外套の模様

 ニルは、雨の中、駆けた。フィンは無論、屋根の上を駆けたことなどないから、濡れた屋根に足を滑らせたりせぬよう、気遣ってやった。


 共に駆けていたネーヴァが、立ち止まる。

「先に、ゆけ」

 屋根から、街路を見下ろしている。

「いたぞ!屋根の上だ!ウラガーンだ!」

 武装した兵どもが、彼らを指差し叫ぶ。

 ネーヴァは、愛用の、ジャマダハルと呼ばれる武器を両手に装着し、覆面越しに少し笑うと、街路へと音もなく降り立った。

 すると、たちまち十人ほどの兵に取り囲まれた。

 屋根の上のニルに、眼で、早く行け、と言うと、ゆっくり腰を落とす。


 ニルは、ダンタールに促され、駆けることを再開した。

 屋根から市場に下りるときは、露天の幔幕の上にフィンを下ろし、自らは直接街路に降りた。

「跳べ、フィン」

「怖い」

「大丈夫だ」

 フィンは、意を決し、跳んだ。怖がっていた割には、ニルが受け止めてやることもなく、すんなりと街路に降り立つことができた。


「ダンタール」

「お前は、店に急げ。コーカラルに、指揮を託す。店に戻るところを、誰にも見られるな」

「あんたは、どうするんだ」

「俺か」

 外套の背から飛び出した、大剣の柄を握った。

「久しぶりに、暴れるのさ」

 市場に、武装した兵が殺到してきた。三十人はいるか。

「一人で、大丈夫か」

「てめぇ、俺を誰だと思ってんだ」

 唸りを上げ、剣を旋回させる。

竜巻タルナーダの、ダンタール様だぜ」

 追いついてきた一人を、鎧ごと両断した。それは、斬るというより、叩き割るという具合だった。


「さぁ、次は、どいつだ」

 兵どもは、恐れて近づけない。彼らにとって、これが初めての実戦なのであろう。手に持った火から白い煙を上げ、遠巻きにしている。

 その中へ、ダンタールは、駆けた。ニルは、ダンタールとは逆方向へ。


「いいな、ニル。その精霊の眷属を、決して逃がすな」

 コーカラルが、ニルに言った。

「逃げるもなにも、わたしは、あなた方に攫ってもらいに、逃げて来たのです」

 フィンが、言った。

「なに」

「いいから、説明は後だ。コーカラル」

「分かった。後ろは、ネーヴァとダンタールがいるから、大丈夫だろう。前に気を付けろ」

「分かってる」

「ニル」

「なんだ」

「ネーヴァなら、大丈夫だ」

 ニルとネーヴァは、仲がいい。二人、同じ頃に拾われ、共に育った。親友というより、兄弟と言った方が近い。


 今は、兄弟のことよりも、精霊の眷属を、根城にしている宿まで無事に連れてゆくことだ。コーカラルが、前方から兵が回りこんでくるのを見て短い剣キンジャールを抜くのに合わせ、ニルも腰からヤタガンを抜いた。


 その兄弟ネーヴァは。

「俺は、急ぐのだ。さっさと、かかって来てくれないか」

 揃いの、装飾されたヴァラシュカを構え、にじり寄ってくる兵どもに、声をかけた。

「恐れるか、俺を。重ねて言うが、俺は、急ぐ」

 ネーヴァの腰が、更に深く落ちた。石畳を擦るようにして、駆ける。翼のように見えるのは、拳を覆うようにして握る柄の先に鋭い刃が付いた刺突に優れた武器。


 それで、正面の兵の、鎧と兜の隙間を刺した。

 雨に、鮮血が混じった。

 横から振り下ろされる緩慢な一撃を、刃の根本の手甲で受け止める。

 そのまま腕を回すと、兵は操り人形のように、ネーヴァの望む形に体勢を崩した。

 向かってくる顔面に向け、膝を上げる。

 兜に守られない鼻柱を叩き折られ、更に、兜に付けられた何の意味もない馬の尻尾の毛で造られた飾りを後ろに引かれた兵は、その首をおかしな方向に曲げた。

 音もなく、ネーヴァは、雨の中、舞った。

 舞う度、血が飛んだ。

 地に落ちると、それは雨に混ざり、消えた。


 辺りが、雨の音だけの世界になったとき、ネーヴァは、転がる十の死体の中央で、立っていた。

 両腕を振り、ジャマダハルを外すと、腰に戻し、駆け出した。


 その先の市場では、ダンタールがいた。あちこちに、死体が転がっている。市場の露天の幔幕なども倒れ、竜巻が通った痕のようになっている。

 立って動いている兵が、二人。

「ダンタール!」

 ネーヴァは、その一人を引き受けようとした。ダンタールが、声に応じ、ちらりとネーヴァの方を見た。


 雨をも吹き飛ばす、竜巻の咆哮。

 ネーヴァが引き受けようとした一人を巻き込んで、ダンタールの剣が旋回した。

 人間が、分厚い鎧ごと両断され、下半身は吹き飛び、上半身はくるくると回りながら、市場の幔幕をなぎ倒した。

「ネーヴァ」

「さすがだな。久しぶりに見た。竜巻タルナーダを」

 ダンタールは得意気に笑い、駆け出した。


 彼らの用いる革の靴は、全速力で駆けても、足音がしない。

 すぐに、追い付いた。ウラガーンの店がある区画の手前で、コーカラルは敵を殲滅するつもりらしい。

 ネーヴァとダンタールを除き、フィンを入れて十二人のウラガーンを取り巻く者の一角を、崩す。


「フィン」

 ニルの声がした。

「伏せていろ」

 ヤタガンの鈍い光が、敵の持つ篝の中に現れた。それを、ニルは顔の前に持っていった。

「お前が何故死ぬか、分かるか」

 誰にともなく、ニルは語りかけた。


 水を踏む音は、無い。

 通り過ぎた。

 三人が、血を吹いて倒れた。

 他の者も一気に、最後の敵に打ちかかり、殲滅した。


「さあ、立てるか」

 ニルが、フィンに手を差し伸べてやる。

「ありがとう」

 フィンは、この巷で騒がれるウラガーンなる凶悪な犯罪者を、その目で初めて見た。血に飢えた残虐な狂人の集まりとフィンは聞かされていたが、何のことはない、普通の少年や少女の集まりではないか。それに、このニルという少年は、とても優しい眼をしている。


 ただ、あっけないほど簡単に人を殺すことができるということが、フィンの知る世界の者とは違った。何が、彼らをそうさせるのか。

 今頃になって、夜の中央の鐘が鳴った。

「もう、敵はいないか」

 ダンタールが、大剣を背に戻し、言った。

「よし、戻るぞ」

 十三匹のウラガーンは、一人の精霊の眷属を連れ、宿へと戻った。


 雨の夜の仕事は、濡れる。仕事が終わり、宿の地下に降りると、まず武器を棚に掛ける。次に、濡れた外套を、火の側に干す。干し終わると、各々、平服に着替える。

 フィンは、噂に聞いていた、彼らの、炭のような黒とマホガニーのような茶色の縦縞の外套について、夜に隠れるためと思っていたが、火の側で見ると、別の効果もあることが分かった。


 黒っぽく変色した、無数の血の染み。それをも、この模様は隠していた。いや、その染みもまた、雨の夜に、彼らの姿を滲ませる効果を発揮していた。

 血を浴びれば浴びるほど、闇に、雨に溶ける龍。


 やはり、フィンの知る人間とは、異なる世界の住人のように思えた。

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