩兵団が、文字通り盾となりバシュトーの騎馬の蹂躙を退け、かつ斧となりそれを粉砕した。


 そのまま国境を跨いでバシュトー領にまで進軍し、前線基地となっているジャハディードの地を、僅か三日で陥落させた。

 ラームサールの盟とは、バシュトーが、パトリアエの威に服する形で戦いの手を止めることを誓い、その王の妻を、英雄アトマスに娶らせることでそれを示したものである。

 ちなみに、ラームサールとは、パトリアエ、バシュトーその他の近隣各国に跨る巨大な塩の湖、ソーリ海に浮かぶラームサール島でバシュトー王の妻の身柄がパトリアエに引き渡されたことに由来する。


 英雄アトマスは、国家の戦いが止んだことを多いに喜び、バシュトー王の妻にフェーラというパトリアエでの名を与え、愛した。

 また、その戦いの功績を讃えられ、王から直々に、王家に連なる者として認められ、王家の姓であるコロールを与えられた。これが、王国暦三百年から三百二年のページに書かれたことである。



 だとすれば、フィンは、英雄アトマスと、バシュトー王の元の妻フェーラとの間に生まれた子ということになる。それが、バシュトーの地にゆくつもりであったというのは、ただごとではない。

 無論、未だ、英雄アトマスは、王宮の中で軍の最高指揮者として君臨している。その子が敵国に通じようとしていることが露見すれば、どうなるか。


 英雄アトマスがどのような性格の男であるのか誰も知らぬが、もし、彼が、子への愛よりも自らの保身を考える器量の狭い男であったら、あるいは国家の安寧を考える生粋の軍人であったら、フィンは、全力を以て捕らえられるであろう。

 また、パトリアエにとっての支柱となっている精霊信仰の核が国を捨てたとなれば、あちこちに眠っている不平、不満を抱えた者どもは、一気に抵抗軍リベリオンの旗の下に合流し、このパトリアエは覆ってしまうかもしれぬ。


 フィンがウラガーンに攫われ、それを利用し、バシュトーに行こうとしているということは、そういうことだった。

「何故、それをしようとしているのだ」

 ニルに聞かれても、フィンは微笑わらうのみであった。

「あなたにそれを話しても、仕方のないことですもの」


 フィンは、ダンタールにそのことを話した。ダンタールなら、母体組織であるリベリオンとの連絡を密におこなっているから、精霊の眷属がバシュトーへ亡命を申し出ていることを伝えれば、リベリオンからバシュトーに連絡が行くはずである。


 それで、バシュトーがどう出るかは、分からない。これ幸いとフィンを擁し、盟を破り、再び攻め込んでくるかもしれず、休戦の盟を破るわけにはいかぬ、として送り返してくるかもしれない。分からぬのに、フィンは、行動に出た。何か、成算があるのかもしれない。


「フィン」

 ダンタールが、妻ということになっている副官のコーカラルとニルを伴い、一日の宿の仕事を終えたフィンを訪ねた。いちおう、ウラガーンの構成員ではないから、地下の部屋には入れず、宿の一室を与えてやっている。


「お前の希望の通り、バシュトーに連絡をするよう、リベリオンには渡りを付けたぞ」

 ダンタールは椅子に腰掛け、古い傷のある手の甲を、胸の前で組んだ。フィンはそれをちらりと見て、

「感謝します」

 と、清らかに笑った。長い、薄い色の髪が、灯火に照らされて橙に光っている。


「だけどさ」

 とコーカラルが、腕組みをした。

「お前、大丈夫なのかい」

「大丈夫、と言うと」

「ほんとうのところ、私たちも、お前を攫い、そのあとお前をどうするつもりだったのか、そこまでは聞かされていないんだ。易々とバシュトーに渡ったはいいが、殺されて終わり、とかパトリアエに送り返されて終わり、なんてことにはならないか」

 フィンは、また微笑った。

「ご心配なく」

 それ以上は、何も言わない。

「俺たちは、お前さんのことを、心配してるんだぜ」

 ダンタールが、手を組んだまま、言った。手を組んでいると、自然と、祈っているような格好に見える。フィンにとっては、見慣れた動作だろう。


「もしものときのことを心配するならば、あなた方も、私と共に、バシュトーに来て下さればよいのです」

「なあ、フィン」

 ニルが、扉の脇の暗がりから、声を発した。

「教えてくれないか。バシュトーに行き、何をするつもりなんだ」

 フィンは、また微笑った。もしかすると、微笑むのは、フィンの癖なのかもしれない。何を言われても、何をされても、微笑んでいる。それは、彼女が暮らしていた祭祀堂にある、堂々とした精霊の像と同じものなのかもしれぬ。


「この国の反乱軍リベリオンと、バシュトー軍とを呼応させるよう、バシュトー王に説くつもりです」

 説くには、材料がいる。フィンがどのような材料を持ち、王を説くつもりであるのかは、言わない。


 十日ほどして、バシュトーからの回答があったことを、リベリオンが告げてきた。その内容に、一同は、言葉を失った。

「精霊の眷属フィン・コロールの受け入れを、拒否する。フィン・コロールの身柄は、そのまま、ウラガーンに置いておくように」

 国家の思惑と、歴史と、人の意思とが、ソーリ海で漁をする者の釣り糸が縺れたように、絡んでいる。今は、その結び目がどこにあるのかさえ、見えぬ。

 一つずつ、解きほぐしていくのか。

 あるいは、一気に、断ち切ってしまうのか。

 歴史は、そこに生きる人は、そのどちらかを、選ぶ。

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