ウラガーン史記目録

増黒 豊

第一章 王国歴三百十七年

ニル・アンファング

 彼らは、雨が好きだった。雨になると決まって、彼らは街に出た。特に、夜の雨がいい。夜の雨は、彼らを、世界から隠してくれる。

 彼らの息吹も、閃く刃の光も、飛び散る血飛沫も。


 彼らは、ウラガーンといった。ウラガーンとは、雨と風を司る龍の名である。

 我々東洋に暮らす者に陰と陽の概念があるように、彼らには、龍と精霊という概念があった。精霊の名は、アーニマ。

 精霊といっても、地水火風の精霊ではない。世界を創造したとされる神のことである。

 アーニマは、ときに樹の姿で、ときに剣の姿で、このパトリアエの地に現れては、悪を罰し、生命を育み、人を栄えさせた。いつも、ウラガーンは、精霊の邪魔をしにどこからかやってきては河を乱れさせたり、実った作物を腐らせたりする。その度に、アーニマによって懲らしめられる。

 というのが、神話のもっぱらの筋書きである。



 少年は、雨を踏みながら、街路を駆けている。王家が、そしてこのパトリアエの地に暮らす殆どの民が崇める絶対の精霊アーニマに対する反逆の刃となるべく、少年の生きる集団は、ウラガーンと名乗っている。


 その爪が、一人の肉を切り裂いた。十六歳になる少年は、龍の申し子と言われるほどに、確実に獲物を葬る。

 爪は、湾曲している。昼間に見れば、それは片刃の剣だった。


 肉を切り裂かれ、雨の中に沈んだのは、王家に擦り寄り、私腹を肥やし、貧しい者を虐げる大商人。女の上に跨がり、腰を振りながら馬鹿馬鹿しい声を上げているところを、ウラガーンに押し入られ、素っ裸で駆け出したのだ。


 駆け出した先に、少年がいた。雨に濡れながら、頬に貼り付いた黒髪を気にもせず、ただ立っていた。

「どけ!」

 商人が、少年を突き飛ばし、駆けた。駆けて、異変に気付いた。腰から下が、無い。首を回して振り返ると、見覚えのある下半身が、雨の中に転がっている。


 その下半身を足でどけて、ゆっくりと、少年が近づいてくる。

「何故お前が死ぬか、分かるか」

 無論、商人は答えることができない。

「お前が死ぬ理由わけは、お前が、知っている」

 爪が、商人の肉に、もう一度食い込んだ。


 少年は、それに興味を示すこともなく、館の方へ戻っていった。

「ニル」

 と、少年は呼ばれた。ニル・アンファング。それが、彼の名である。親から与えられた名ではない。彼は、親を知らぬ。捨てられ、拾われ、気付いたら、人を殺していた。その先に、救いがあると、教えられた。


「館の方は、治まった」

 治まった、とは、その中で生きて動く者がいなくなったことを指す。彼らは、それをすることで、世の中が良くなると、そう信じていた。


 確かに、今の王家はおかしい。富む者だけが富み、飢える者は、死ぬまで飢え続ける。王家に逆らえば、一族すべてが皆殺しの目に合う。王が、珍しい形の石を集めることに熱中すれば、民はその石を探すために徴発され、王妃が、今までに見たことの無い色の器を求めれば、民はその色を実現する焼き物の工夫を余儀なくされた。当たり前のことのように、パトリアエは、ずっと、内乱状態にある。ニルの所属するウラガーンの、さらに母体となっているのは、抵抗軍リベリオン。隣国のバシュトーという国の後ろ楯を受け、ずっと王政に対して反抗し続けている。

 そもそもバシュトーという国家自体、パトリアエ創建のころからさまざまながあり、この百年ほどの間だけでも数度パトリアエに侵攻しているが、その度失敗に終わっている。


 ウラガーンの設立は、そのバシュトー無くしては実現はしなかったろう。その存在は、そのまま、パトリアエの国内をより乱れさせるものになる。

 ウラガーンは、いわば、バシュトーがパトリアエに打ち込んだ楔。


 後の世の人は、この戦乱を、パトリアエ動乱と呼ぶ。これは、ウラガーン史記に記された、その戦いの終わりの物語である。


 このページに記された年は、王国歴三百十七年。雨の匂いからして、初夏であろう。

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