その雨

 雨の音に隠れるようにして、十三匹のウラガーンが駆けてゆく。

 黒地に、マホガニー色の太い縦縞の入った織物の外套。単に黒く塗り潰すよりも、それは夜に彼らを馴染ませた。音もなく、影さえもなく、ただ水を踏んで駆けてゆく。


 さすがに、祭祀の夜だけあり、首都グロードゥカの北の端にある王宮の周囲は、雨でも傘のついた篝が焚かれ、厳重に警備されている。

 首都グロードゥカは、壮大な王宮を持ち、鳳が翼を広げたような格好で張り巡らされた広大な外壁を持つ。

 王宮の前は警備が厳重で通れぬため、祭祀堂へは、その鳳の体内の、石畳の街路を回り込んでゆかねばならない。


 ウラガーンの宿から、百二十ヴァダー(彼らの、距離の単位。大人が走らずに飛び越えられる水溜まりの大きさを一ヴァダーとし、メートル法に換算しておよそ〇.八五メートルと定められている)ほど北に向かった細い道から、市場の裏手に大きく周り込み、密集した家々の屋根を伝い、祭祀堂への白い石畳の道へと出る。

 昼間は、大精霊アーニマに熱心に祈りを捧げる民によりいつも賑わっているが、この厳かな夜、その白い石畳を踏む者は一人もない。


 ウラガーンは、屋根の上に伏せ、全身を濡らしながら、待った。夜の中央、と彼らが呼ぶ鐘が鳴れば、美々しい装いの護衛に守られた馬車が、王宮へと向かうはずである。

 馬車を守る者共は、人形だった。大層な鎧は動きを妨げ、美しい彫刻の施されたヴァラシュカと呼ばれる斧は、実際に振り回されたことなどなく、刃は鈍い。だから、ウラガーンの前では、ただの人形である。


 その人形の列を、待った。夜の中央が、もう少しで鳴るはずである。ニルは、篝に薄く浮かぶ、石畳に打ち付ける雨の粒を見つめている。

 人影。一人。しかも、少女。見下ろしているので顔は見えぬが、フードから垂れた、長く、薄い色の髪の濡れる質感で、それと分かった。

 ダンタールも、それに気付いたらしい。ニルと、目が合った。


 少女は、雨を踏み、走っていた。彼女の足音は、ウラガーンのそれのように、雨には馴染まない。べつべつの生き物の鼓動のように、石畳に響いている。



 少女は、一年前の祭祀の夜から、ずっとこの日のことを考えていた。今夜を逃せば、また、一年の間、彼女は耐えなければならない。

 石畳につまづいて、転びそうになった。辛うじて足を出し、踏み止まったとき、視界の端の景色が少し変わっていることに気付いた。

 そちらを、見る。何者かが、少女の方を向いて立っていた。黒と茶の、縞模様。覆面から垂れた黒髪。それを気にもせず、ただ立っていた。


 少女は、息を飲んだ。何故か、死を思った。しかし、その影の声は、不思議と優しかった。

「何をしているんだ」

 同じくらいの歳の頃だろうか。若い声である。

「あなた、もしかして、ウラガーン?」

 その服装から、少女はそう問うた。

「だったら、どうする」

「お願いがあるの」

 いきなり、少女は、雨を鳴らして駆け寄り、手を取った。

「今すぐ、わたしを、連れていって。私を、守って」

「待て。俺には、仕事がある」

「必ず、あなた達の役に、わたしは立つわ」

「君は、一体」

 少女は、フードを上げ、顔を見せた。

「私は、フィン。フィン・コロール」

 少女の身体が、いきなり、音もなく宙に舞い上がった。驚く間もなく、若い男は、積まれた木箱を、軒を、ひさしを足場に、少女を抱えたまま白い屋根の上へと登り、

「俺は、ニル」

 とだけ、言った。


 ニルは、大きな身体の男に声をかけた。

「ダンタール、引き上げよう。仕事は、終わった」

 そう言って、フィンを促した。フィンは、一歩前に出た。

「フィンです」

「ちょっと待て、ニル。これが、もしかして」

「ああ、そうだ、ダンタール」

「よし、引き上げだ、お前達」

 祭祀堂の方が、騒がしくなってきた。馬車に乗り、出発するはずの精霊の眷族がおらぬというので、慌てているのであろう。武器と、火を持った男どもが、出てきた。火は雨に打たれ、白い煙を上げている。


「まずい。早く、ずらかろう」

 ダンタールに促され、身を翻しかけたニルが、フィンの手を取った。

「ごめんなさい、ニル」

「なにが」

「あなたには、仕事があったのに」

「いいや、むしろ、喜んでいる」

「どうして」

 ニルが、覆面を、ちょっとずらした。その口が、笑っていた。

「お前をさらいに、俺たちはやって来たのだ」


 これは、偶然か、必然か。しかし、ウラガーン史記には、その日のことがこと細かに書かれている。たとえば、その雨の強さまで。この日のことが、ウラガーン史記にとって、もっとも、重要なページのうちの一つであるからであろう。

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