お狐様

こぱん

お狐様


盆休み。僕は小学生の息子と身重の妻を連れて実家へと帰った。

この頃になるといつも思い出す。

小学生だった僕は内気な少年だった。緑豊かな祖父の家に遊びに行っても、外を駆け回ることはなく、家の中を探索したり、1人でかくれんぼをしたり、縁側に座って祖父と並んで空と庭を眺めていたり、そういうことばかりしていた。

だがそれでも十分に満喫していた。

だが、1週間もいたらさすがに飽きてくる。

納戸の中にある物の配置もすっかり覚えてしまった。

そこで、内気とはいえ年相応に冒険が好きだった僕は、家の裏手にある大きな蔵へ入り込んだ。入るなと言われていたが、気にもしなかった。

鍵はかかっていても、小さな窓からするりと忍び込むのは造作もない事だった。

僅かな陽の光を頼りに、埃臭い蔵の中をうろうろしていると、文机があった。

そこには小さな箱が七つ、それぞれ座布団のようなものの上に乗って並んでいた。

その古びた木箱の一つを開けると、薄くピンクがかった木の枝のようなものがあった。

不思議に思い、全ての箱を開けた。キラキラ光る物や、変な模様をした石、ビー玉みたいなもの、貝殻が入っていた。

ひたすら綺麗で目が離せなくなっていた。

その頃、ビー玉であそぶのが流行っていたから、特にその深く吸い込まれるような青に魅入られていた。

思わずその玉をそっと握りしめ、蓋を元に戻し、僕はそのまま家へと戻った。

その青い玉は小さいのにずっしりと重く、ひんやりとしていた。


その晩から僕は変な夢を見るようになった。

暗闇の中、何かが「しっぽかえせ」と呟き続ける夢だった。

次の晩にはその声とともに何かが揺らめいていた。

その次の晩ではそれがしっぽだと分かった。太くふさふさしてとても柔らかそうなしっぽは六つあった。

そして、遂には、それが狐だとわかった。目を赤く光らせた狐に睨まれて、僕は動けなかった。

「しっぽを返せ。しっぽを返せ。しっぽを返せ。しっぽを返せ。しっぽを返せ。」

低い唸り声のように続き、僕は頭がくらくらしていた。

多分持って帰ってきた玉のことで怒っているのは分かっていたが、でも僕は手放したくなかった。

あとから考えて、あの時の僕はなぜだか執着心が凄かった。


だが、1週間もすると、物静かな祖父が

「…おい、蔵に行ったか」

と聞いてきた。

あぁ、バレたんだな、と怒られる恐怖感と共に安堵も覚えた。

その時の僕は、寝た気がしなくて足元はふらふら、食欲がない、と様子がおかしいと祖母に心配されていたのだ。

「…うん」

僕は玉が入っているポケットを握りしめた。

「夢、見てるだろう。どんな夢だ。」

祖父の口調はいつもと変わらず、ただただ静かだった。

「狐が、しっぽを返せって言ってくる。でもその狐、もう六つもしっぽあるんだよ」

「…しっぽというのはな、尾のことでもあるが、七宝のことでもある」

「しっぽう?」

「七つの宝と書く。それは昔、ご先祖さまがそのお狐様にあげた宝物だ。返してあげなさい」

「はい…」

僕はしょんぼりと肩を落としながら、祖父が蔵の鍵を取りに行っている間、玉を手のひらで弄んだ。日に照らされた青は何よりも綺麗だった。


祖父と蔵へ行き、元の箱に玉を入れた。不思議に思ったのは、文机に前にはなかった引っかき傷が無数につけられていたことだった。

だがそれを訊ねる勇気はなく、お米とお水を供えている祖父の背をじっと見ることしか出来なかった。

最後にごめんなさい、もうしません、許して下さいと願い、祖父は何か呪文のようなものを唱えていた。


その日、夢を見なかった。僕は久しぶりに気持ちよく目覚め、美味しいご飯をお腹いっぱい食べた。祖母は喜び、祖父は変わらず気難しい顔だったが、ぽんぽんと僕の頭を撫でてくれた。


だけどそこからが本番だった。

夜ご飯を食べすぎて寝れずにいた僕は、布団でゴロゴロしながら漫画を読んでいた。

すると、天井から、カリ、カリ…とひっかくような音が聞こえた。

それはゆっくりと、そしてだんだん早く激しくなった。

体が動かない。声が出せない。怖くて堪らない。

引っ掻き音はやみ、代わりにどんどんと乱暴に天井を殴るような音になった。それに合わせて地震のように揺れて、動かない僕の体はボールのように弾んだ。僕は声が出ないままずっと泣いていた。

目だけを動かして障子を見ると、月明かりに影が見えた。狐が笑っている。しっぽもゆらゆらしている。

そろっと障子が開いた。あ、僕は死ぬのかと思った。殺される。

怖くて仕方なかった。助けて欲しいのに誰も呼べない。

すぱん!と勢いよく障子が開いた。真っ青な顔をした祖父を見て気絶した。


目覚めるともうお昼で、傍には祖父がいた。

お茶とおにぎりをくれて、食いながらでいいから話を聞けと言われた。


昔、どこからかもうすぐ死にそうなほど弱っていた狐が来た。

当時地主であった先祖がかわいそうに思い世話をしてやった。しかし、元気になることはなく日に日に弱っていた。

目に見えてやせ細っていく狐は、ある日、息も絶え絶えになりながら願いを請うた。

地主が持っていた七宝をくれないかと。それがあれば生き延び、地位の高い狐になれる。

そしてお礼代わりにおおいえを繁盛させましょう。というのだ。

若かった主人は

つまりは七宝をあげても狐はこの家にいる訳だから何ら変わらない。それどころかもっと豊かになれるのか!と喜び二つ返事で承諾してしまった。

それまでは地主とは名ばかりの、七宝以外ガラクタを詰め込んだ蔵一つしか持っていなかったのだが、狐の言葉通り富が豊かになり地位を得て悠々自適に暮らした。

ところで、狐とは一つ約束をしていた。

狐のもの、つまり七宝には誰も触れるな。ということである。

それぐらいなんてことはないものだし、実際触れる人はいなかった。時は過ぎ、蔵に七宝が入れられて段々と狐のことな記憶から薄れていった。


「それをお前が触ってしまったんだ。

じいちゃんが唱えてた呪文は聞いてたか。お供えもして謝りどうにか収めてくれという意味のものだ。

それで落ち着いたと思ったんだが…」

もう何が何だかわからなかった。とにかくなんてことをしたんだろうと思った。

「お狐様は、お前が死ぬまで許さないつもりだ」


ばあちゃんに連れられて白い浴衣みたいなものを着せられて、庭の井戸の水を何回もかけられた。夏とはいえ井戸の水は冷たくて、指先はヒリヒリした。

じいちゃんはその間に僕の髪の毛とつばをまぜた泥人形を作っていた。傍目から見たら奇妙な光景だったと思う。

そして裏手の山にある祠に泥人形と一緒にいれられた。

「何があっても声を出してはいけない」

「泥人形をしっかり持っておけ」

「何にも返事はしてはいけない」

この三つを絶対守れ、と言い残してじいちゃんは祠の戸を閉めた。

まだ夕方で、戸の隙間から微かに光はさしていたけれど、それもすぐに無くなり真っ暗な空間の中に僕はぽつんと体育座りをしていた。

寝れるはずもなく、じっとして僕は後悔をしていた。

何であんなことをしたんだろう。ただのちょっとした悪戯だったのに。蔵なんかに入らなきゃよかった。

じわっと涙が浮かんできて、乱暴に拭っていると

「おぅい」

とじいちゃんの声が聞こえた。

ぴたっと恐怖で体が固まる。

「飯持ってきたぞ」「ご飯渡すの忘れててねえごめんねえ」「返事してくれ」「明かりもないのにかわいそうね」

ばあちゃんの声と交互に聞こえてくる。

「何があっても声を出してはいけない」

「泥人形をしっかり持っておけ」

「何にも返事はしてはいけない」

これだけは守らなきゃ、と泥人形をそっと握る。

「おうい」「おうい」「おうい」

僕はじいちゃんとばあちゃんの声が変なことに気づいた。いや、声や口調は同じだけれど、同時にグルグル…グルグル…と唸り声が聞こえるのだ。

ああやっぱりお狐様なんだ。僕を殺しに来たんだ。

嗚咽が漏れないように膝の間に顔を埋めた。

気がつくと、辺りはしんと静まり返っていた。

助かったのだろうか。いや、まだいるのかもしれない。とぐるぐる考えていたら、伸ばした足が木の枝らしきものを蹴ってしまった。

コン。と微かな音がした。

瞬間

「しっぽを返せええええ!」

と怒鳴り声が聞こえた。地を這うような恐ろしい声だった。思わず悲鳴をあげそうになった口を手で塞ぐ。

続いて、ぎゃーん!と鋭い鳴き声が響き渡った。

パキンと手の中の泥人形が砕けた。

そして、今度こそ本当に静けさが戻った。僕は気絶した。


気づくと、じいちゃんとばあちゃんが僕の方を揺さぶっていた。

「大丈夫か。よく頑張った。よく約束を守れたな」

じいちゃんもばあちゃんも泣きながらそう言っていた。

「もう、大丈夫…?」

と呟くと

「大丈夫だ。だがすぐに帰った方がいい」

とじいちゃんは僕をおぶさって車に乗せた。

え?帰るってじいちゃん家じゃなくて?と不思議に思っていると、

「荷物は積んでおいた。早く着替えなさい。着替えたらそこのおにぎりとお茶を食え。」

とじいちゃんは言いながら車を発信させた。

ばあちゃんは

「かわいそうに、かわいそうにねえ。元気にいるんだよ」

と泣いて手を振っていた。

とりあえず着替え終わると、

「いいか、あの泥人形はお前の身代わりだ。

お前が返事をしなければお狐様は祠に入れない。

だが七宝が穢れたとひたすら怒っていたから、何かしらしてくると思った。

泥人形が壊れたということはお狐様にとってお前は死んだことになった。

だからもうここに来てはいけない。じいちゃんやばあちゃんが死んでも来てはいけない」

僕は何も言えずにいた。じいちゃんもそこからは何も話さず、駅について

「元気でな」

と呟いて、新幹線に乗り込む僕をじっと見つめていた。


そこからは一切行っていない。

じいちゃんから話があったらしく、葬儀の時も両親は何も言ってくることはなく、僕は留守番をした。

じいちゃん家はそのまま残っているらしい。近所の人が時々掃除してくれるそうだ。

僕の記憶にはないが、家の奥にある神棚のお供えもしてくれているという。

今回の帰省は今後のことを含めての相談を親父とするためなのだ。

多分、七宝は寺に奉納という形で処理し、あとは取り壊しになると思うが…どうなるだろう。

ぼんやりとそう考えていたら、息子が無表情でじっと妻のお腹を見ていた。

「もうすぐお兄ちゃんになるんだぞ」

というと、息子はつ、と丸い腹を指さして

「ねえお父さん。お母さんのお腹のところに、狐がいるよ」

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お狐様 こぱん @horror_real_24

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