仕事

 ウラガーンとは、固有名詞として伝説上の龍の名以外に、その語単体で暴れる風、という意味をもつ。彼らはいつも、雨の夜に吹く風のようにやって来ては去った。


 雨といえば、このパトリアエの地は南の隣国バシュトーとは違って雨がとても多い。たぶん、大陸を流れる雲を領土の東の端の山脈がせき止めるからだろう。

 この初夏の時期は特に雨が多いが、海など無いために乾湿の差が激しく、雨の降らぬ日では土埃が舞う。


 彼らが海と呼ぶのは、領土の西端、複数の国にまたがる、岩から溶け出した塩が混じりこむ閉ざされた海、ソーリ海のことだった。

 ソーリ海のほとりでは、塩を作ることを生業とした者が暮らす集落が多くあり、それは国の直営になっている。塩の他に国の専売となっているものと言えば、香、鉄、絹、茶などがある。


 領土を貿易の道が貫いており、東の山脈を越えてきた旅人が品をもたらし、またパトリアエから運び出したりする。

 そういった交易の盛んな地域で、品々はパトリアエからバシュトーへともたらされ、更に遥か東の国へと持ち込まれる。東の国でそれは金や絹その他の物と換えられ、また西へと帰ってゆく。古来、そういう道があるのだ。パトリアエが栄えたのは、その中継地点として重要な位置にあることと無関係ではない。


 パトリアエの王家は、世襲をもって成す。今の王は、三百年あまり前に立った英雄王と呼ばれる軍事や民治に長けた建国の王の子孫であるとされる。

 三國志で有名な諸葛亮は、自らの息子の平凡なことを嘆き、才能とは、もって生まれるものであって、受け継がれるものではないらしい。と言ったというが、現王ドゥラク・コロールが、まさにそうだった。国は乱れ、リベリオンのような抵抗組織ができ、ウラガーンのような実行組織が生まれたのは、必然と言ってよい。


 先にも述べたが、この国は、創造の精霊アーニマを崇拝している。王家に連なる者から女子を一人、精霊の眷属として捧げ、その者は生涯、王家のために精霊に祈りを捧げる暮らしを送る。



 彼らは、そういう国に生きていた。彼らは、世のため、民のために在った。少なくとも、彼らはそう信じていた。だから、彼らが好む雨の夜、民の上には、星をそのまま墜としたかのような雨の滴は降るが、血の雨は降らなかった。

 

 殺しの仕事を終え、彼らは、根城に戻った。ウラガーンの人数は、全体で百人ほど。それが五つに分かれており、互いに連絡を取り合うこともある。

 仕事に出るときは、規模にもよるが、常に五人ほどの人数で出た。ニルがいる組の根城は、大通りから少し離れたところにある、一見、なんの変哲もない酒場付きの宿。


 石と煉瓦を積み上げて作られたその建物の裏口の脇の階段から、地下に降りる。

「ニル。戻ったか」

 二十人ほどをまとめる、三十代の半ばくらいの男。ダンタールという。恵まれた体躯を持つ彼は、年嵩であることもあり、この宿で働くウラガーンの少年少女らによく慕われていた。彼は表向きにはこの宿の経営者で、他の者は住み込みの従業員ということになっていた。国の中が荒れているために、孤児を引き取って仕事を与える者には、国から毎年その人数に応じて金が下される。だから、ダンタールのように、孤児を住まわせる経営者は多い。そういう仕組みを利用し、とても自然にウラガーンは日常に溶け込んでいる。


 ダンタールが酒場を伴った宿を営んでいるのは、情報収集のためでもある。序列でいうと二番目にあたるコーカラルという女は、彼の妻ということになっている。

「首尾よく行ったかい」

 と笑いかけてくるコーカラルにニルは笑い返してやり、愛用の湾曲した剣ヤタガンを棚に掛けた。


 今夜、ニルと共に仕事に出ていた少年は、ネーヴァ。大空、という意味の名がよく似合う、澄んだ笑顔の少年だった。ネーヴァは、拳を覆う手甲の先に刃が付いた、ジャマダハルという武器をよく使った。どちらも、パトリアエの地で生まれた武器ではないが、先に述べた貿易の道を通じて、入ってきたものである。


 地下の彼らが暮らす部屋では、凄まじい切れ味を持つであろう様々な武器が無骨な光を放っている。そういうところで暮らしてはいるが、彼らは、仕事の無いときは、ふつうの少年や少女であった。皆、仲間が仕事を終えて無事に戻ったことを喜んだ。


 つまらぬ仕事であった。金に汚い商人を一人殺したところでこの国の腐敗がただされたとは思えない。しかし、命じられた仕事は、間違いなくこなす。それがウラガーンだった。ウラガーンの仕事は、なにも殺しに限ったことではない。火付け、誘拐、潜入、あるいは民の間に入って王家に不利になるような噂を流す。母体組織であるリベリオンが命じれば、彼らは何でもやった。

 リベリオンとは、反逆の刃という意味である。束縛を斬りほどき、解放を得る。それが、彼らの最大の理念で、目的で、大義であった。


 正直、ニルには、国家の在り方がどうだとか、難しい話はよく分からない。気付いたときには彼はウラガーンであり、殺しの技を徹底的に仕込まれていた。それを表現することで、彼は、自らの存在を自ら知ることができた。


 稀に、大きな仕事が入る。そういうときは、決まってダンタールもしくはコーカラル、あるいはその両方が指揮を取り、出動人数もいつもより多くなる。店には、主たちは酒の買い付けに出ているとして拠点の防衛のために必要な最小限の人数だけを残し、運営する。


 その雨の日、ダンタールが、地下の部屋で、出動する人員に要点を手短かに説明した。

「祭祀堂から王宮へ繋がる道は、分かるな」

 言われなくても、誰でも分かる。そこだけ特別に、真っ白な石が敷かれた道である。白は、神聖な色とされた。だから、王宮と精霊の眷属が祈りを捧げる祭祀堂という建物とを繋ぐ道は白で統一されていた。それに合わせて、周囲の建造物も全て白亜でもって塗り固められている。

「そこを、一台の馬車が通る。その馬車を、襲う。護衛の者どもは、皆殺しにする。しかし、いいか。馬車の中の人間だけは、殺すな」


 毎年、この初夏の時期、精霊が年に一度だけ眷属に降りる。それが王宮に出向き、王家に対して加護を与えるという行事があった。

 ずっと、王家の者が祭祀堂に出向き、精霊の加護を受けるというしきたりであったが、今の王の代になり、何故わざわざ出向かなければならぬのだ、として、精霊の眷属の方から王宮に出向くようにとしきたりを変えた。


 その行列を襲うという。彼らがいかに風と雨を司る龍ウラガーンを自称していても、さすがに、今まで誰も精霊を襲うということはしたことがない。馬車の中にいるのは、恐らく、精霊の眷属。それを、拐うというのか。


 隆々としたダンタールの筋肉が、大剣を掴んだ。それを外套で隠し、覆面を付ける。共に出動する少年少女達も、同じいでたちをしている。ニルも、独特の湾曲を持つヤタガンを革の腰帯に差した。

「ウラガーン、出るぞ」

 無言で、一同は頷いた。ダンタールが地上への階段を駆け上がり、扉を開く。蒸れたような青葉の匂いを含んだ雨の音が、吹き込んできた。

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